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連載

第2回 嫌悪こそものの上手なれ(前編)

大野露井(翻訳家/小説家)

意味と音と文字と

 詠うことの要請が高まれば、まさに詠うことが原動力となって、文字を生むこともある。旅人の生きた時代は、ちょうど日本の文字が、つまり仮名が、成立する途上にあった。
 あくまで途上だから、先ほどの『万葉集』の歌も、実際には次のように書かれていた。
 和何則能尓宇米能波奈知流比佐可多能阿米欲里由吉能那何列久流加母
 いわゆる「万葉仮名」である。漢語が紛れ込む例もあるが、時代が進むと、この例のように一字に対して一音という関係が確立されて来る。とはいえ明確な規則性はなく、同じ音なら常に同じ文字を使うわけでもない。いわゆるアルファベットにかなり近しいが、日常的な書記行為に耐えるほど盤石とは言い難い。
 万葉仮名は歌のために整備された文字だから、なるべく音を正確に伝えるような工夫がなされているとはいうものの、まだ『古事記』や『日本書紀』で和歌を記すときに用いられた、以下のような表記の延長線上にあったと言ってよいだろう。
 夜久毛多都やくもたつ 伊豆毛夜幣賀岐いづもやへがき 都麻碁微爾つまごみに 夜幣賀岐都久流やへがきつくる 曾能夜幣賀岐袁そのやへがきを (『古事記』)【註4】 
 夜句茂多菟やくもたつ 伊弩毛夜覇餓岐いづもやへがき 菟磨語昧爾つまごめに 夜覇餓枳菟倶盧やへがきつくる 贈廼夜覇餓岐廻そのやへがきゑ  (『日本書紀』)【註5】
 素戔嗚尊すさのおのみことが出雲に国を作り、幾重にも垣をめぐらせ、妻を迎える準備をしていると、そこから雲が立ち上ったという、いわゆる「記紀歌謡」を代表する一首である。神の歌が、一音に対して漢字を一字ずつ宛てるという麗々しい表記によって、あたかも五言絶句と七言絶句の混交するような迫力を生んではいる。だがご覧のとおり『古事記』と『日本書紀』とでは、若干の異同はさておき、表記もかなり揺れている。まさに安万侶の心配した通りであろう。それに『古事記』が変体漢文や、固有名詞を記すのに効率のよい音訓交用法によって日本の読者に合わせた表記を目指したのに対して、より純粋な漢文で書かれた『日本書紀』はそもそも大陸を意識して書かれたところも大きい。だから本来は、漢文としてまったく無意味な「夜句茂多菟」などという記述をしても意味がないのである。
 漢文を使いこなす役人も、仕事を離れれば日本語を話す。母語とは身体化された言語である。仰天したアメリカ人が叫ぶOh my Godは日本人からすると音節が多すぎるようだが、当人からすれば日本語話者が「えっ」と声を洩らすのと感覚は同じである。それをすらすら表現するのに、画数が多く、読みにも曖昧さがつきまとう文字を使い続けるのは現実的ではない。
 掛詞を見てもこのことはわかる。『歌よみに与ふる書』を書いた正岡子規は掛詞を駄洒落くらいにしか思っていなかったようだが、「春」が芽のふくらんで「脹はる」季節ならば、「秋」は恋にも「飽き」が来る季節である。また、すべての生命を「産うみ」出す「海うみ」は、「海あま」と呼ばれるときには「天あま」と一直線につながり、降り注ぐ「雨あめ」でむすばれる。そういった根源的な連想を詩歌に生かすのが掛詞だが、これも文字で定着させようと思えば、やはり万葉仮名では難しい。漢字には漢字の意味があり、知識のある歌人であればあるほど、その骨格にしみついた意味がノイズにもなりかねない。
 それでも旅人たちの世代は、どうにか聴覚的な記憶を絶やさずに、歌道に邁進していたものと思われる。前述の旅人の漢詩にしても、実は純粋に漢詩を追求した成果というよりも、和歌との絶妙な関係のうえに成り立っていたものと思われる節もあるのだ。
 梅が雪に喩えられるのは、春の初めを告げる和歌の常套句である。また「烟霞」という語は、漢詩では本来、陽光を反射した、朝焼けや夕焼けの状態にある雲のことを指す。だが旅人のいう「烟霞」は、明らかに煙り立つような霞であろう。それは息子の家持が作った歌に登場するものと選ぶところがない。
 佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出で泣かぬ日はなし(万葉集、巻3、473) 【註6】
 先に紹介した三つの勅撰漢詩集のうち、『凌雲集』と『文華秀麗集』はどちらも嵯峨天皇の命で作られている。『経国集』編纂を命じた淳和天皇も嵯峨天皇の異母弟であるから、何のことはない、それは何事につけ唐風を重んじた文化の、ごく短期間に生った果実だったわけである。詩人たちは時代の要請に応じて漢詩を作ったけれども、どう背伸びをしたところでエピゴーネンとしか見なされないこの文芸に、どこまで情熱を燃やしていただろうか。
 旅人は左遷の味を知っている。旅人が積極的に和歌を作ったのは大宰帥だざいのそちに任じられてからのことで、よく知られた作「酒を讃むる歌十三首」では、それなりに鬱屈していたことは想像がつく。
 検しるしなき物を思はずは一坏ひとつきの濁れる酒を飲むべくあるらし (万葉集、巻3、338)【註7】 
《くだらない物思いに耽るより、一杯の濁り酒を飲む方がまし》なのである。全体で見ると和歌にはあまり酒が出て来ないから、黎明期ならではの奔放な詠とも言える。太宰府といえば太宰治の筆名の由来でもあり、むやみに「配所の月」という言葉を使った太宰が反復した配流と酒のイメージも、この辺りに端を発しているわけである。
 旅人は太宰府で「筑紫歌壇」と呼ばれることになる歌人のつながりの中枢にいた。息子の家持も越中守として現在の富山に赴任し、「越中歌壇」を盛り立てた。権力の中枢から離れたとき、大伴親子の芸術はいよいよ王道の漢詩から、周縁の和歌へと本拠を移したのである。そして二人がやがて京に返り咲いたのと同じように、和歌も『古今和歌集』の時代には芸術の頂点に君臨することになる。

著者情報

翻訳家/小説家

大野露井

おおのろせい

1983年生まれ、東京都出身。ダデルスワル=フェルサン『リリアン卿――黒弥撒』、コルヴォー男爵『教皇ハドリアヌス七世』(以上、国書刊行会)、サックス『魔宴』、チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』(以上、彩流社)など各国の文芸を翻訳紹介するかたわら、『塔のない街』(河出書房新社)で小説家デビュー。本名の大野ロベルト名義では古典を中心に日本文学を研究し、著書に『「もののあはれ」の訳し方』(文学通信)、『紀貫之 文学と文化の底流を求めて』(東京堂出版)がある。法政大学国際文化学部教授。

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