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連載

第2回 嫌悪こそものの上手なれ(前編)

大野露井(翻訳家/小説家)

漢文の権威化と「敬遠化」

 和歌が名実ともに文芸の中枢を構成するようになった平安時代の半ば以降も、漢文は重視され続けた。だが歌人の立場からすれば、それはひとえに和歌の存在意義を担保するための建前に過ぎなかったのかもしれない。
『和漢朗詠集』という面白い書物がある。成立は1018年頃だから、時代としてはやや先走りになるが、収められている詩人の多くは『万葉集』時代の人々である。
 同書の最大の特徴は、何と言っても和歌と漢詩を併置している点にある。しかも漢詩は、大陸の本場の詩人のものと、日本の詩人のものを、どちらも含んでいる。先ほどと同じく、「霞」が表現されているものを例にとってみよう。
 霞光曙後殷於火 
 草色晴来嬾似煙  
         (白居易、和漢朗詠集、75)【註8】
《夜が明けるにつれて、朝焼けは火よりも赤く雲に映じている。雨上がりの草の色はぼんやりとして、靄がかかるようだ》というこの詩の作者は、白楽天こと白居易である。存命中から日本でも名声を得ていた稀有な詩人であり、『和漢朗詠集』に最も多く漢詩を採られた人物でもある。玄宗帝と楊貴妃を題材にした「長恨歌」が、『源氏物語』に霊感を与えたことも有名であろう。
 白居易の作では、霞は当然ながら、本来の漢詩の文脈に沿った「朝焼け」の意味を担っている。そして、これに続くのは、日本最大の漢詩人とも言える菅原道真の作である。 
 鑽沙草只三分許
 跨樹霞纔半段余  
         (菅原道真、和漢朗詠集、76)【註9】 
 《砂を突き破るように芽を出した草はまだ三分ほどの長さである。樹々の枝にかかる霞は、半段ほどの高さにたなびいている》というほどの意味である。
 ここでは新春を象徴する景色として、新緑と同程度に重要なものとして「霞」が登場している。樹上にある「霞」のぼんやりとした輪郭は、原義のイメージを継承しつつ、日本語にいう「霞」をも思わせる。
 一方、これらの漢詩と突き合わされているのは、紀貫之によって「歌の聖」と謳われた柿本人麻呂の歌である。
 昨日こそ年は暮れしか春がすみ春日の山にはや立ちにけり(人麻呂、和漢朗詠集、77)【註10】 
《きのう年が暮れたばかりと思ったら、もう春の山に霞が立っている》という、いかにも万葉風の、大らかな叙景である。春という季節や山の風景と結びつく「霞」は、朝焼けという伝統的な意味合いからは懸け離れている。
 全71巻もある白居易の詩文集『白氏文集』が成立直後に日本にも伝来し、愛読されたことからもわかるように、漢詩は漢文をもっぱらとする人々だけでなく、歌人にとっても重要な着想源インスピレーションであり、貯蔵庫ストレージであり、言語資料体コーパスであった。四書五経、諸子百家、六朝詩賦に唐詩と、和歌が吸収した漢文は枚挙にいとまがない。
 それと並行して行われたのが、いま「霞」の場合で見たような、和歌ならではの表現の追求であった。人麻呂の歌で「霞」が「春日」と重ねられていることからもわかるように、それは音声のレベルでも日本語の連想のネットワークに組み込まれるようになった。霞は朝焼けの雲から、春の山を覆い隠す独自の詩的装置へと鍛え直されたのだ。
 象徴的とも言えるのが九世紀の末から十世紀の初めにかけての宮廷での変革である。公卿となっていた菅原道真は894年、遣唐使の廃止を進言する。すでに衰退に向かっていた文明から学ぶために貴重な人材に命懸けの旅をさせることは、もはやそろばんが合わなくなっていた。唐は907年に滅びることになるが、それは初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が成立したわずか二年後のことであった。

菅原道真 (写真:GRANGER.COM/アフロ)

 漢詩の達人であった道真が側近として仕えた宇多天皇は、和歌を愛した帝である。それでも道真はこのうえなく重用されたが、それが禍いしてか、讒言ざんげんによって大伴旅人と同じ太宰府に左遷されたことは有名である。不遇な最期を遂げた道真は怨霊となって、醍醐天皇とその皇子をはじめ、政敵を次々と呪い殺したので、形式的に左遷を解かれて神となった。
 漢文の運命も、道真と似ているだろう。漢文はその後も権威の座から滑り落ちることはなかった。千年後の今日も、よい大学に入るためにと、漢文の勉強をする人はいくらでもいる。だが漢文は、道真の死後には二度と、日本の文芸の原動力となることはなかったのである。
 平安時代の文芸は、漢詩に学びつつ仮名で詠うことを選んだ人々によって牽引されることになる。デカルトの『方法序説』はフランス語で書かれ、ダンテの『神曲』はトスカーナ方言で書かれた。ランボー少年は正しかったのだ。ラテン語では我の思いが我を規定することもないし、地獄めぐりから昇天までの道筋を記すこともできない。芸術に言葉を取り戻すのは、常に土地の言葉なのだ。ましてや日本の歌人たちは、ラテン語の文字をそのまま拝借した西洋人とは異なり、漢字をすっかり解体して自分たちの文字に作り直してしまったのだから、ランボーの怒りなど可愛いものかもしれない。

著者情報

翻訳家/小説家

大野露井

おおのろせい

1983年生まれ、東京都出身。ダデルスワル=フェルサン『リリアン卿――黒弥撒』、コルヴォー男爵『教皇ハドリアヌス七世』(以上、国書刊行会)、サックス『魔宴』、チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』(以上、彩流社)など各国の文芸を翻訳紹介するかたわら、『塔のない街』(河出書房新社)で小説家デビュー。本名の大野ロベルト名義では古典を中心に日本文学を研究し、著書に『「もののあはれ」の訳し方』(文学通信)、『紀貫之 文学と文化の底流を求めて』(東京堂出版)がある。法政大学国際文化学部教授。

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