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常識を疑え!

雇用の悪化はなぜ続くのか?

香山リカ(医師)

 このほど発表された2009年6月の完全失業率は、前月よりさらに悪化して5.4%。過去最悪が5.5%だから、ほとんどそれと同じと言ってよいだろう。また、有効求人倍率は0.43%、これは100人の求職者に対して43件しか職がない状態で、すでに過去最低。とくに正社員の場合、ひとつの求人を4人が奪い合うという厳しい計算になるという。

 病院の診察室にいても、“派遣切り”にあった、ハローワークに通い続けているのに仕事が見つからない、という声は相変わらず多い。リストラがきっかけでうつ病になる人もいれば、リストラされた社員たちの分まで仕事をこなさなければならず、過労でうつ病になる人もいる。「解雇されてもうつ、されなくてもうつ」と思わずひとりごとを言いたくなる。

 それにもかかわらず、新聞の経済面には「景気は回復傾向」という文字が躍っている。株価も1万円台を回復、企業の生産活動も上向き、「見込みを上方修正」といった文字通り“景気のよい”ニュースも目につく。そういう中、なぜ雇用の悪化は今もなお続いているのだろう。

 もちろん、その背景には複雑な経済事情がかかわっているのだろうが、それ以上に、各企業の心理的な不安が関係しているように思う。つまり、たとえ株価業績が回復してこようとも、「いつまたリーマンショックのようなことが起きるか、わからない」という恐怖や警戒心が先に立ち、とても新しい人材を雇用する気にはなれないのだろう。

 とくに日本では、昨年、金融危機が起きるまでは「未曾有の好景気」などと言われ、株価や地価も上昇、バブルの再来か、とまで言われていた。そこで何の前触れもなく、突然、起きたあのリーマンショックは、企業や経営者にとって強烈なトラウマとして今もなお、さまざまな“後遺症”を与え続けているのだ。

 精神医学の中に、集団や組織、社会をひとりの個人として見なしてその“心の中”を考えようとする社会精神医学という分野があるが、企業をトラウマを受けた個人として考えるととてもわかりやすい。一般的にトラウマを受けた人は、その直後には不眠、いらだち、それにかかわる報道を見ない、思い出させる場所に行かない、といった回避行動を示す。この初期症状は1カ月くらい続いて次第に消えて行くことが多いが、中にはいつまでも後遺症が残ることがある。これが、いわゆるPTSDだ。

 PTSDでは、無力感、不安、気分の落ち込みが、直接、トラウマとは関係ない場面でも日常的に続くようになる。そしてトラウマの場面が突然、一方的によみがえるというフラッシュバックという症状にも苦しむことになる。

 今回の問題にあてはめれば、昨年の金融危機のショックがあまりに大きかったため、それがトラウマとなって企業や社会に後遺症を与え続けていると考えられる。つまり、「景気は回復しつつある」と言われてもなかなか前向きに雇用を増やしたり新しい事業展開に着手したり、という気にならない慢性的なうつ症状が社会をおおっているのだ。そして、少しでも株価が下がると、「また暴落か」とフラッシュバックが起こり、ますます経済活動が委縮することになる。

 新たな破綻に備えて慎重になるのは、致し方ないことかもしれない。しかし、トラウマ後遺症で雇用の悪化が続けば、個人のレベルでもうつ病などが増え、結果的に社会全体がますます沈滞してしまう。「こんなときだからこそ、新しい人材を集めて会社に新しい風を巻き込もう」と奮起する会社はないものか、とつい思ってしまうのは、私が経済の門外漢だからだろうか。とはいえ、誰かが“社会のPTSD”を治療しなくては、なかなかこの危機を脱出できないのも事実であろう。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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