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常識を疑え!

イラク戦争帰還兵のPTSDはなぜ多いのか?

香山リカ(医師)

“戦場中毒”になっていくなど、イラクに駐留するアメリカ兵の複雑な心理を描いた映画「ハート・ロッカー」(2008年、アメリカ)。アカデミー賞を受賞したこの作品が、早くもDVDとなって再び話題となっている。

 アメリカの医学論文をまとめて載せているジャーナルを見ていたら、イラクから帰還した兵士の1割に深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病が見られ、時間がたってもなかなか回復しないケースも少なくないようだ。正確な比較データはないのだが、これまでの戦争帰還兵と比べてかなりの高率と言えるのではないか、とされている。

 もともとこのPTSDは、命の危険は去ったはずなのに心理的な症状に苦しめられ続けるベトナム戦争帰還兵の研究を通して確立した疾患概念だ。一度の事件、災害でも、地下鉄サリン事件のように深刻な心のダメージが10年以上にわたって続くことがある。戦場の場合は、「毎日が犯罪、事件」といった状態が従軍しているあいだずっと起きるのだ。いくら職業的な訓練を受けた兵士とはいえ、その心はかなり傷つくことが当然、予想される。

 一般に戦場では、兵士は完全に日常から遮断され、「自分が行っていることは絶対に正しいのだ」とある種の催眠状態に自分を追い込む必要がある。そうすることではじめて、兵器を使ったり相手を攻撃したりすることができるようになるのだ。日常モードのまま戦場に出るのは、かえって危険なことだと考えられる。

 ところが現代は過去とは違い、戦場にいながらも一般の兵士がインターネットなどで情報にアクセスすることも可能になった。戦場からブログなどを発信して、現実とコンタクトし続ける兵士も少なくない。

 とくに今回のイラク戦争は、そもそも開戦の時から「大義なき戦争」などと言われ、個人的には疑いの気持ちを残しながら戦地に赴いた兵士もいるかもしれない。そういうケースでは、よりうつ病などが発生しやすいと言えるだろう。

 おそらく、これは今回のイラク戦争に限ったことではない。いわゆる「大本営発表」だけで人々を統率することはむずかしくなっている現代の戦争では、兵士も市民も日常モードのまま戦争に巻き込まれていくことになる。そうすると、目の前で起きている爆撃や銃撃がよりリアルなものとして感じられ、無事に帰還したとしても、PTSDなどの心の後遺症の発生率はこれまで以上に高くなることが予想される。

 実は、このことは一見、平和な社会に暮らす私たちとも無縁な話ではない。人々の情報手段が今よりもっと限られていたときは、「これってすごく効果があるらしいよ」「あの政治家なら絶対まかせられるよね」と私たちは単純に何かを信用して、たとえだまされていたとしてもそれを疑うことなく、決定的な破綻が来るまでは生活することができた。ところが現在は、ネットなどを使えば容易に詳細な情報、より正確と思われる情報も手に入る。「私がいま信じていることは本当に正しいのだろうか」と不信感いっぱいですごしていると、小さなストレスも思いがけない心のダメージになることがありうるのだ。

 おそらく今後は、「わが国こそが正義だ」といった戦争、「この治療法こそが奇跡を起こすのです」といったビジネスは不可能で、誰もが情報を集め、疑ってかかる時代が来る。そこには「だまされない社会」というメリットもあるのだが、一方で私たちの心はよりストレスを感じやすく、ダメージを引きずりやすくなるということでもあるのだ。

 21世紀の戦争、イラク戦争帰還兵たちが教えてくれることから、私たちも学ぶべきことは少なくなさそうである。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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