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常識を疑え!

「陸前高田の松」の問題はなぜこじれたのか?

香山リカ(医師)

 原発事故の余波が、さまざまなところに広がっている。そのひとつが、「京都五山送り火」の問題だ。岩手県陸前高田市で被災した松を伝統の送り火の薪に使おうと、当初計画した人に、何らかの悪意があろうはずはない。それに応じて松を回収し、薪として提供しようとした現地の人たちも、「それはいい考えだ」と京都からの申し出に全面的に同意してそうしたはずだ。

 そして、「被災地の松の放射性物質は大丈夫?」と不安の声を上げた京都の人たちにあったのも、「子どもたちを守りたい」という善意の気持ちであろう。

 それなのに、結果的にはそういった善意に基づく気持ちが行き違い、二転三転した後に、「五山送り火で被災の松を」という最初の計画は、結局、中止となった。今の時点では、その松は秋に千葉の成田山新勝寺の「おたき上げ」で使用されることになっているが、それに対しても懸念の声が出ており、まだどうなるかはわからない。いずれにしても、計画した人、それを進めようとした人、不安を抱いた人、みんながそれぞれとても後味の悪い思いをすることになった。

 このように「よかれ」と思ってしたことが相手に対してよくない結果を招いてしまった、というのは、何かをした方、された方、双方の心に大きなダメージを残す。何かをされた側も、相手に悪意がなかっただけに恨んだり憎んだりもできないし、した側は「喜んでもらえると思ったのに」と後悔と失望を抱く。そのことがきっかけで気まずくなり、壊れる人間関係もあるだろう。診察室でも、「ある部下のためを思って昇進させたら、それがきっかけで部下はうつ病になってしまった。なんだか自分の人事が悪かったようでいたたまれない。部下や家族も“あの役員のせいで”と思っているようだ」といった相談をしばしば耳にする。

 この「善意に基づく失敗のストレス」を、私たちはどう乗り越えればよいのだろう。いちばんシンプルなのは、常に「そもそも」という原点に立ち返って考えることだ。「私は、ひたすら相手のためを思ってそうしたのだから」「あの人は、あくまで親切心でこんなことを計画してくれたんだ」と、最初の善意をそのつど確認し、「それはウソじゃなかった」と納得する。たとえその結果が双方にとってあまり喜ばしいものでなかったとしても、それに関しては「たまたま運が悪かった」と考えて、なぜうまく行かなかったのか、などとあまり“犯人さがし”をする必要はないだろう。

 しかし、いくら善意から出発したことでも、よくない方向にものごとが進んでいるなら、潔く失敗と認めて、方向を変える勇気を持つのもまた善意とも言える。先の役員は結局、部下の実力や意向を確かめずに一方的に「よかれと思って」と昇進させたことは間違いだったと認め、今度は部下としっかり話し合いをした上で責任の軽い立場に異動させた。部下も「すべては役員が私のことを思ってしてくれたことなんですよね」と“原点の気持ち”は理解してくれたようだ、と言っていた。

 大震災や原発事故のように私たちがこれまで遭遇したこともなかったようなできごとに関連しては、この手の「善意のすれ違い」は今後もいくらでも起こる可能性がある。そのつど、お互いに傷つくこともあるかもしれないが、「もう何もしないのがいちばんだ」と事なかれ主義を決め込む人が増えるのは問題だ。

「もうかかわらない」とすれ違い、行き違いを恐れすぎることなく、これからもいろいろな提案が行われ、そのつど「どうしたらいいだろう?」と考えながら、いちばんよい道を探っていく。これしかないのではないだろうか。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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