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常識を疑え!

なぜ「監視」が「威圧」の効果を生むのか?

香山リカ(医師)

 この1年あまり、トランプ大統領が就任してからのアメリカ政治の迷走に驚くばかりだったが、ここにきて日本でも政治の舞台で仰天するようなことが起きている。

 今、舞台の“メインテーマ”は財務省の公文書改ざん問題だが、文部科学省が、名古屋の市立中学校で開催された前川喜平・前文部科学事務次官の公開授業に関する問い合わせを行っていた、という問題も十分にメイン級のテーマだ。問い合わせは、18年2月に前川氏の授業があった後、文科省から名古屋市の教育委員会へのメールという形で2度にわたって行われたが、その後の報道で、発端は自民党の2議員による文科省への照会だったことが明らかになった。

「問い合わせくらい問題ないだろう」と思う人がいるかもしれない。しかし、文科省からの質問は、授業の内容、目的から、講師を依頼した経緯や謝礼までを計26項目にもわたって細かく尋ねるものとなっている。さらに、当日の授業の録音など、具体的なデータの提供も求めたという。

 想像してみてほしい。例えばあなたが大企業の支店に勤務しているとしよう。各支店では毎年、新入社員向けのマナー講座が開かれるが、今年はあなたがその担当となり、外部講師への依頼や当日の準備を経て無事に講座は終了。ほっとしていると、まったく面識のない幹部からメールが届き、講座の内容や講師について細かく質問される。当日の資料なども全部提供せよ、とも書かれている。これまではそんなことは一度もなかったし、他の支店に聞いても同様の問い合わせはなかった、とのことだ。「何かマズいことがあっただろうか」「本社から目をつけられたらもう出世の道はない」と、あなたは真っ青になってしまうのではないだろうか……。

 このように、たとえ非難の言葉が含まれていなかったとしても、立場的に自分より上の人から「私はあなた(だけ)を監視していますよ」というメッセージが送られると、それ自体が威圧の効果を生む場合がある。

 かつて、イギリスの功利主義哲学者のジェレミー・ベンサムは、少ない看守が全ての独房を監視できるような刑務所を考案して「パノプティコン」と名づけた。このシステムのポイントは、実際に厳しい監視態勢が敷かれているかどうかよりも、収容者に「常に監視されていると思わせること」にある。それだけで収容者はわが身を正し、生産的な労働習慣を身につけるはず、とベンサムは考えたのだ。

 後にこのパノプティコンは、刑務所に限らず、監視(のほのめかし)によって権力が個人を支配する近代社会の象徴であると、フランスの哲学者ミシェル・フーコーから指摘された。
パノプティコンを突き詰めれば、人間を心理的に萎縮させ制圧するためには、必ずしも実力行使は必要なく、「私はあなたを常にチェックしていますよ」というサインを送るだけで十分だ、ということになる。

 そうだとすれば、地方の一公立中学に教育委員会を経て文科省からメールが届いていたなら、単なる事実確認のための問い合わせで済むわけはなかっただろう。受け取った方は、そこに監視の目を感じ、ともすれば「今後はこういうことがないようにしたい」と考え、つまり外部の講師を招くのをやめるか、他の学校が招いても文科省からの問い合わせが来なかったと確認済みの人を講師に選ぼう、と思うのではないか。とすればどう考えても教育現場に対する介入が行われたことになるだろう。

 今回、文科省からのメールを受け取った教育委員会は、それをそのまま中学に送ることはせず、適切な人選であったこと、生徒や保護者など、参加者の反応はポジティブなものばかりであったことなど、毅然とした回答を文科省に送付したという。監視による威圧に屈しなかった態度は立派だ。

 それにしても、自民党議員の照会に応じてメールを送った文科省にはあきれるばかりだ。「現場にプレッシャーをかけた認識はない」などと弁明せずに、教育とは「不当な支配に服することなく」行われるべきであると定めた教育基本法に自ら反する行為であったと、重く受けとめてほしい。そして私たちもまた、現代のパノプティコンに閉じ込められている可能性を考え、知らないうちに萎縮したり、強いものに服従したりしているのではないか、と顧みてみたい。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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