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常識を疑え!

「君臨する子ども」に対応するには?~「だめ」「がまん」「だいじょうぶ」の原則

香山リカ(医師)

前回からの続き)

 ススキノの頭部切断事件では、殺人の実行犯と見られる娘が家族の支配者として君臨し、両親が奴隷のように服従し続けていた。このケースはあまりに極端とはいえ、「子どもが支配者、親は奴隷」という家族の構造じたいは実はめずらしいものではない。前回はそんな話をした。今回は「どう対処すればよいのか」ということを考えてみたい。

 最初に言っておきたいのは、「子どもの望むことをかなえてあげていれば、きっといつかは気づいて変わってくれるはず」という親の期待が実現する可能性はほぼない、ということだ。少なくとも私はそのような症例を見たことがない。
 同様に、「本人が30代、40代になり、親が70代やそれ以上になれば、子どももさすがにこれ以上は親を頼れないとわかるだろう」という願望も空しく終わることが多い。

 私はよく、治療の過程である程度の信頼関係が築けた家族に対してはこう話す。
「いま突き放して恨まれるか、それとも一生、子どもの言うことをきき続けるか、ふたつにひとつです。“そのうちわかるはず”はありえません」
 もちろん、突き放すことで子どもが自傷や他人への暴力などの行動に出ることも想定されるので、伝えるタイミングや何かあったときの対応に細心の注意を払う必要はある。それでも医療者は、「いつか気づいてくれるだろう」では解決しない、ということを伝えなければならない。

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 ではどうしたらよいのか。参考になるのは、「境界性パーソナリティ障害」にくわしい精神科医の市橋秀夫が提唱した「ボーダーライン・シフト」である。市橋は、周囲の人たちを操作する傾向がある境界性パーソナリティ障害の患者が病棟に入院したときは、スタッフ間の混乱を避けるため、構造的な対人関係を築くことが大切だとして、この対策をつくりあげた(市橋秀夫「境界人格障害の初期治療」、『精神科治療学』1991年7月号収録)。主に看護職や心理職のための指針だが、「君臨する子ども」を抱える家庭内でも有効と思われるものもあるので一部を抜粋する。「患者」を「子ども」に置き換えて読んでほしい。

 なにかしてあげてはいけない。
 話を聞くとはよいが、患者にいれあげてはいけない。
 起こしたことの責任を患者自身に取らせること。
 大丈夫と言ってあげること。
 自殺企図などの深刻な行動化が起こっても、過剰な反応をしてはならない。たじろいではならない。
 患者の冗談やユーモアの才能を引出すこと。
 待つこと、我慢させることが治療の力となる。

 市橋はこれをさらにまとめ、対応の基本は「だめ」「がまん」「だいじょうぶ」だとしている。もう少し噛み砕いて言うと、「だめ=ルールを決める、言いなりにならない」「がまん=欲求のままにさせない、責任を取ってもらう」「だいじょうぶ=見捨てるのではないと伝える、安心させる」ということだ。この「ムチふたつと飴ひとつ」ともいえる3つはバランスが大切で、精神科の入院病棟ではあえて“ムチ役”と“飴役”の2つの役柄を、看護師などが分担することもある。
 ただ、それぞれの役柄を演じる人たちは注意が必要である。もちろん患者本人は「だめ」と言う人を恨んで、「だいじょうぶ」と言ってくれる人に信頼を寄せる。ここで気をつけたいのは、患者が“飴役”に“ムチ役”の悪口を吹き込み、両者の間に溝をつくりだすことだ。

 家庭内でも、子どもが“飴役”の父親に「お母さん、お父さんよりすてきな人と結婚したかったって言ってたよ。お父さんがかわいそう」などと伝え、両親の関係をぎくしゃくさせてしまうことがある。両親も、最初はそれぞれの役を演じていると分かっていたのに、いつのまにかそれを忘れてしまったりする。結果、家庭内で子どもと“飴役”のチームができて、“ムチ役”が孤立させられ攻撃を受けるようになるのだ。
「君臨する子ども」にはこうやって、無自覚的に人間関係を操作する傾向がある。それはその子どもがとりわけ悪質だからではない。ある種のパーソナリティ構造を持ってしまった人たち――それが診断基準を満たせば「障害」と呼ばれるかもしれない――は、「風邪を引けば熱が出る」のと同じようにそう振る舞ってしまうのである。この人間関係の操作を防ぐためには、“飴役”と“ムチ役”などを演じる人たちが、この役柄はあくまで意図的なものであることを常に確認し、情報を共有していくしかない。

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 とはいえ、ここまで話してきた「ボーダーライン・シフト」や「だめ」「がまん」「だいじょうぶ」は、いずれも精神医療の専門ナースや心理職への提案であり、これを一般の親が自分の家庭内で、自力で行うのはとてもむずかしい。そういった親に対して、精神科医や心理カウンセラーが支えになれることもある。子ども本人が通院などを拒否しても、親が定期的に診療に来て、それまでの数週間を振り返り、苦労を吐き出し、医師やカウンセラーと話し合うことで「もっとこうすればよかったですね」などと軌道修正する。それだけでも子どもへの対応に余裕が生まれ、支配的な言葉を投げかけられてもおどおどしなくなり、関係性が変化していくことがある。

 たとえば私がもうずいぶん前に診た症例では、子ども本人は何度か通院しただけですぐに来るのをやめてしまい、そのあとは主に母親が通ってきていた。「今週はどうでしたか」と子どもの様子をきくのが中心だったが、いつからか「私が若い頃は、親に怒鳴るなんて考えられなかったんですけどね」などと母親が自分自身の話をぽつぽつするようになった。
 それをきいているうちに、母親はあるとき、「そういえば私、お菓子屋さんになりたかったんですよ」と自分のかつての夢を思い出した。そして、「最近は娘のお世話をさせられるばっかりで、そんなことも忘れてました。実は近くのケーキ屋でパート募集してたんですよ。ちょっと行ってみようかな」と応募し、採用されたのだ。もちろん子どもは「家を離れるな」と激怒したが、そのときは父親が頑張って「お母さんだって仕事したいんだ。家計にとってもプラスになる」と子どもを説得し、「がまん」をさせた。

 それからあきらかに母親の表情は変わっていった。いつも「今週も子どもに踏んづけられた」などと悲壮な顔で“奴隷の生活”を訴えるだけだったのが、「ケーキのデコレーションをさせてもらった」などと柔らかな表情で語るようになった。
 すると、興味深いことに子どもの強権的な態度にも変化が生じた。「ケーキを買って帰ってくるから仕方ないな」と仕事に出るのを認めるようなことを言ったり、母親がいない間に、これまで絶対に自分ではしようとしなかったのに、お茶をいれて飲んだりカップラーメンを作って食べたりもし始めた。
 なんというか、家の中の緊張がちょっとゆるんだ感じになったのだ。「家族はガス抜きの穴もない圧力鍋のようなもの」という、ある家族療法の専門家の言葉通りの状態だったのが、ガスが少し抜けたのだ。そのきっかけが、「母親が自己実現もかねてケーキ屋で働き出して、家庭の外に居場所ができたこと」だったのは言うまでもない。
 もちろん、だからといってどんな家庭でも「じゃ、母親が仕事に出れば問題は解決か」というとそうではない。改善のきっかけは千差万別で、かつ最適なタイミングのようなものもあり、それを見間違えると状況はさらに悪化する。だからこそ、ペースメーカー役の精神科医やカウンセラーが必要なのだ。

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 札幌の家族はどうすべきだったのか。このケースが不幸だったのは、父親が名高い精神科医だったため、専門家にいわゆる“泣きつく”のがむずかしかったことであろう。「自分たちじゃもうどうにもならない、誰かどうにかして」と音を上げることも、対応が困難な子どもを抱えた親にはときに必要となる。
 親は「子どもには自分たちしかいない」と思い、問題を持った子どもを尋常ではない愛情で丸ごと抱え、「なんとかしてやりたい」と必死に頑張る。しかし、親の頑張りには限界があり、またそれが必ずしも子どもを、あるいは家庭を救うわけではない。「ガス抜きできない圧力鍋」の中で身動きできなくなっている親たちには、「親にも自分の人生を生きる権利がある」という大原則を伝えたい。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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