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連載

性とは何か、夫婦とは何か

雨宮処凛(作家、活動家)

 多くの女性にとってはどうでもいいことだと思うが、男性がやたらと気にしていることがある。それは「性器のサイズ」だ。高校の修学旅行後など、「あいつのはすごい」などと盛り上がっている男子生徒たちの姿に、「なぜそんなにこだわるんだろう?」と疑問を持ち続けてきた。
 多くの男性にとっては「大きい」ということが「いいこと」であるらしいのだが、果たして本当にそうなのか? ということを突きつける本が2017年1月に出版された。
 それは『夫のちんぽが入らない』(17年、扶桑社)。今、話題の本で、すでに発行部数は13万部を超えている。
 著者は40代の主婦こだまさん。セックスで夫が性器を挿入しようとすると、激痛が走ってどうしても入らない。交際を始めた20年前から何度試してもだ。交際4年目、べビーオイルを使うと少しは入るということを発見したものの、そうすると自身の陰部が裂けて大流血を伴うほどの惨事になってしまう。試行錯誤を繰り返しても、どうやったって入らない。結婚し、共に暮らす夫婦でありながら、そしてまわりからは「子どもは生まないの?」などと聞かれながら、入らない。

 この本を読むまで、世の中にそのような悩みがある、ということをまったく知らなかった。既婚者の性の悩みとして、主に聞くのは「セックスレス」。数年単位で「ない」という話もザラにある。そんな状態が「別に気にならない」と言う人もいれば、ものすごく悩んでいる人もいる。しかし、こだまさんの場合は物理的に挿入不可能、なのである。
 交際当初から、「ちんぽが入らない」という事実は、こだまさんを追いつめていた。以下、本書からの引用だ。
「女として生まれ、ベルトコンベヤーに乗せられた私は、最後の最後の検品で『不可』の箱へ弾かれたような思いがした。私はどうなってしまうのだろう。目の前が真っ暗になった」
 しかし、二人は結婚する。夫婦の関係はとても穏やかなものだ。
「私たちには親しい友人がおらず、のめり込むような趣味もなく、お互いが唯一の友人で、恋人だった。大きな買い物はしない。大きな声を上げない。罵らない。詮索も束縛もしない。休日は昼過ぎに起きて、ふたりで美味しいものを食べに出かけた。長い休みには海外の古城をめぐったり、国内の温泉地を南から順にまわっていったりした」

 こうして読むと、理想的な夫婦である。しかし、「月に一、二度直面する『ちんぽが入らない』という、その一点だけが私たちの心を曇らせた」とある。
 そんな生活の中、夫がこっそり風俗に行っていることに、こだまさんは気付いてしまう。その時、彼女が思ったのは、ただただ「ずるい」ということだ。
「夫はちんぽが入らなくても、入るお店に行けばよいのだ。男の人にはそういう道が用意されているのだと今さらながら気が付き、ひとり取り残されたような気持ちになった」
 同時に、「ちんぽの入らない私が悪いのだ」「風俗へ行くことを許さなければいけない」とも思う。なんという切ない決意だろう。彼女は悪くないのに、いろんな思いをのみ込まなければならない。
 本書を読み進めていくと、彼女があまりにも我慢強く、そして言いたいことをのみ込んでしまうタイプの人だということがよくわかる。そしてそんな性質は、彼女自身をより追いつめ、「壊して」いく。その引き金となるのは、勤め先の小学校での学級崩壊だ。担任しているクラスがある日突然「崩壊」し、暴言や授業妨害がエスカレートしていく。眠れなくなり、身体が震え、ご飯を食べても吐いてしまう。同じ教師である夫にも、同僚にも相談できない。自殺が頭をかすめる日々。

「クラスが崩壊している、学校の体制に馴染めない、眠れない、ちんぽが入らないのをずっと気にしている、私は駄目な人間だと思う、本当のことを言うと風俗に行ってほしくない、風俗に行き過ぎだと思う、でもちんぽがまともに入らないのでどうすることもできない、ごはんを簡単に捨てないでほしい。どれひとつとして言うことができなかった」
 そんな彼女はある日、ネットで知り合った男性と会い、誘われるままホテルに行く。すると夫とできない性行為が、まったく問題なくできてしまう。以来、彼女は強迫観念に取り憑かれたように、メールをくれた男性たちと会い、肉体関係を持つ。
 なぜ、なんとも思っていない相手とはできるのに、夫とだけ、できないのか。
 17年3月21日の朝日新聞夕刊に掲載されたインタビュー記事で、こだまさんは「サイズも理由でしょうが、『好きな人とこんなことをしたくない』と思う私の心の問題もあるかもしれません」と語っている。ずっと「セックス=悪」だと思っていたそうだ。
 この言葉に触れ、最近、あるネット番組でご一緒したスウェーデン人女性を思い出した。番組のテーマは性教育について。

 日本の性教育といえば、こだまさんの言うように、「セックス=悪」という考えが根底にあったように思う。常に「寝た子を起こすな」とばかりに抽象的で、「性」について考えることそのものが「罰される」ような空気と共にあったこの国の性教育。一方で、世の中には「性」を売り物にした過激な映像などが溢れているのに、子どもがそのようなものを目にすると「そんなもの見て!」と怒られる。卵子と精子が受精という「授業」と、とてつもなく過激な映像という両極端しかない中で育つこの国の人々の性意識は、かなり歪められているのかもしれない。
 そんなことを思ったのは、スウェーデン人女性から自国の性教育についての話を聞いたからだ。かの国では小学生の頃からかなり踏み込んだ性教育があり、中学か高校ではコンドームの使い方まで模型を使って「実践」するそうだ。そんなスウェーデンでまず小学校で教えられるのは、セックスという行為が素晴らしく素敵で美しいコミュニケーションである、ということなのだという。
 この部分は、日本の性教育ではすっぽり抜けている。そうして性が隠され、語られず、「性的なことをすると怒られる」空気の中で大人になっていく私たち。

 私の中にも、こだまさんのようにどこかで「セックス=悪」という価値観は刷り込まれている。こだまさんはまるで自傷行為のようにネットで知り合った男性と会うことを繰り返すが、「自傷行為のようなセックス」は、10代の頃の自分のまわりにもよくある光景だった。
 相手が好きだからとかではなく、自暴自棄の果てに、あえて自分を損じる行為としてのセックス。性的な問題には、自己肯定感や自尊心といった問題が深く関わってくる。教師をはじめとする大人たちは「性行為をするな」という意味で「自分を大切にしろ」と言ったが、私は自分を大切にする方法なんてわからなかったし、そもそもそんなことを言う大人たち自体、私たちを「大切」にしていないどころか「お前らには価値なんかない」という扱いしかしていなかったのだからなんの説得力もなかった。
 そうしてそんな10代の頃は、知らないオッサンなんかが「お前の性を売れ」と声をかけてくる時期でもある。今が一番高いんだ、売り時なのだ、これからお前の価値は加齢とともに暴落するばかりなのだ、ということをあの手この手で畳みかけてくるオッサン。突然、そんな欲望の対象になっていることに戸惑いまくっているのに、同時に親や親戚なんかは、お前の性を安売りするな、とにかくもったいぶっていい「物件」をゲットしろ、条件のいい男に高く売りつけろ=安定層と結婚しろ、なんてメッセージを送ってくる。

 なんだか自分の性は、いつも誰かに買い叩かれたり値踏みされたりしているようで、自分のものなのに、それを主体的に考えることさえ許されない。その違和感を言葉にもできなくて、ずっと宙ぶらりんな感じ。それがこの国の多くの女性にとっての「自分の性」ではないだろうか。
 同じインタビューで、こだまさんは持病の悪化もあり、夫とは「7年くらい前から一度もありません」と語っている。が、「結婚してよかったです」とも言っている。
「身体のつながりがなくても一緒にいたい相手であれば、寄り添って生きていてもいいのでは。兄と妹のような、若いおじいさんとおばあさんのような関係で」
 若いおじいさんとおばあさんのような関係。
 彼女たち夫婦について、「理想」と話す30代の女性がいた。その時はまだ、こだまさんの本を読む前で「なんでだろう?」と思ったけれど、読んだ後、なんとなくその気持ちがわかる自分がいる。
 性とは何か、夫婦とは何か、そして生きるとは、老いるとは?
 永遠の問いの答えの一つが、この本には描かれている。

次回は5月4日(木)の予定です。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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