無知装いプレー問題を考える
雨宮処凛(作家、活動家)
さて、そんな無知装いプレー問題だが、本書で面白い記述を見つけた。
それは、かの紫式部もモテるため、生きるために無知を装っていたという事実だ。教養豊かで、漢文の知識が豊富だったという紫式部。しかし「男だって、学問をひけらかすような人は、たいてい出世しないものだ」という話を聞き、漢字とか書けないんです私、というふりをするようになったのだという。
一方、紫式部と同じように漢文知識が豊富だった清少納言は、「私、こーんなに知ってるの」と知識をひけらかすタイプ。それがまた一部の男性にウケたことから、紫式部は「したり顔に賢こぶって漢字を書き散らしてるけど、よく見れば全然なってない。ああいう人間は絶対、将来ロクなことにならない」などと、さんざん悪口を書いていたのだという。「紫式部日記」の中で。
何かすごいわかる。わかるよ紫式部!
紫式部と清少納言が生きていたのは、平安時代。今から1000年前の話である。1000年前も、女子たちは「無知装いプレー問題」をめぐって火花を散らしていたのかと思うと、何だか彼女たちを一気に身近に感じてしまう。一方で、1000年経っても同じことで女子が悩んでいることを思うと、人類の進化の無さに愕然ともする。
さて、ナイジェリア出身の女性の言葉から始まった女子の生きづらさについての問題は、平安時代にまで遡り、結局、時空を超えて女たちは似たようなことにイラつき、悩んできたし、今もそれは続いているということがわかった。
これから「無知を装う女」にイラッとしたら、「この憤りは紫式部の時代にもあったのだ」と思うとなんだか優雅な気持ちになれそうだ。
そういう作法で、日々、生きづらい世を生き抜いている。
次回は9月6日(水)の予定です。