投票率が低いのは若者の責任? 〜「若者を政治に近寄らせない社会」を考える
大内裕和(武蔵大学教授)
そして社会科教育や政治教育のあり方、「政治的中立」というスローガンに加えて、若者の多くが直面するのが、「声を上げてもどうせ変わらない」という政治的無力感です。このことは私自身が直接経験しました。12年9月、私が教えていた学生が奨学金制度の改善を目指して「愛知県 学費と奨学金を考える会」を結成しました。会の活動への協力を求められた私は、彼らにできる限りのサポートをしようと考えました。
私が最も力を入れたのは、彼らをさまざまな攻撃から守ることでした。奨学金という社会問題に取り組むことで、周囲からの「偏見」や「攻撃」にさらされることは容易に予想できたからです。友人や親からの攻撃にさらされた時には、彼らの相談にすぐにのれるように、機敏に対応することを心がけました。
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運動を開始して1年3カ月ほどたった13年12月、翌年度から日本学生支援機構の貸与型奨学金について延滞金賦課率の10%から5%への引き下げ、返済猶予期限の5年から10年への延長などの制度改善が行われることが報道されました。この報道を私は「愛知県 学費と奨学金を考える会」の学生メンバーと一緒にいる場所で知ったのですが、その時の彼らの言葉が忘れられません。
彼らは口々に、親から「運動を辞めろ」と言われたり、周囲の学生から運動についてからかわれたりすること以上に、活動をする中で最もしんどかったのは「そんなことをしていても奨学金制度はどうせ変わらない」という言葉を、さんざんかけられ続けたことだったと言ったのです。
私はそれを聞いて、現代の学生が「声を上げてもどうせ変わらない」という政治的無力感に強力にさらされている現実を改めて知りました。13年12月の奨学金制度改善のニュースは、「声を上げてもどうせ変わらない」という親や周囲の学生の意見が誤りであったことを具体的に彼らに示すことになりました。このニュースによって、政治的効力感を得た「愛知県 学費と奨学金を考える会」のメンバーはその後、給付型奨学金の導入へ向けて運動を力強く発展させていきます。
社会科教育や政治教育のあり方、「政治的中立」遵守にとらわれた自主規制という抑圧、そして「声を上げてもどうせ変わらない」という無力感の広がり――そういった複合的な要因によって「若者を政治に近寄らせない社会」がつくられています。考えさせ、行動させる機会を若者から奪っているのですから、彼らの関心が低くなるのも当たり前です。投票率の低さを政治に無関心な若者の責任放棄として、安易に捉えるのは間違っていると思います。若者を選挙に行かせるためには、学校教育を含めた「政治に近寄らせない社会」そのものを変えていく努力が必要です。