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「幸せそうな女性」を狙った小田急線事件に懲役19年、その背景にあるもの

雨宮処凛(作家、活動家)

 ちなみにインセルとは、「非自発的な禁欲主義者」と言われ、恋愛やセックスの相手を欲しているが叶わず、その原因は女性の側にあると考える男性のことを指す。このようなインセルが起こした事件として有名なものはいくつかある。

 代表的なのは14年、アメリカで起きたアイラビスタ銃乱射事件。「女への復讐」を宣言し、6人を殺害、14人を負傷させて自殺した22歳のエリオット・ロジャーは、インセルを自称していた。

 この犯人はインセルの間で英雄視され、18年にはアメリカ・フロリダ州の高校で銃乱射事件が発生、17人が殺害される。犯人はネットに「エリオット・ロジャーは不滅だ」と書き込んでいた。

 同年、カナダでは「インセル革命は始まっている!」などとSNSに書き込んだ男が車で通行人に突っ込み10人を殺害。死者の多くは女性だった。

 女性を標的にした殺人は「フェミサイド」と言われるのだが、私が「フェミサイド」「ミソジニー(女性嫌悪、蔑視)殺人」という言葉を初めて聞いたのは16年。

 この年、韓国・ソウルの江南駅近くにある男女共用のトイレで、23歳の女性が34歳の男性に刺し殺されたのだ。2人に面識はなく、逮捕された男性は犯行動機を「女たちが自分を無視したから」「女なら誰でもよかった」と供述。男は個室トイレに潜んでいたのだが、女性の前にトイレに入った6人の男性には目もくれず、7人目に入ってきた女性を殺したのだ。事件は「江南ミソジニー殺人事件」と言われ、韓国のフェミニズムに火をつけた。

 ここ数年、日本でも韓国のフェミニズムが話題だが、最近ではその反動も現れている。20代男性の間で反フェミニズムの動きが広がり、そのような男性は「イデナム」と呼ばれているのだ。このイデナム、22年の韓国大統領選にも大きな影響を及ぼしたと言われている。

 そんな韓国で起きていることは、日本と非常に近い。

 例えば韓国では2000年代に若者が「88万ウォン世代」と呼ばれるようになった。大学を出ても正社員の職がなく、多くが非正規になる20代の平均月収が「88万ウォン」であることから名付けられた世代だ。

 それが10年代に入ると若者をめぐる状況はさらに過酷になる。11年には若者が「三放世代」と名付けられた。「3つ」のものを諦めた世代という意味だが、それは恋愛、結婚、出産。諦めるものはどんどん増え、三放に加えて就職、マイホームも諦めた「五放世代」という言葉が登場し、これに人間関係、夢が追加された「七放世代」となっていく。そうしてとうとうすべてを諦めた「N放世代」という言葉まで登場した。

 若い世代がこのように名付けられる背景にあるのは、日本と同じ厳しい雇用情勢だ。

 さて、このように他国でも同じような状況があるわけだが、日本の雇用情勢を振り返ると、男性よりも女性の方が厳しい状況に置かれている。非正規雇用率はすべての世代において女性の方が高い上、平均賃金だって女性の方が低い。例えば非正規だけで比較しても、男性非正規は228万円なのに対し、女性非正規は153万円だ(国税庁「令和2年分 民間給与実態統計調査」)。

 しかし、女性が暴発的な事件を起こしたという話は滅多に聞かない。唯一、「死刑になりたかった」という動機を語ったのは、22年、東京・渋谷区の路上で中学3年生の少女が母娘を切りつけた事件だけだ。

 また、昨今は非モテなどを巡る議論の中で「弱者男性に女をあてがえ」論まで出てきているが、その逆の「男をあてがえ」論などお目にかかったことはない。

 なぜか。それは、女性にとって男性は支配や束縛、DVなど常にリスクになりえる存在だからではないか。一方で、一部男性にとっての女性は男性の「モテ・非モテ」問わず、承認とセットでもたらされるものであり、「頑張った俺様に対するご褒美」的なものに見える。

 一方、女性よりは「恵まれている」かもしれない男性が社会への恨みを募らせる背景に、彼らの「内なる家父長制」を感じることも多々ある。男たるもの、自分一人で稼いで妻子を食わせてナンボという価値観だ。特に非正規で働くロスジェネ男性がこれに苦しめられ、世を恨む姿はこの「失われた30年」の中、幾度も目にしてきた。

 さて、では女性には自暴自棄と隣り合わせの鬱屈がないのかと言えば、女である私にも、あらゆる人が幸せそうに見え、世の中を呪った時期などいくらでもある。特に20代のフリーター時代は自殺願望に取り憑かれ、リストカットばかりしていた。そう、私は鬱屈が「他害」に向かず、「自傷」に向いたのだ。そして周りの「世を恨む」系の女性たちも、皆自傷に向かっていた。自傷だけでは済まず、自ら命を絶ってしまった女性もいる。

 では、なぜそこから生き延びることができたのか。それはそんな鬱屈を語り合う場があったことが大きい。自殺願望を持つ人たちのイベントやオフ会などに顔を出し、多くの人と共感することでなんとか生きてきた。そんなことから自分でも生きづらさ系のイベントを主催するようになり、そういうことが物書きデビューにつながった。そうして物書きとなった今、あの時の鬱屈は宝物になっている。

 しかし、鬱屈の只中にいる時は、そんなことなど考えられなかった。

 私の頭には、小田急線の事件の男の言葉がずっと焼き付いている。

 乗客を襲う直前、彼は一度はためらったという。が、「これまでの人生ってそんなに大事なものだったか」と思い、乗客に襲いかかったそうだ。

 彼を踏みとどまらせるものが、何ひとつなかったという事実。

 7月14日、男には、懲役19年の判決が言い渡された。

〈参考資料〉

朝日新聞「『恨むべきは社会構造なのかな』 小田急線で胸刺された20歳女性」(2023年6月28日)

朝日新聞「電車で刃物…パニックになるきっかけと条件 不安感が生むストーリー」(2023年6月27日)

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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