BUCK−TICK・あっちゃん、X JAPAN・HEATHの死から我がバンギャ人生と90年代を振り返る
雨宮処凛(作家、活動家)
例えば私がバンギャになった90年代、ヴィジュアル系はどこか「被差別」ジャンルだった。さまざまなメディアから「女・子ども」向けのものだとバカにされ、面と向かって「ヴィジュアル系なんか音楽じゃない。聴いてる奴は顔目当てのバカ女」なんて言ってくるおっさんまで存在したのである(本当に、この通りのことを何度も言われたことがある)。自分の大切なものが否定されることが悔しくて反論したかったけれど、本気で反論したら泣き出してしまいそうで、だからいつもヘラヘラ笑うことしかできなかった。
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また、バンドメンバーの中にも「ヴィジュアル系」を蔑称と捉えている人も少なくなく、そう括られることに抵抗を示すこともあった。99年、L’Arc〜en〜Cielが「ヴィジュアル系」と言われて『ポップジャム』(NHKの音楽番組、1993~2007年)の収録途中で帰ったというエピソードがあるが、真相に諸説あるのは置いといて、メンバーが「ヴィジュアル系」という言葉をよく思っていなかったことは事実のようである。
しかし、出戻ってみた世界では、私よりずっと年下のメンバーたちが当たり前に「ヴィジュアル系」への愛を語っていた。それもそのはず、当時の若手バンドはXやBUCK−TICKはもちろん、LUNA SEAやMALICE MIZERなど90年代のヴィジュアル系に憧れて自らもその世界を目指した者たちなのである。みんながヴィジュアル系であることに誇りを持っていることが伝わってきて、すでに30代だった私は、生まれて初めて「おばさん、嬉しい!」という気持ちになったのだった。
もうひとつ衝撃を受けたのは、いい意味で明確に「女・子ども」向けを全開にしているバンドが少なくなかったことである。ファッション雑誌 『KERA/ケラ!』(ジェイ・インターナショナル)から飛び出してきたような、カラフルで可愛くてキラキラな世界。それは漆黒の闇をベースとした90年代にはないもので、当時の中高生に絶大な人気を博していた。ああ、私が中高生の時にこのようなバンドがいたら、もう何も手につかないほど熱狂しただろう――。心から、思った。そうして「女・子ども」の好きなものが全部詰め込まれているような世界観に、当時30代だった私も夢中になった。
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90年代との違いはまだまだある。それは参入障壁の低さだ。私が10代の頃は、MVもライヴ 映像も購入しなくては見られず、まずはそのようなものを持っている誰かが友人やきょうだいにいることでしかヴィジュアル系への門戸はなかなか開かれなかったわけだが、それがYouTubeで見放題。90年代後半のような頻繁なテレビ出演はなくなったものの、その代わりに技術の進化によって扉は広く開かれたのである。
それだけではない。「これほどサービスしてくれるのか」ということにも衝撃を受けた。バンドによってはYouTubeで「振り付け動画」なるものを公開してくれているのだ。かつては客席で勝手に暴れてろ系だったのが、バンドメンバーが振り付けを教えてくれるなんて、まさに隔世の感があった。しかも、ライヴに行けばボーカルがみんなの前で歌のお兄さんよろしくひとつひとつ振り付けをしながら歌ってくれるではないか。ファンはそれを真似ればいいのである。
私は驚いた。ヴィジュアル系にこんなに親切にしてもらったのは初めてだったからだ。そうしてYouTubeで気になったバンドがあれば、行ける限り行くようになった。そう、90年代バンギャの私は多くの解散、活動休止、そしてメンバーの死を経験している。バンドはナマ物、「推しは推せるうちに推せ」(当時、この言葉はなかったと記憶しているがまさにそんな思いだった)という使命感が私を奮い立たせたのだ。この頃、まだ対バンでイベント出演をしていたゴールデンボンバーのライヴに行ったのは一生の自慢である。
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それにしても、なぜ、「ヴィジュアル系」という言葉が90年代、あれほど嫌がられたのだろう?
私をはじめバンギャ側はその言葉を積極的に使っていたものの、メンバー側はやはり、あまり使っていなかった。「見た目だけ」「女・子ども向け」といったニュアンスが色濃かったのだろうと思う。
特に「女・子ども向け」という言葉は表現者の心を折るに十分な破壊力を持っている。ヴィジュアル系に限らず、あらゆる表現物――例えば映画や小説――が「女・子ども」向けと評される時、それはこれ以上ないくらいの侮蔑だからだ。
しかし、「女」「子ども」という属性に好かれるという事実が侮辱になるって、そもそも「女」「子ども」に相当失礼な話ではないか。
なぜなら人類の半分は女だし、誰もが子ども時代を経ているのである。それなのに、「本物を見極める力がない」「未熟」「ミーハー」といったものと同義になっている「女」と「子ども」。
翻って、その反対の言葉といえば「男」「老人」だ。
この言葉から連想されるのはどんなことだろう? 私の頭には利権とか汚職まみれの政治家とか戦争とか、そういう忌まわしいものばかりが浮かぶ。が、「女・子ども向け」という言葉はあるのに「男・老人向け」という言い方はされない。なぜなら、世の中がそっちを基準に作られているからだろう。だからこそ育児中の女は社会から居場所を奪われるし(まさに女・子どもが排除される)、権力が集中するのは高齢の男性だ。そんな「男・老人」というキーワードのイメージキャラクターとして脳内に浮かぶのは、森喜朗氏。元内閣総理大臣である。
と、23年も終わりに近づいた頃に届いた2人の訃報から我がバンギャ人生を振り返ったら「女・子ども」への迫害にまで辿り着いたのだが、二大巨頭のメンバーの立て続けの死に、いまだ茫然自失の状態である。
が、私はこれからも、ずっとずっとBUCK−TICKとX JAPANを聞き続けるし、ヴィジュアル系を愛し続けるだろう。
あっちゃんとHEATHの冥福を、心から祈ります。