「失われた30年」、働かずに遊んでたら一周回ってトップランナーになっていた「だめ連」
雨宮処凛(作家、活動家)
っていうか、人類の長い歴史を振り返れば人間はずーっとそんなふうに生きてきたわけで、資本主義なんてここ最近のほんのわずかな期間のことだ。そして今、その限界が見えてきているからこそ多くの人が「違う道」を模索しているわけだが、だめ連は30年以上前からとっくに資本主義に見切りをつけ、自分たちのライフスタイルを確立していたのである。
そんな彼らのメイン活動が、やはり有史以来、人々が脈々と続けてきた「交流」であることは興味深い。
〈本や映画も面白いけど、目の前にいる現実の人間はもっと面白い〉 と、出会った人の人生に食い込む「人生トーク」を繰り広げる。面白い相手だから面白いのではない。「一見だれにも注目されないような人」でも話しかけ、食い込んでいくと「味」があったりする。その味わいを「コク」と呼び、「コクのあるトーク」を愛でるのだ。
そんな交流をするにもコツがある。強がらなくていい、カッコつけなくていいことを知らしめるため、積極的に「だめ」を見せていく。
「いやあ、最近ぜんぜん働いてないんですよ」「何やってもうまくいかなくてねえ」などと、最初に「ヘボいところ」を思い切り開陳するのだ。そうすると相手も精神的に武装解除される。そうして仕事や性、恋愛だけでなく悩み悲しみにも食い込み、「それは世の中のこういうところが悪いのでは」と社会化して考えることで「なるべく社会のせいにして」いき、「社会変革への扉」を開く。そう、彼らはただ遊んでいるだけでなく、常に社会のこと、政治のことを考えてもいるのだ。
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それも最低限しか働いていないがゆえにできることだろう。だいたい毎日フルタイムで働いた上で社会や政治のことを考えろと言ったところで、「社会や政治のことを考える仕事」でもない限り到底無理な話だ。疲れ果てて帰ってきて、面白くもない国会論議なんて見たくないというのが人情だろう。
しかし、彼らは賃労働に最低限の時間しか使っていないので、社会や世界情勢について考える時間が膨大にある。いろんな勉強会やデモ、イベントや集会にも参加し、学ぶことに忙しい。「普通の社会人」は自分の業界以外のことに疎くなるが、そうでない彼らは常に全方向に開かれている。
と、なんだか褒めてばかりだが、私が彼らを「ホンモノ」だと思うのには理由がある。
それは、私がこの数十年会った大人の中で、ダントツで幸福度が高そうだからだ。彼らとはよく中央線沿線の路上飲みや高円寺の溜まり場的な「なんとかBAR」で顔を合わせるのだが、いつ会っても機嫌が良く、現代人にありがちな「意地悪なところ」がひとつもない。ストレスゼロだからこそ、いつも優しくて楽しそうなのだろう。彼らを見ていると、「働くこと」がどれほど人から多くのものを奪っているかがよくわかる。
ちなみに神長さんはこの30年、目覚まし時計を使って起きたことが年に数回ずつしかないという。20年間くらい、毎日13時間寝ていたという「三十年寝太郎」だ。 それで50代半ばまで何の問題もなく生きてきたのである。
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そうして資本主義が行き詰まる中、彼らの活動に再び光が当たっているという事実。
神長さんは以下のように言う。
〈いま、資本主義の終わりがはじまっているという。それは資本主義の社会で幸せに生きられない人が増えてきているということ。うつになっちゃう人や希望を持てない人、経済的に生活が苦しい人が増えていってる。そして気候変動も起こっている〉
〈格差が拡大してきて、資本主義をちゃんとやっていれば幸せになりますよ、というのも崩壊してきている。資本主義の当然の帰結だろうね〉
確かに神長さんの言う通り、この方向性でいっても幸せにはなれないどころか地球がヤバいということも世界的な問題だ。
ということで、一周回ってトップランナーとなっていた「だめ連」、ますます注目されてほしいが、神長さんとともにだめ連を始めたぺぺさんは3年前に胆管がんと診断され、23年2月、亡くなった。しかし、がん発覚以降はカンパをくれる人が多く、バイトをせずにカンパ生活となったというからもうお布施で暮らす神仏みたいなものである。そうしてぺぺさんが亡くなった時は行きつけの居酒屋などに棺桶や遺骨を持ち込んでの「お別れ交流会」が最大に開催され、全国から650人が集まった。天晴れ、交流人生である。
ということで、本書のあとがきによると、神長さんは本を読んだ人と交流したいそうで、〈旅がてら自費で行こうと思ってますので、よかったら誘ってみてください〉 とのことだ。
ここからさらに、交流の輪が広がっていく。
寝てたら時代の最先端にいたという「だめ連」のこれからが、私は楽しみで仕方ない。