魚喃(なななん)キリコさんのこと
雨宮処凛(作家、活動家)
なんで私が下北にいたのかわからないけど、一番メインっぽい通りを歩いていたら、「おお!」と声をかけられた。見ると魚喃さんで、横には男の人がいた。魚喃さんはその人を指さすと、「これ、○○!」と苗字を呼び捨てで言って、その言い方が本当に魚喃キリコの漫画に出てくる女の人のような言い方で、その後少し話して、「またねー!」みたいな感じで別れた。
それが最後に彼女を見た瞬間。
その後、『strawberry shortcakes』が映画化され、その映画評を書くことになり、私はある文芸誌に「みんな惨めで、みんな愛しい」というタイトルの原稿を書いた。
あの漫画にも映画にも、確実に、彼女の漫画を貪るように読んだ頃の私がいた。まるで冷凍保存から一気に解凍されたように、あの頃の、ちっぽけで意固地で、全方向に敵対心を剥き出しにした近い過去の私がいた。
![]()
結局、私は一読者で一ファンで、彼女の詳しい人となりなどまったく知らない。彼女を「キリコ」と呼ぶ、近しかった人でさえも眩しいくらいに。
だけど、とにかく熱烈に漫画を読んでいた、ということに関しては自信がある。
今も彼女の絵を見ると、あの時の苦い思いが蘇る。何もなくて焦ってて、いつも何かが足りなくて不機嫌で、お金もなくて、自分の近い未来が不透明すぎて、愛されたくて仕方ないのにそんなこと口が裂けても言えなくて、何かを埋めるようにいろんな人を好きになって、時に裏切られて自分も裏切って、若さゆえに傲慢で残酷で。
05年に出した拙著『ともだち刑』(講談社)という小説の表紙は、魚喃さんの絵を使わせて頂いた。上履きを履いた女の子2人の足が並ぶ、印象的な絵。どうしても表紙は彼女の絵にしたくて、編集者を通して依頼したら快諾してくれた。
そんなふうに、会ったり会わなかったりしながら関わり続けた数年間。
06年から私は貧困問題に関わるようになり、私の本棚のメインの場所にはそういう本が並ぶようになった。そうして私はいつからか自己防衛の術を覚え、振り回されるような恋愛は最初から回避するという器用さも身につけていった。だから恋愛でボロボロになるなんてこともなくなり、だからこそ、彼女の漫画を開くことは減っていった。そうして20代のフリーターだった私は気がつけば50歳になっていて、去年の年末、魚喃さんの訃報を知った。
訃報に触れたすべての読者は、あの頃の自分を思い出し、ずいぶん遠くまで来たことを静かに噛み締めたのではないだろうか。
そんな魚喃さんについて、誰もが好き勝手にゴミみたいな言葉を吐くSNSなんかには決して書きたくなくて、こうして原稿を書いた。
あの頃の私に、彼女の漫画が寄り添ってくれたことに、心から感謝します。