「キューバに生きる」2 会計士アンヘルの挑戦
工藤律子(ジャーナリスト)
それを見透かしてか、アンヘルはまず、19世紀のキューバ独立戦争の指導者で、キューバ革命思想の基礎を築いたホセ・マルティの言葉を引用して、こう述べた。
「みなさんが(小中学校で習い)よく知るように、マルティはこう言いました。“教養を身につけてこそ、自由になれる”。このフレーズには続きがあります。“豊かであってこそ、善良になれる”。皆さん、これらすべてを実現するために学びましょう」
キューバでは、革命以来、すべての国民に教育が無償で提供され、そのモットーとして、マルティの言葉「教養を身につけてこそ、自由になれる」が用いられている。だが、その後半部分に当たる「豊かであってこそ、善良になれる」は、あまり知られていない。アンヘルは、その両方の大切さを示したかったのだろう。
この日の講座では、若者たちが将来、自分で商売をすることになった際に必要なことが語られた。起業する人が増えて競争が生まれた時、経営を理解していないと事業に失敗すること。事業収支を自らきちんと把握し、経営に生かす姿勢が大切なこと――。
「政府が納得して応援できるような(社会的意義のある)事業を考えることも、重要でしょう。例えば、個人ではなく協同組合形式で運営するのも、一つの方法です」
さりげなく協同組合の概念にも触れる。最後のまとめでは、こう強調した。
「成功するには、何より、同じ志を持つ者同士が互いに協力しあうことが大切です」
それから若者たちに、5人ずつのグループで、無料チャットアプリWhatsAppを使った連絡網をつくるように、指示する。
「グループをつくる際は、知り合い同士でくっつかないで、新しい仲間ができるよう、ランダムにメンバーを選びましょう」
そう言うと、アンヘルは学生全員が1から4までの数字を順番に声に出して言い、同じ数字の者同士でグループをつくるよう促した。
「毎回のセミナーの資料は、このWhatsAppの連絡網を使って各グループに送ります。グループの仲間と、互いに議論をしながら進めていきましょう。では、また来週」
こうして、第1回の講座は終了した。
どうやらアンヘルは、キューバ人の思想的拠り所であるホセ・マルティの言葉と、協同組合主義を結びつけて考えているようだった。これからのキューバ社会を創る若者たちに、資本主義的な競争ではなく、善良な市民が手を取り合って築く経済のあり方を、提案しようとしているのだ。
イエズス会の社会主義者
それにしても彼はなぜ、イエズス会のプロジェクトで活動しているのだろう。また、カトリック教会はなぜ、社会的連帯経済を推進しているのか。ハバナ大学の教授の紹介で知り合ったものの、話を聞くまで彼が教会の組織で活動している人間だとは思いもしなかった私は、そこを疑問に思った。
「実は僕、18歳から22歳まで、修道士だったんです」
彼は、神父になるための勉強をしていたという。なぜ辞めたのかと聞くと、こう答える。
「修道院にいたのは、僕の両親がともに、教会への弾圧が激しかった時代から敬虔な信者だったので、その影響です」
キューバでは、革命以降、1998年に当時のローマ教皇、故ヨハネ・パウロ2世の訪問が実現するまで、反革命派を支持したカトリック教会とカストロ政権の対立が続いていた。60年代には、大勢の教会関係者が国外追放となり、教会の財産も国に没収されるなど、カトリック教会は政権による弾圧を受ける。しかし現在では、教会の活動は基本的に自由に行えるようになり、教会関係の団体も様々な社会・福祉・文化活動を展開している。

1998年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問後、キューバでは子どもに洗礼を受けさせる人が増えた。(1998年 ハバナ)撮影:篠田有史
「僕は、社会主義者なんです」
アンヘルが突然、私の目をまっすぐ見つめて言った。
「僕はこれまでに会計学、統計学、社会学を学びました。教育学も勉強しています。僕にとっては、どれも祖国の未来を考えるために必要なものです。社会的連帯経済も同じです」
イエズス会と社会主義。この組み合わせには、思い当たるところがある。キューバ革命の最高指導者で、長年カトリック教会を弾圧していた故フィデル・カストロも、大学進学前の7年間、イエズス会士が運営する学校で学んだからだ。フランスのジャーナリスト、イグナシオ・ラモネによるインタビューで、カストロはこう語っている。
「イエズス会士は、個人の尊厳の偉大な意味や名誉の意味を説く。人間の個性、率直さ、正しさ、勇気、犠牲的精神を重んじ、それらの価値を育むのだ。(中略)私の気性は部分的には生来のものだが、イエズス会士によっても形成されたと思う」(『フィデル・カストロ 自ら語る革命家人生・上』岩波書店、2011年)
カストロの言葉からは、社会主義政権が大切にしてきた平等の精神や他者への奉仕といった価値観が、イエズス会の精神に通ずるものであることがわかる。そのイエズス会の組織で働き、社会主義者を名乗る青年の話を聞いていると、彼の思い描くキューバは、もしかすると豊かで理想的な社会主義国なのかもしれないと、思えてくる。

故フィデル・カストロ議長は、イエズス会の学校で学んだ経歴を持つ。
かつて社会主義政権によって異端視されていたキリスト教者。その中に、今、社会主義のために奔走する若者がいることに、私は新たな希望を見た気がした。これまで言葉を交わした若者の中で、社会主義支持を語ったのは、大抵、体制側の人間か、キューバ革命やカストロ政権の政策に共感する家庭に育った者だった。そうでない者は、現体制に対する不満や批判を並べるか、自営業で稼ぐ、あるいは資本主義先進国へ出ていくことしか頭にない人間が多かった。それに対して、アンヘルは、体制に抑圧された側の家庭で成長してきたにもかかわらず、イエズス会の教えや社会科学を学ぶことを通して、社会主義の理想に共感し、それを実現するために行動している。資本主義世界で始まった「既存の資本主義経済とは異なる、もうひとつの経済」を築く動きから学ぼうとしている。そこには、私たち資本主義世界に生きる人間との連帯も生まれるだろう。キューバだけでなく、日本を含む世界が変わるために、アンヘルのような若者の存在は大きな意味を持つのではなかろうか。