「キューバに生きる」3 理髪師パピートの社会的連帯経済
工藤律子(ジャーナリスト)
自営の会計士をしながら、社会的連帯経済をキューバ社会に広めようと意気込むアンヘルが、そのよき実践者として、ある人物を紹介してくれた。彼は理髪師で、ハバナ旧市街の一角で自分の店を開業している。そして、20年ほど前から、店と自宅がある地域を豊かにするためのプロジェクトを始めたという。

理髪師養成校の前に立つパピート(中央)と「アルテ・コルテ」の仲間たち。撮影:篠田有史
つながりで地域を変える
ハバナ旧市街の一角、大きな鉢に植えられた椰子の木が並ぶ路地には、そこをテラス席にした洒落たレストランが並ぶ。その道の中程に、赤白青の理髪店のサインポールが見える。近づいていくと、左手の壁には一番上に「理髪師養成校」と書かれ、キューバで「理髪師の日」ができるきっかけとなった19世紀末の理髪師を紹介するプレートが設置されている。アンヘルに従い、サインボールとプレートの右にある扉を入ると、古めかしい理容椅子が目に飛び込んできた。すぐ左の部屋では、15人ほどの若い男女が、真剣な面持ちで、モデルやマネキン相手にヘアメイクをしている。と、そこへ、奥の部屋へ行ったアンヘルが、ツルツル頭でどことなくマンガチックなルックスの中年男性を連れてきた。
「彼が、理髪師のパピートです」
こうして知り合ったのが、ヒルベルト・バジャダーレス(49)、通称パピートだ。
「パピート」とは、通常、母親が息子を呼ぶ時に「坊や」と愛情を込めて使う表現だが、
「子どもの頃そう呼ばれていたのが、そのままニックネームになってしまったんです」
と、本人が笑う。
「私たちのプロジェクトを見にきてくれたそうですね。ご説明しましょう」
パピートは、若者たちが集う部屋の奥へと私と篠田を導き、大きなパネルを示して、こう言った。
「これが、私たちのプロジェクト“アルテ・コルテ(カットのアート)”です」
そのパネルの上部、真ん中には、
「アルテ・コルテは、地域住民が自らの意思と力と行動で、持続可能な地域発展を生み出すためのプロジェクトである」
と書かれている。パネル右半分は、今歩いてきた路地の風景やサッカーをする子どもたち、路上で理髪技術を披露する若者、踊る老人などの写真で埋め尽くされている。それらを見ながら、パピートが続ける。
「初めは、私の本業である理髪師の伝統を紹介するプロジェクトとして企画したんです。それがいろいろな人を巻き込んでいくうちに、活動内容が広がっていきました」
1999年、それまで新市街にある高級ホテル「ハバナ・リブレ(自由ハバナ)」の理髪店で働いていたパピートは、生まれ育ったこの路地で自営の理髪店を開くことを決意する。と同時に、昔からの友人である近所の画家や彫刻家たちと共に、自らの仕事「理髪師」の伝統を紹介する文化活動を行うことを思いつく。それが「アルテ・コルテ」だ。
「アルテ・コルテ」の中心となっている路地。撮影:篠田有史
理髪はアートだと考える彼は、その素晴らしさを地域の人々に伝えるために、その歴史を紹介したプレートを作ったり、理髪にまつわる絵を展示したり、ヘアカットのデモンストレーションを行ったりした。やがて自分の店が軌道に乗ってくると、経済的に貧しい人が多く住み「ハバナ旧市街でも最も薄汚い」と言われていた地域全体を、もっと活気のある魅力的な場所にしたいと思い始める。
「キューバ人はもともとお節介焼きで、人とつながることが大好きです。だから、地域住民が主人公になり、皆が協力してできることを考えれば、きっと地域を変えられると思ったんです」
そこで2009年頃から、隣人仲間でお金や人手などを出し合い、職業訓練や起業支援を実施したり、環境を整備する事業を行ったりし始めた。路地に椰子の植木を置いたのも、その一環だ。水やりは、レストラン経営者が皆で、駄賃を払って近所の老人に頼んでいる。先ほどからそばでヘアメイクに取り組む若者たちも、アルテ・コルテが開く理髪師養成校の生徒だ。
「受講料は無料です。講師は私を含む近隣の理髪師と卒業生がボランティアで務め、この場所は国が無料で提供し、椅子や道具などは地域の人々からの寄付だからです」
アンヘルが経営を教えるバーテンダー養成校も、アルテ・コルテが無料で運営する。パピートが、このすぐ近くの国営レストラン・バーと旧市街に博物館を持つラム酒ブランド、国営観光学校の協力を取り付けて、実現したという。
「理髪師養成校の卒業生の大半は、地域内あるいは周辺地域の国営や自営の理髪店で働いています。私たちのプロジェクトに共感したクルーズ船スタッフ派遣会社を通して、船上の理髪店やバーでの仕事を得た卒業生もいます」
若者たちの将来も、地域のつながりの力で応援しているのだ。
「すべては、役所や企業、起業家(自営業者)、住民、それぞれがお金、知識、技術、労働力、時間など、地域のために自分ができる投資をした結果です。そこに価値がある」
パピートたちのプロジェクトが地域の連帯を生み出していったおかげで、地域経済も一気に活性化した。2010年には1軒しかなかった理髪店は23軒に増え、民宿も133軒、レストランは34軒、アートギャラリーは21軒になった。地域に12軒しかなかった店舗が、2019年には合わせて200を超えるまでになったのだ。
「それは、1000人近い人たちの職を生み出したということでもあります」
理髪師の顔に満足感が漂う。

「アルテ・コルテ」の中心となっている路地には、レストランが賑わう。撮影:篠田有史
アルテ・コルテ効果
「ところで、もしよかったら木曜日に、お年寄りのためのラテン音楽ディスコをやっていますから、見にきませんか」
パピートが、そう提案してくれる。プロジェクト紹介パネルの写真にある活動だ。アルテ・コルテの社会貢献活動の一つだという。ぜひ見てみたい。
木曜の朝10時過ぎ、同じ場所に戻ってくると、プロジェクトのスタッフ二人が音響用のアンプやケーブル、パソコンを準備していた。そばにいるパピートが、
「彼らが、これからディスコを開きに行くスタッフです」
と、紹介してくれる。その一人、33歳の女性は社会貢献活動全体のコーディネーターだ。
「友人に誘われて、この仕事を引き受けました。すごくやりがいがあるので、もう4年も続けています」
そう言う彼女によれば、スタッフの大半はボランティアだ。
ディスコの現場はすぐ近くだというので、機材を抱えた2人には先を歩いてもらい、私たちは通りの雰囲気を感じるために、ゆっくり行くことにした。この旧市街は、世界遺産に指定されており、カテドラルや要塞などの観光スポットが多い地区は、以前から人と店で賑わっている。だが、この辺りはあまり来たことがなかった。見れば随分と粋な店が並んでいるようだ。地元画家による現代アートのギャラリー、イタリアの空気を感じさせるピザレストラン、朝食客で賑わうカフェ……。これが「アルテ・コルテ効果」か。
目的地にたどり着くと、そこは公営の高齢者向けデイケアセンターだった。この日はちょうど「敬老の日」のお祝いで、国から派遣されたプロの歌手(公務員)が歌のプレゼントに来ている。さきほど通り過ぎたピザレストランからも、ピザの贈り物が届いた。
「自営レストランでも、こうしたプレゼントをするんですねっ」
私が感心すると、社会貢献活動コーディネーターの女性が、
「普通のことですよ」
と微笑む。
アルテ・コルテの二人が音響機材のセッティングを終えると、センター前の道に並べられた椅子に腰掛けた20人ほどの老人を前に、歌手がマイクを手に、ゆったりと歌い始めた。「公」と「民」のコラボだ。
最初は皆、ただ大人しく聴いていたが、しばらくすると女性が一人立ち上がり、ステップを踏み始めた。歌が終わり、速いリズムのラテンダンス音楽が流れると、最年長89歳の女性も加わり、セクシーに腰をクイクイくねらせる。そこへ、センターのソーシャルワーカーである40代の女性が現れ、座っていた老人の一人に手を差し伸べると、彼もニッコリ彼女の手をとって、踊り始める。軽やかに踊るシニアに魅せられ,通行人も立ち止まる。やがて、通りがかりの観光客が一緒に踊りだすと、道ゆく人たちの間に微笑みが広がった。
デイケアセンター前の路上で、ラテン音楽ディスコを楽しむお年寄りたち。撮影:篠田有史
アルテ・コルテでは、子どもたちのサッカー大会を開いたり、小中学校で理髪師体験学習を実施したりもしている。ゴミを分別するゴミ箱を設置して、環境意識を高める取り組みも。パピートが始めた試みが、人々の気持ちや意識を変え、路地の風景を変え、ハバナ旧市街でも最も薄汚いと言われた地域を、活気と温かみに溢れる町へと変身させた。
理髪師の夢
夕方、大学生の友人ユーヒを連れて、パピートの理髪店を訪ねた。社会問題にあまり関心がない若き友人にも、地域連帯の素晴らしさを感じて欲しかったからだ。路地に立つアパートの3階まで上がり店の呼び鈴を鳴らすと、扉が開き、髭を生やした浅黒い青年が迎えてくれた。理髪師養成校の卒業生で、2カ月ほど前からこの店で働いているイリアン(24)だ。すると突然、彼とユーヒが揃って、
「なんでここに!」