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「大吉原展」で突き付けられた、性搾取の構造を覆い隠す「日本文化」(1)

仁藤夢乃(社会活動家)

 この美術展では、遊女たちには知性と才能があり、教養を身につける努力を惜しまなかったということもたびたび紹介されていた。今でも性売買の現場では、買う側や業者が女性をランク付けしたり、逃げ出せなくしてそこで生きるしかないと諦めさせ、覚悟やプライドを持たせたりすることでトップになれるよう努力させている。吉原の遊女たちも、そうやって教養を身につけさせられたのではないか。抜け出せない環境の中で、諦めの先の生き延びるための手段だったのではないか。女性たちはより良い環境や立場を得るため、努力せざるをえない状況にあったはずだ。それを彼女たちの自由意思(主催者は「自由意志」と表現)や選択としては語れないと思った。私だったらどうしただろうかと、ひたすら考えてしまった。そしてそこからこぼれ落ちた、能力や才能がないとされた女性がより劣悪な環境で性売買せざるを得なくなったり、死んでいったりするのも今と同じだ。

 会場では、実在した吉原の遊女166人を「教養がある存在」として男の絵師が描いたという図録も展示されていた。「一人ひとりの遊女にお茶やお花をやらせたり、文字を書かせたりし、教養があることを意識して作られた」という説明に、私は鳥肌が立った。これが「大吉原展」の図録では、「豪華絵本」と紹介されている。現代でも医者や薬剤師、看護師、飛行機の乗務員、大学教授や東大生など、あらゆる「賢い」女性たちが性的な支配対象となりアダルトビデオなどでもモチーフにされている。男たちはどんな女性たちも買うことができるし、女たちはどんなに教養を身につけても消費され「買われる」ことから抜け出せない。そして男たちは、そんな教養や品格のある女性をも買うことができるのだと自分の地位を確認し、さらに支配欲を満たしている。

 客は、自分が買う女性に対して「理想通りであってほしい」と完璧を求め、女性に才能や教養があっても、自分より低い存在として捉えているから買うことができる。「お大尽」がたとえいくらお金を積んだとしても、遊女をたてて自分より上であるかのように男たちが扱ったとしても、それらは人情ではなく、対等な関係であるはずもなく、女性に対する支援でもサポートでもなく、支配の中での関係性だ。根底には徹底した差別があり、男たちはそれすらも楽しんでいる。それは今も変わっていない。

「当時の人々が遊女たちの毅然とした品格に対して、ある種の敬意を持っていた」ということも展示で伝えられている。しかし展示を観ながら想像してみても、その敬意は遊女とされた女性の「人となり」に向けられたものではなく、「自分たちの理想の女性であること」に向けられていたものだと感じた。

 吉原には「男と女の人情があった」とか「家族のためにここまでする女性たち、それを支えたお大尽」として、愛や仁の物語として男たちが記録したことも、そう理解したい人が多いのもよくわかる。今の買春男たちも、世間の多くの人たちもそうだからだ。男たちが生み出したきらびやかな性売買の幻想に惑わされて現実を見ようとしていなかったり、現実を知っても、変えるのは到底無理だと感じられるような強固な社会構造や権力に抗ったり、それを容認してきた自身の加害者性に向き合ったりするのは楽なことではないからだ。

「大吉原展」でもそうだった。吉原をきらびやかな世界として描き、その演出によって性売買が日本の文化として根付き、今も影響を及ぼしていることについては示されていなかった。これまでそれらの「作品」が美術品として鑑賞され、評価されてきた事実をどう捉えなおすのか……それがなかった。

 性売買が当たり前にある日本社会の中では、この展示を観て、きらびやかな吉原の世界に目を輝かせても、性売買の中にいた女性たちの痛みや今も続く吉原の負の影響については目を向けない人がほとんどだろう。

「大吉原展」で突き付けられた、性搾取の構造を覆い隠す「日本文化」(2)へ続く。

著者情報

社会活動家

仁藤夢乃

にとう ゆめの

1989年生まれ。中高時代に街をさまよう生活を送った経験から、10代女性を支える活動を行っている。これまでに夜の街でのアウトリーチ、シェルターでの保護や宿泊支援、シェアハウスでの住まいの提供といった活動を展開。第30期東京都「青少年問題協議会」委員。厚生労働省「困難な問題を抱える女性への支援のあり方に関する検討会」構成員を務めた。TBS「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演中。著書に『難民高校生』(英治出版)、『女子高生の裏社会』(光文社新書)。

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