第20回 星野光世「戦争と想像力」
星野光世(戦争孤児の会会員)
(構成・文/朴順梨)
「いいえ。だってまだ子どもでしたから、国を疑うなんてことはありませんでした。だから生きてこられたのかな。終戦時に9歳だった永田郁子さんが、お会いした時に『子どもだった頃よりも、今の方が苦しい』って言ったんです。年を取った今の方が、孤児になった悲しみが深いと言うんですよ。子どもの頃には見えなかった、世の中が見えてきますからね。それに戦争が始まると、誰もが夢中になっちゃうんです。あれ、何て言うんでしょうね。一種の催眠みたいな。それが怖いです。最初の頃は戦争に反対していても、いつしか翼賛する方向に変わる人も多かったですから、私は戦争そのものが怖い。始まるところまで行っちゃったら、もう遅いんです」
終戦後に身を寄せた千葉の伯父は大農家で、農繁期になると星野さんも学校を欠席し、作業に駆り出された。しかし農作業そのものは嫌ではなく、よく働いたおかげで丈夫になったと笑う。それでも20歳を過ぎたら、東京に戻ると決めていたそうだ。
「伯父は優しい人でした。実の子どもがいないから、私をそばに置きたかったらしいんですけど、それを知っても東京に戻る気持ちは変わりませんでした。縁談も色々ありましたが、育ててもらった家からお嫁に行くと、『育ててもらった』という気持ちが抜けきらないんじゃないかと思ったし、自由に生きたかったんです。私、わがままなんですよ、すごく(笑)。でも学校に行かせてもらったから、卒業してから何年かは伯父の農業を手伝いました。育ててもらった恩はそれで返せたと思ったので、以降は自分の人生を歩みたかったんです」
こうして自分の人生を歩んできた星野さんは、80歳を過ぎてからもなお、新しい出会いを果たしている。中国の重慶で起きた「重慶大爆撃」のイラスト制作を、被害者と遺族からなる「重慶大爆撃訴訟」(2006年に始まった日本政府を相手に、爆撃による被害の補償と謝罪を求める裁判)の弁護団から依頼されたのだ。重慶が焼き尽くされる様子をやはり優しいタッチで描いたイラストは、2017年10月に九段生涯学習館(東京都千代田区)でのイベントで展示された。
「私、自分がそうだったから戦争孤児の思いは分かるんですけど、戦争に関しては何にも分かっていないって気付いて。だから今、中国の重慶であったことを教えてもらっているんですけど、本当にびっくりすることばかりで。日本がかつて重慶を攻めて死者を出したことすら、よく知らなかったんです。だから描いていますが……すごく難しくて。下描きまではいいんですけどね。炎は色鉛筆だとうまく表現できないから絵の具を使うんだけど、失敗しちゃう。もう何枚同じ絵を描いたか。でも戦争の話を聞けば聞く程、描きたくなるんです。本って1冊出すと、次も出したくなるものなんですね(笑)」
