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連載

スレブレニツァの虐殺から23年。戦犯の息子、ダルコ・ムラジッチの声

第7回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 ボスニア紛争において最も悪名高い「スレブレニツァの虐殺」。その「戦犯」として裁かれたセルビア人、ラトコ・ムラジッチ将軍とはどのような人物か? 20年以上を経て息子が語る父の姿、紛争当時のセルビアの様子、そして旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所のもたらした問題をつづる。

 

 ボスニア紛争時、国連は急増する難民や、人道危機の拡大を憂慮して、1993年に「安全地帯構想」というものを打ち出した。国内の六つの都市が安全地帯の指定を受け、この地帯においては、武力行使の停止と即時撤退が求められ、援助物資の輸送など人道支援活動への妨害が禁じられた。ボスニア系のムスリムが人口の約8割を占めるボスニア東部の都市スレブレニツァはその6都市の一つで、一般住民を保護するために国連保護軍(UNPROFOR)のオランダ部隊が駐留していた。
 95年7月6日、その地にラトコ・ムラジッチ将軍が指揮するセルビア人共和国軍が攻め入った。約200名しかいないオランダ部隊はこらえきれず、迎え撃つボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍も圧倒的に劣る兵力の差から抗えず、スレブレニツァは5日後の11日に陥落した。
 事件はその後に起こった。スレブレニツァに残っていたムスリムの一般市民が男性と女性に選別され、7000~8000人の男性が10日間かけて虐殺されたのである。これが第二次世界大戦後のヨーロッパで起きた最悪の集団殺害事件と言われる「スレブレニツァの虐殺」である。同年7月、殺害の指示を出したとされるムラジッチを、ICTY(旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所)は「人道に対する罪」および「ジェノサイド罪」で起訴し、指名手配する。以降、ムラジッチは潜伏する。2011年5月に逮捕されるまで16年にわたる逃亡生活を続けるのである。ムラジッチは、17年11月、オランダ・ハーグのICTY法廷において、終身刑を言い渡された。

スレブレニツァで何が行われたのか

 私が初めて「彼」の存在を知ったのは、09年1月に東信堂から刊行された長有紀枝(おさ・ゆきえ)著『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』によってである。「難民を助ける会」の理事長である長は東京大学大学院の博士学位論文を加筆修正して本書を書き上げた。NGO職員として長くボスニアで活動を続けた現場経験、そしてアカデミシャンとしてエビデンスに特化した資料収集と冷静な分析がブレンドされた名著の365ページにはこうある。
「出会いは、偶然のものだった。当時(引用者注・1995年3月)難民を助ける会は、医療支援が中心であったことから、ベオグラード大学の医学生を職員として採用していた。(中略)『ミズ・オサ、出張の前に、会ってほしい友人がいるんだけれど』。同じくベオグラード大学の大学生というハンサムな友人はDといった。そして姓はムラディチ、ムラディチ将軍の一人息子だった。こうして私は、彼の父親に会うことになった」
 ここで長はムラジッチ将軍に会うのである。虐殺の4カ月前である。ムラジッチはそのときの長の「なぜ、戦うのか」の質問にこう答えて涙を流している。
「家族のため。家族を守るためだ」(同書366ページ)
 長は将軍の印象をこう書いている。
「この時のイメージが鮮烈で、その時から、ムラディチ将軍は、私の中では、極悪非道の戦犯である前に、気のいい青年D、誰からも愛されていたというアナ・ムラディチ(引用者注・Dの姉で94年に自殺)の父であり、夫であり、国を愛するセルビア人であり、また義理人情を重んずる軍人、と映った。しかし、本書の執筆過程で目にした、ムラディチ発言はいずれも目を覆うものだった。『国際人道法を遵守する』『お前たちにはいかなる危害も与えない』と犠牲者たちに断言しつつ、スレブレニツァのムスリム人男性を虐殺し、虐殺後は隠蔽工作のため、遺体の発掘や再埋設を指示、実行していた数々の記録に遭遇した」(同書368ページ)
 スレブレニツァの虐殺事件の前にムラジッチに会った数少ない日本人の一人である長にとって「なぜ、あの人がこんな蛮行を?」という問いがいつまでも解消されない。それこそが本書執筆の動機であったという。長は現場や資料に注意深く分け入り、マスメディアや他の学究が見落としているスレブレニツァの特殊性を明らかにしていく。
 スレブレニツァはセルビア人であるムラジッチにとって特別な土地であった。1992年に同地では、ムスリム武装勢力のリーダー、ナセル・オリッチによって、セルビア人が約1200人殺害されていたのである。
 そして国際社会に対する不信もあった。安全地帯構想は、スレブレニツァにおいてはセルビア人勢力にのみ武装解除を迫るものであった。95年5月にはNATO軍によるセルビア支配地域パレに対する空爆もあった。
 長は擁護でも憐憫からでもなく、ムラジッチが「異様な心理状態」であったこと、「セルビア人勢力にとって、スレブレニツァは、『戦犯』ナセル・オリッチが潜み、国際社会が一方的に手厚い保護を重ねてきた町である」ことを述べている(同書273ページ)。スレブレニツァの悲劇を矮小化するわけでも、もちろん免罪するためでもなく、再発防止のために「なぜ起きたのか?」という問いへの答えを探すのであれば、この丹念な調査は貴重である。

ICTYが問われる公正性

 ユーゴ紛争において、西側社会は一貫してセルビア悪玉論を流布していた。公正であるべき国際調整グループも、結果的にセルビア人勢力を精神的に追いつめていった。実際、セルビア人たちの間では、ムラジッチをボスニアで困窮する同胞のために戦った英雄として称賛する声は少なくなかった。
 そして紛争の最中に国連安保理によって作られた国際刑事裁判所、ICTYの存在。セルビア人は日本人ジャーナリストを見かけるとこれをよく「(戦勝国が裁く)トーキョー裁判と同じだろう?」と問いかけてくる。
 国際法で裁く司法裁判所でありながら、ICTYはそもそもアメリカ主導のセルビアバッシングの流れの中で設立されたものであった。それ故に立ち上がった当初から反セルビア色は否めなかった。これも長の仕事であるが、ICTYに戦争犯罪で起訴された容疑者の民族の内訳を見てみるとセルビア人67%、クロアチア人21.7%、ムスリム5.6%(「旧ユーゴスラビア戦犯法廷が遺したもの」、『世界』2018年3月号)とボスニアの主要3民族の中でも突出してセルビア人が多い。確かに、犠牲者の面から考えればムスリムの数が最も多いのが事実であるが、紛争中はユーゴスラビア全土でそれぞれ同様の人道崩壊があったと多くの証言がなされているので、容疑者の民族的な比率がこれほど偏っているのは、やはり不自然であろう。
 個々の事例に関しても、例えば先述したセルビア人を1200人虐殺したというムスリムの武装勢力指導者ナセル・オリッチの量刑は、訴追した検察のカルラ・デル・ポンテが「短すぎる」と嘆いた禁錮2年(事実上は2年の懲役刑)で済んでいる。また「クライナの嵐作戦」で、クロアチアからセルビア人を20万人以上追い出し、難民化させるという民族浄化を行ったクロアチア人のアンテ・ゴトビナ将軍に至っては、2011年の一審で懲役24年の判決が出されるが、翌年の控訴審では何と無罪となって釈放されている。「ゴトビナは何か大きな力で守られているのではないか」とクロアチア人ジャーナリストですら驚いていた。
 もちろん、だからと言って、無辜なる住民をだまして一方的に殺害したスレブレニツァの虐殺が相対的に矮小化されるようなことは断じてあってはならない。セルビア民族主義者による歴史修正の動きも見られるが、それは厳然たる事実である。しかし、国際社会の不公正はそれとは別の問題として論じられなければならない。

「戦犯の息子」への取材

 18年春。真実には向き合うとしながらも、ICTYは公正に裁いて欲しい、と声を上げ続けている「彼」に、筆者はベオグラードで会った。『スレブレニツァ』に登場するD。ムラジッチ将軍の息子、ダルコ・ムラジッチである。
 ダルコには終身刑で結審した戦犯の息子というレッテルが貼られ続けている。国際社会にとってはもちろん、一日も早いEU加盟を国是とするセルビアにおいて、ムラジッチ将軍はすでに国内法で裁くことを放棄し、ヨーロッパに差し出した犯罪人なのである(11年、ムラジッチ将軍は当時のセルビア大統領であったタディッチの意志の元、セルビア警察によって国内で逮捕され、ハーグに移送された)。紛争時にはセルビア民族の英雄としてムラジッチ将軍を讃えていた右派や身近な人々も、手のひらを返したように戦犯として冷淡な態度で批判している。17年11月にムラジッチ将軍の判決を出した後、ICTYも24年間の役目を終えて翌月に閉廷した。
 ダルコの声はあまりに弱く、小さい。それでも彼は発言を止めない。それならば聞かなくてはならない。その声を。

息子から見たムラジッチ将軍とは

 指定されたカフェにダルコは、身ぎれいなスーツ姿で現れた。仕事帰りだという。ダルコは今、IT系のアウトソーシングの会社に勤めている。長の感想にある通り、確かにハンサムである。そして物腰も柔らかくベオグラード大卒の知性も感じられる。過去に何人か取材したセルビア民族派右翼とは大いに異なる人物がそこにいた。

ベオグラードのカフェで取材したダルコ・ムラジッチさん(2018年4月)

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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