第26回 スポーツ(続・ひづめの音がきこえる)
前野健太(シンガーソングライター/俳優/エッセイスト)
競輪場からバスに乗り、宇都宮駅のひとつ手前で降りた。
目の前にいい感じの喫茶店があり、そこで一服。せっかく宇都宮に来たので、餃子でもと思い、店の女将さんにおすすめの店を尋ねた。女将さんは店の外まで出て、ここの道をまっすぐ行って、左の方に行くとあるわよ、と教えてくれた。
女将さんの指さす方へ、歩いて行くと、あった。餃子通り。ただおすすめの店は長蛇の列で、店の前に置いてある紙に名前を書いて、しばらくすると呼ばれる、そんなシステムだった。だいぶ人が待っていたので、諦めた。周りにもいくつか店があった。スッと入れそうな店が1軒あったので、そこに入った。おすすめの店ではなかったけど、しっかり美味しかった。
餃子通りを後にして、またしばらく歩いた。途中広場のようなところで、ジャズのようなフュージョンのような音楽が聴こえてきた。生バンドが演奏していた。うまいなーかっこいいなーと思いながらしばらく眺めた。自分は上手な演奏も、かっこいい演奏も出来ないのに、よく歌で飯を食ってるなと思った。こういう時、たまに思う。そして少し力が入る。自分は恵まれてる。運がよい。よくわからない力に突き動かされている。そんなことを思いながら演奏に小さくグーサインをして、バンドの前を通り過ぎた。
餃子通りにあった餃子撮影スポット
前日は、駅から車でライブ会場まで送迎してもらったので、いまいち街の感じを掴めていなかったけど、くねくね歩いていくと、駅と商店街、大通り、など全体がなんとなく掴めてきた。アーケード商店街を軸にして、裏通り、脇道、とくまなく歩いた。そこで気づいたことがあった。街を歩く人たちの表情が、柔らかいということ。そしてリラックスしてどこか楽しそう。もしかしたら、宇都宮の人たちは満足度が高いんじゃないかな、とそんなことを思った。
ライブの日に、本番までホテルの部屋で休んでいたが、テレビで見たバスケットボールの試合。宇都宮のチームが出ていて、応援も盛り上がっていた。さっきまでいた宇都宮競輪場。ここも「賭場」という雰囲気があまりなく、スポーツ観戦のような、日曜日のあたたかい雰囲気に包まれていた。来場者も老若男女、色んな客層がいて、和やかだった。通りを歩く人の柔らかさと、スポーツを楽しむ人たちに、どこか共通するものを感じた。たぶん、宇都宮はスポーツが盛ん。そんな想像をしてみた。
スポーツは良い。体を動かすし、汗をかくし、体に良い気がする。お腹も空くし。若い時や、競技なんかは競い合うことに軸が置かれがちだが、大人になってするスポーツは、プロでなければ、平和の象徴な気がする。得意とか苦手とかなく、ボールを一生懸命追いかけたり、その姿は美しい。汗、平和。その清々しさに似たものが、宇都宮の街に流れているのでは……。
そんなことをぼんやり考えていたら、すっかり日が傾いてしまった。帰る前に、誰かと宇都宮の人の満足度について話したい。こういう時は酒場か、バーか、喫茶店か。もう少し歩いてみることにした。
宇都宮はJRと東武の駅があり、東武の方はまだ歩いていなかった。商店街があるなら、やはり歩いておきたい。足はだんだん疲れてきていたが、少し粘ることにした。飲み屋の明かりがちらほら灯り始めていて、もうちょっとのんびりしていきたいなと思い始めていた。ただ、こんなに近い場所で、宇都宮でもう1泊はちょとなあ。新幹線ですぐ東京だし、そうぶつぶつ言いながら歩いていると、バッチリの茶店に出くわした。しかし、やっていなかった。残念に思いながら店の写真を撮っていると、後ろから声をかけられた。店のママさんだった。今閉めたばかりだけど、入っていく? と言うのだ。ありがたい。ありがたすぎる。いいんですか、と言いながら、申し訳なさよりも、喜びがまさっていた。

純喫茶、サンバレー
店の中は、ザ・純喫茶というよりはテレビやカラオケもあって、近所の人たちも集まる店なのかなと思った。話を聞くと、もう50年以上も店をやられているみたいで、ここら辺では一番古いと言っていた。サンバレーという店の名前の由来や、常連さんがサンバレーのロゴを入れたスウェットを作ってくれた話や、色々な話をしてくれた。開店当初は、若い子たちも雇っていて、ものすごい忙しさだったと言っていた。その話が印象に残った。ママさんの語り口から、その頃の様子が想像できた。思い浮かべる映像はなぜかモノクロだったけど、店の中がエネルギーで充満している、そんな光景が目に浮かぶ。俺らは今、ずいぶん静かな時代に生きているのか。そんなはずはないだろうけど、街はその頃に比べると、落ち着いて、歳を重ねたのかもしれない。
重ね重ねお礼を言い、店を後にした。
店を出ると、外はすっかり夜になっていた。肝心の、宇都宮の人は満足度が高いのでは、という話は聞けなかったが、ママさんは、体にわるいところはひとつもない、病院にも行かない、店に歩いて来ている、それが元気の秘訣なのよね、と、そんなようなことを言っていた。これで宇都宮とサラバ、もいいけど、まだ何か欲しがっていた。さっき通りかかった、坊っちゃん、というオレンジの暖簾が気になった。かなり古そうなお店で、その一角だけ、開発からのがれているような雰囲気があった。そこで1杯だけ飲んで帰ろう。歩いていくと、見えた。やはり暖簾が渋い。
坊っちゃん
なぜこの暖簾に惹かれたか。それはちょうど夏目漱石の『坊っちゃん』の文庫本を読んでいたから。店に入ると、L字型になったカウンターの端っこに、壁にもたれかかって、だいぶ酔ったお客さんがいた。焼酎をそのまま注いでくれ、とグラスを差し出し、大将も、だいじょうぶか、と心配していた。そのお客さんが、店に入ったばかりの自分に、よくこの店入りましたね、と言った。この店は最高ですよ、と。焼きそばがうまい、とも。そうですか、いや、暖簾が素敵で、暖簾がいい感じのところは店も間違いないですから、と返し、コップにビールを注ぎ、乾杯。本当は『坊っちゃん』を読んでいたから、というのもあるのだが、まあそこはどうでもよくて。卵焼きが美味しい、とそのお客さんが言ったのか、それを頼んでアテにして飲んだ。しばらくするといよいよその端のお客さんは泥酔して、ドタンと体を何かにぶつけて、店を出て行ってしまった。残された常連さんと大将は、少し心配していた。
少し静かになったので、大将に、やっぱり夏目漱石の「坊っちゃん」から名前取ったんですか、と聞くと、いやちがう、とあっさり。昔、店の向かいに大きなキャバレーがあって、若かりし頃、大将はそこで働いていたらしい。大御所の歌手が色々来て、大将は坊や(カバン持ちやステージの司会)をやっていたので、歌手たちから坊っちゃん坊っちゃんと可愛がられていた。だから「坊っちゃん」にしたんだと。いい話だなと思った。やはり粘って正解だった。残って正解だった。新幹線もまだ、ある。
帰り際、宇都宮の満足度について聞こうとしたが、別のお客さんとアツい話になっていたので、店を出ることにした。駅まで少し距離はあったけど、夜風が心地よかったので、歩いて行くことにした。
途中立派な橋がかかり、そこから川が見えた。宇都宮の人たちの満足度については、勝手な妄想だったかもしれないけど、川を見ながら、また来る気がする、となんとなく思っている自分がいた。
川