アメリカは「過去よりも未来」、「分断より連帯」を呼びかける女性大統領を選ぶことができるのだろうか?~2024年アメリカ大統領選を読む
渡辺由佳里(エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家)
2023年に弁護士からオハイオ州選出の連邦上院議員になったヴァンスは、2016年にアメリカで刊行された『ヒルビリー・エレジー』(邦訳は関根光宏・山田文訳、2017年、光文社)という回想録の作者として有名である。この本の中で、彼は法科大学院の修了式で、リベラル寄りとして知られるソニア・ソトマイヨール最高裁判事がスピーチしたことを紹介しているし、「オバマやブッシュや企業を非難することをやめ、事態を改善するために自分たちに何ができるのか、自問自答することからすべてが始まる」と書いている。本の内容からは中道思想であることが感じられる。ヴァンスの妻も最近までは民主党員だった。
そんな背景をもつヴァンスなのに、2023年の上院議員選では共和党から出馬した。現在は、民主党のリベラルな思想のせいで「結婚して子どもを産み、夫のために尽くす」という伝統的な女性の役割が失われていることを嘆き、「古き良き時代」に戻すべきだと主張するようになっている。ヴァンスがイェール大学の法科大学院で出会った妻のウーシャの両親はインドからの移民であり、ウーシャ自身が非常に有能な民事訴訟専門の弁護士である。そんなヴァンスが「女は結婚して子どもを産んだら家庭にこもるべき」と主張するのも、「オハイオ州でハイチからの不法移民がペットを誘拐して食べている」という根も葉もない噂をSNSに流して移民に対する悪感情を掻き立てているのも理屈にあわない。だが、彼が政治的野望のために信念をもつことそのものをやめたと考えると納得できる。
とはいえ、キャット・レディ発言でヴァンスに賛同する人はほぼ皆無で、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「養子であっても自分で産んだのと同じ我が子だ」といった反発が多かった。そして、「私も独身のキャット・レディだけどハッピーですよ」といったユーモアある反論がソーシャルメディアを駆け巡ってハリスは支持者を増やし、「キャット・レディ」は流行語になった。
ハリスとトランプのディベート直後、テイラー・スウィフトは愛猫と一緒の写真を使ってインスタグラムでハリス支持を公表した。この時、「With love and hope, Taylor Swift Childless Cat Lady(愛と希望をこめて、テイラー・スウィフト 子どもがいないキャット・レディ)」と締めくくったことには、こういった背景がある。

テイラー・スウィフトの投稿
ハリスは勝利できるのだろうか?
スウィフトのハリス支持は多くの人がすでに予測していたことだが、リベラルだけでなくジョージ・W・ブッシュ元大統領の副大統領を務めたディック・チェイニーなど古い共和党の重鎮たち、そして過去にトランプのもとで働いた人々も最近になってハリス支持を公表している。
ここまで読んだ人は「ハリス勝利は明らか」と思うかもしれない。しかし、私の周囲のハリス支持者の中で安心している人は皆無である。彼らはトランプが勝つ可能性を信じているし、恐れている。それは2016年に大勝を期待されていたヒラリー・クリントンがトランプに敗れた大統領選挙を覚えているからだ。
トランプとハリスが男性候補同士の対決であったなら、恐らく「トランプには勝ち目がない」ということで多くの人の意見が一致したことであろう。けれども、テイラー・スウィフトもそうだと思うのだが、男性社会で長年働いた女性なら、トランプやヴァンスのような男性が実際には自分より昇進するし、トップに立つことをよく知っている。トランプのように自分の間違いを指摘されると怒り、怒鳴り、個人攻撃をするタイプの上司には、女性でなくとも誰もが見覚えがあると思う。部下が素晴らしい業績を上げたら自分の手柄にし、自分の失敗は部下のせいにする(ディベートで2021年の米議事堂襲撃事件での責任を質問された時、トランプは他人のせいにした)。そんな上司など誰ももちたくないはずなのに、なぜかそういった上司に媚びてしまう人が多いのも事実である。
有罪判決を受けた犯罪者のトランプが再び大統領になる可能性はいまだに高いのは、人間というものは、理論ではなく、強い感情に流されやすい存在だからだ。
私は長年アメリカの有権者から話を聞いてきたのだが、彼らが語る支持や反対の理由の根底に「自分を肯定したい」という強い欲求があることがわかってきた。自分の人生に満足していない人や他人と比べて引け目を感じている人であっても、他人から「もっと良い人生を送りたいのであれば、もっと努力せよ」とは言われたくはない。「あなたは悪くない。あなたから仕事や機会を奪った他人が悪い。社会が悪い」と言ってもらえたらほっとする。そして自分のほうが他人よりも優れている理由を与えてくれる人に好感を抱くものである。
トランプは、白人男性が「白人であり、男性である」という理由だけで、マイノリティや女性よりも優れていると信じることを肯定してくれる。トランプが繁栄から取り残された地方の白人、特に白人男性から支持を得ている最大の理由はそこにある。
白人女性がハリスを支持しない奇妙な言い訳
一方で、女性蔑視発言が多いトランプをいまだに支持する白人女性が多いのは不思議に思える。だが、直接話を聞き、ソーシャルメディアでの言動を観察すると、移民やマイノリティなどの人権が重視されるようになるにつれて彼女たちが長年抱いてきた価値観を否定されていくことへの危機感や不快感を抱いていることがわかる。
2016年の大統領選挙では、すべてのディベートでヒラリー・クリントンはトランプを圧倒していた。それにもかかわらず選挙に勝ったのはトランプだった。分析からわかったのは、白人女性の43%がヒラリーに、53%がトランプに票を投じたという結果だった。
その53%の中には「ヒラリーは嫌い。クッキーを焼かないとか、あの変なヘアバンドとか」と奇妙な理由でヒラリーへの投票をためらっていることを私に告白した義母も含まれている。義母とその友人たちは古いタイプの共和党支持者であり、裕福な階級の白人である。しかし、彼女らは女性の妊娠出産に関する「選ぶ権利」(避妊や中絶などを選択する権利)に関しては共和党に公然と反対している。「ロー対ウェイド判決」を支持し、現在の共和党が敵視している全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America、PPFA)の長年のメンバーとして資金集めのチャリティイベントも行っている。トランプに関しては「下品だ」と眉をひそめる。それでも、今回の選挙で、中絶などの権利を守ると明確に発言したハリスに投票するかと問うと、「あの笑い方が嫌い」と、彼女に票を投じたくない自分の心情について奇妙な言い訳をしたのである。
私が身近で体験しているように、アメリカの女性がトランプを支持する、あるいは好きではなくても受け入れてしまうのは、実は不思議な現象ではない。義母やその友人たちは、自分たちを見下げてきた伴侶についての愚痴は語るが、彼らの経済的成功の恩恵で裕福な専業主婦としてチャリティ活動に勤しむことができた自分の立場を変えたいとは思っていない。また、彼女たちは決して認めないが、マイノリティが自分より下の立場でいる場合には優しくなれるけれど、上の立場に立たれることは不愉快であり、許せないのである。彼女たちは共和党が政権を握っているほうが現在のステイタスを維持できると直感しているので、それを維持できなくなる変化をもたらす民主党を支持できないのだろう。
アメリカにとって「変化」は希望か、それとも絶望か
他にも理由はある。アメリカの作家であり歴史家でもあるレベッカ・ソルニットは、エッセイ集『それを、真(まこと)の名で呼ぶならば』(邦訳は筆者訳、2020年、岩波書店)の中で2016年の大統領選挙でのヒラリー・クリントンの敗北について次のように書いている。
著者情報
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家
渡辺由佳里
わたなべ ゆかり
助産師、日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、1995年よりアメリカ在住。ニューズウィーク日本版に「ベストセラーからアメリカを読む」、ほかにcakes、FINDERSなどでアメリカの文化や政治経済に関するエッセイを長期にわたり連載している。主幹する「洋書ファンクラブ」では年間200冊以上読破する洋書の中からこれはというものを読者に向けて発信し、多くの出版関係者が選書の参考にするほど高い評価を得ている。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。著書に『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(2017年、晶文社)、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(2020年、亜紀書房)、『アメリカはいつも夢見ている』(2022年、ベストセラーズ)など。翻訳書に、『毒見師イレーナ』(マリア・V・スナイダー著、2015年、ハーパーコリンズ・ジャパン)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(デイヴィッド・ミーアマン・スコット他著、糸井重里監修、2020年、日経ビジネス人文庫)、『それを、真の名で呼ぶならば』(レベッカ・ソルニット著、2020年、岩波書店)などがある。