遺伝子組み換えを超えた技術「ゲノム編集」でヒトはどう変わる?
石井哲也(北海道大学安全衛生本部教授)

こうした中、ヒト受精卵で試したいという研究グループが次々と名乗りを上げている。2015年以降、遺伝子疾患に対する究極の予防医療を目指すヒト受精卵ゲノム編集の基礎研究が、中国とアメリカから5例発表された。この2国では、遺伝子改変を伴う生殖は国の規制で禁止されているのだが、タブーを承知の上で臨床応用に向けて基礎研究を進めるところに執念さえ感じる。しかし、こうした基礎研究が順調に進んだとして、生殖医療クリニックにおいて体外受精で作られた受精卵にゲノム編集が実施される日は来るのだろうか。
イギリスでは2015年、ミトコンドリア病発症予防が目的の、卵子や受精卵での核移植が解禁された。同様に、ゲノム編集を使う予防医療が実施されることは不可避と見る専門家もいる。この場合、ゲノム編集被験者自身はまだ生まれていないわけで、体外受精などと同様、同意するのはその子の親になる夫婦と考えられる。血のつながった健康な子を望む夫婦のため、健康な誕生という子の福祉のためなら、親の同意で正当化できるという理屈だ。だが、そこには大きな倫理的問題がありそうだ。例えばオフターゲット変異が見逃された場合、疾患予防どころか疾患を持つ子が誕生する恐れがある。技術が優れていてもリスクのない医療はない。
出生前診断で変異修復が失敗したとわかれば、人工妊娠中絶を選ぶ夫婦も出るだろう。新薬の臨床試験で被験者に副作用が起きた場合、全力で治療救済に当たるのが常だが、ゲノム編集後の胎児が殺生されるならば、当初の子の福祉という目的とは真逆の対応だ。胎児はある時期まで人ではないという主張もあるが、倫理的矛盾がある。
さらに、ヒト受精卵ゲノム編集による生殖が一定の成功率を収めたとして、子の外見や身体能力の向上といったデザイナーベビーのような利用へ転用されないと断言できるだろうか? 現在でも、親の希望を叶えるための男女産み分けの生殖医療コーディネートなどの広告がインターネット上に出回っているという状況がある。
ゲノム編集の力への盲信に対する危惧
2017年8月14日、「YOMIURI ONLINE」が、日本の一部のがんクリニックが海外で承認された遺伝子治療承認製剤を輸入し自由診療で提供していると報じた。自由診療や輸入製剤自体に大きな問題があるわけではない。しかし、大学病院での治療をやめ500万円以上の治療費を支払って、遺伝子治療を受けた結果、患者が死亡、その遺族がクリニックを告訴した事例があったという。
リスクの説明と同意の過程に問題があったと考えざるを得ない。あるいは十分な臨床成績の裏付けがある保険診療とそうではない自由診療の違いは理解していても、遺伝子治療に過剰な信頼を寄せて同意してしまったのではないか。日々口にする食品では脅威に映り拒絶する遺伝子改変の威力も、命に係わる切実な状況ではその威力に救済を見てしまうのかもしれない。
また、医療現場以外では、ゲノム編集による遺伝子改変を見せびらかすことが目的と思われる事例もすでに起きている。いわゆる「バイオハッカー」と呼ばれる人たちによる喧伝だ。2017年11月、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、筋肉隆々となるCRISPER/Cas9を自己注射する姿をネットにアップしたバイオハッカーの男性らに警告を出した。
これほどまでに普及しているゲノム編集が、さらに違った目的で使われる危惧も高まっている。冒頭に挙げたドーピングである。2002年、WADAはシンポジウムを開催し、03年に遺伝子組み換え技術を使用した「遺伝子ドーピング」を禁止した。さらに、ゲノム編集関連製剤も2018年から遺伝子ドーピングに加えると決定した。
これまで違反事例はないが、ゲノム編集の手軽さや改変能力を考えると、WADAの迅速な対応は頷ける。これまでドーピングを禁止してきた理由は、選手の健康への悪影響のほほか、競技の公平性、練習や鍛錬による努力の価値を損なう恐れがあるからだ。一方、ゲノム編集を使った場合、遺伝子ドーピングと生まれつき持っている差違との区別がし難いとの指摘がある。受精卵にゲノム編集を使う場合はとりわけ区別が難しそうだ。だが、違反取り締まりが難しいことを、ドーピング違反を放置する言い訳にしてはならない。
バランス感覚を持った議論が重要
日本では、遺伝子組み換え技術をめぐるコミュニケーションがうまく進まなかったと言わざるを得ない。国と開発者、生産者と消費者の二者間に大きなギャップがあり、例えば野外栽培が承認された遺伝子組み換え作物が132あっても、青いバラなど鑑賞花を除けば商業栽培されたものはいまだない。
遺伝子治療については、国、医療者、患者の三者間でギャップがありそうだ。海外と異なり、日本では遺伝子治療が承認されたことはないが、その一方で遺伝子治療の効果が拡大広告され、大金が支払われている。
今後、日本でもゲノム編集の医療応用が進むであろう。ただし重篤な遺伝子疾患や難治がんなど切実なニーズに対し、リスクを十分に管理した中でのみ許容されるべきだ。臨床試験参加の前に、患者または代諾者に「ゲノム編集」の意味、そしてその治療の利益のみならずリスクも十分理解してもらうようにしなければならない。
生殖医療に関しては、患者が生まれていない段階での遺伝子改変という大きな問題を抱えており、安易に踏み込むべきではない。2017年12月、内閣府は指針で禁止すべきだとする報告書をまとめたが、研究者向けルールである指針の罰則は概して弱く、規制としての実効性は疑問である。また、これから親になる人たちがゲノム編集を伴う生殖医療を国内あるいは海外で安易に求めないか懸念される。なぜなら日本では年間42万件(2015年)もの体外受精が実施される、世界でも有数の生殖医療に依存した国だからだ。
ゲノム編集は将来、社会に恩恵をもたらす可能性がある一方で、不適切な提供や乱用も懸念される。適切に研究開発を進めるには、研究者だけでなく様々な立場の人々が遺伝子改変の恩恵のみに目を奪われず、正と負のシナリオをバランスよく議論する機会も育むべきだ。それがなければ、遺伝子やゲノムというレンズを通して人を見る歪んだ社会、遺伝子至上主義がはびこり多様性が排除された画一的で冷たい社会が到来しかねない。
著者情報
北海道大学安全衛生本部教授
石井哲也
いしい てつや
1970年、群馬県生まれ。名古屋大学大学院農学研究科博士課程前期課程修了。北海道大学博士(農学)取得。科学技術振興機構、京都大学iPS細胞研究所などを経て、2013年北海道大学安全衛生本部特任准教授に。15年より同大学安全衛生本部教授。研究分野は生命倫理、特に医療と食のバイオテクノロジーと社会の関係。読売、朝日、毎日新聞などへの寄稿、NHK「視点・論点」などのテレビやラジオでも活躍。著書に『ゲノム編集を問う ?作物からヒトまで』(岩波新書、2017)、『ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影』(イースト・プレス、17)ほか。(2018.1)