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相模原事件裁判傍聴記〜「歌手とか野球選手になれるならなってると思います。(事件は)自分がなれる中で一番有意義だと思いました」(植松聖被告)

植松聖被告の法廷に通って

雨宮処凛(作家、活動家)

相模原の障害者施設で入所者を殺傷した事件の植松聖(うえまつ・さとし)被告について、雨宮処凛さんは、取材を重ねてきた。2020年1月から始まった事件の裁判、2月の法廷の傍聴記をお届けする。

撮影/雨宮処凛

「あなたは小学生の時、『障害者はいらない』という作文を書いてますね?」
 法廷で、被害者側の弁護士にこう聞かれた植松聖被告は「はい」と言った。
 その瞬間、これまでの傍聴で積み上げてきた「植松聖」像がガラガラと崩れる音がした。それは法廷で初めて語られた事実だった。これまでの裁判での友人たちの供述は、「事件前年までは普通だった」「小中学校の同級生は彼から一度も障害者を差別するような言葉を聞いたことがない」「小中学校の時、障害がある生徒を同級生として受け入れていた」というものだったからだ。

私が植松被告の裁判に通う理由

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺されたのは2016年7月。事件前には衆議院議長に犯行を予告する手紙を送り、犯行直後、SNSに「世界が平和になりますように」「beautiful Japan!!! !!!」と投稿し、自首したのは26歳(当時)の元施設職員だった。
 事件から3年以上。20年1月8日、やっと裁判が始まった。
 そんな裁判に、私は通っている。2月7日現在、12回行われた公判のうち6回を傍聴している(1月20・24日の傍聴記はこちら)。なぜ通うかといえば、この事件と日本社会の空気には大きな関係がある気がするからだ。
 例えば植松被告は逮捕後、日本の借金を憂える発言を繰り返している。日本の財政は破綻寸前、そんな危機的状況の中、障害者を生かしておく余裕なんかない、という言い分だ。障害者を殺傷した犯人が口にすると、ことさら「異常さ」が際立つその言い分はしかし、私たちの日常に溶け込んでもいる。
 いつからか「高齢化」が報じられる時は「医療費としてこれだけの金がかかっている」などお荷物感とセットで語られ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度“命の選別”をするのは仕方ない」という空気は気づけばこの国を覆っている。10年前だったら口に出すのがはばかられた考えだろう。が、残酷な「本音」が「建前」を打ち破り、「命は大切だ」というような「正論」を口にする者が「現実を何も分かっていない」と嘲笑される光景があちこちにある。
 そんなこの国に溢れる「生産性」「迷惑」「一人で死ね」という言葉。「失われた20年」を生きる私たちは、「障害や病気があれば公的に守られるけど、障害者でもなく病名もないなら自己責任で競争に勝ち続けてください。負けたら野垂れ死でよろしく」という無理ゲーをこの20年以上強いられている。

面会室で向かい合った植松被告の印象

 相模原事件は、そんな自己責任社会がぱちんと弾けた象徴のように思え、私はこの事件をずっと考えてきた。19年9月には『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)という対談集も出している。
 そうして裁判が始まった今、傍聴を続けているのだが、公判を見れば見るほど謎は深まるばかりだ。植松被告は法廷でも、「障害者は不幸をつくることしかできません」といった事件前からのスタンスを崩すことなく主張し続けている。障害者がお金と時間を奪っている、障害者に使うお金を他のことに回せば戦争がなくせる、世界平和につながる、という荒唐無稽としか言いようのないものだ。
 一方で、公判を見ていると、植松被告は私が考えていたよりもずっと深刻な「妄想」状態だったのでは、と思わせるエピソードが次々と出てくる。世界の出来事を予言するという「イルミナティカード」への傾倒。「障害者を殺せばトランプ大統領が絶賛してくれる」「自分は選ばれた人間である」というような事件前の発言。また「UFOを見た」「日本は今年滅びる」「横浜に原子爆弾が落ちる」などと法廷で堂々と述べている。

 一体、彼の精神はどのような状態なのか、確かめるべく、1月30日には横浜拘置所に面会に行った(面会についての記事はこちら)。
 面会室で向かい合った植松被告は法廷で見るより「普通」で、しかし、同行した人が事件に触れると「自分の考えは正しいと思います」と頑なに主張。障害者がいらないなんて間違ってる、と言われると「それこそ間違ってる」「不幸な人がたくさんいるのに、ヨダレを垂らしてるような人が生きているのがおかしい」とぴしゃりと言うのだった。
 少しでも「攻撃された」と感じると、スッと心を閉ざして自分の主張を投げつける。面会の最後には唐突に「雨宮さんに聞きたいんですけど、処女じゃないですよね?」と私に質問。病気には見えないけれど、どこかが決定的にズレている。そんな印象を強く持った。

そもそも彼はなぜ障害者施設で働いたのか

 そんな植松被告、これまでの裁判では「事件前年の15年から急におかしくなった」というのが友人たちの供述調書から浮かび上がってきたことだった。それまではフットサルやバーベキューが好きな「チャラい」若者。が、やまゆり園で働き始めて2年目の15年頃からしきりに「障害者はかわいそう」と言うようになったという。「食事はドロドロ」「車椅子に縛りつけられている」等々。また、この頃から妄想じみた言動がひどくなり、約50人に「意思疎通のできない障害者を殺す」と言うようになる。行きつけの理髪店の担当者にまで言っている。
 しかし、2月6日に傍聴した第11回公判で、冒頭のように被害者弁護士に「あなたは小学生の時、『障害者はいらない』という作文を書いてますね?」と問われた植松被告はそれを認めた。書いたのは低学年の頃だという。
 また、この日の裁判では、中学生の頃に一学年下の知的障害者の生徒が同級生の女の子を階段から突き落としたのを見て、その障害者の腹を殴ったと発言。これも初耳だった。ではなぜ、そもそも障害者にいいイメージを持っていなかったのにやまゆり園で働いたのか。裁判でそう聞かれると、「仕事として考えればそんなに辛いことはないと思いました」と答えた。やまゆり園の前には配送会社で働いているのだが、そちらの給料について被害者側の弁護士に聞かれると、「23、4万円」と回答。一方、やまゆり園は19〜21、2万円で年60万円のボーナスも出たという。これまでの友人の供述調書によると、植松被告は配送会社を体力的にキツいという理由でやめている。

相模原事件の公判があった1月8日の横浜地裁

自分ができる一番有意義なこと、と言い放った植松被告

 さて、2月5日の法廷では、二人の被害者家族からの質問があった。一人は事件で亡くなった甲Eさん(女性・当時60歳)の弟。もう一人は事件で怪我をした尾野一矢さん(46歳)の父・剛志さんだ。ちなみに「甲Eさん」というのは被害者の多くが匿名を希望しているからで、法廷ではこのような名前で呼ばれている。
 姉の遺体と対面した時の話をしながら涙を拭い、どうして殺したのかと問いかける男性に、植松被告は淡々と言った。
「意思疎通のとれない方は、社会にとって迷惑になっていると思ったからです」「殺したほうが社会の役に立つと思ったからです」
 男性が「(あなたの)コンプレックスが事件を引き起こしたのではないですか」と問うと、植松被告は答えた。
「あー……確かに、えー、歌手とか、野球選手になれるならなってると思います。自分がなれる中で、一番有意義だと思いました
 ポロッと出た本音に思えた。が、歌手や野球選手というキーワードは、30歳になった男性が持ち出すものとしてはかなり幼く思えた。この件については、翌6日の法廷で被害者側の弁護士に以下のように質問されている。

  弁護士 昨日、コンプレックスが事件を起こした、野球選手になれば事件はなかったということでしたが。
  植 松 そうだと思います。
  弁護士 人前に出たり、注目されたいということですか?
  植 松 人前や注目じゃなくて、楽しそう。
  弁護士 楽しそうだと事件を起こさなかった?
  植 松 こんな事件に興味なかったと思います。
  弁護士 あなたの人生楽しくないから事件を起こした?
  植 松 そうではなくて、楽しみたいから思いつきました。人の役に立つことを。
  弁護士 有意義な人生を別の形で送れていれば、事件を起こさなかった?
  植 松 興味なかったと思います。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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