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社会問題

静かに進む日本人の海外流出――包括的な頭脳循環政策の検討を

大石奈々(メルボルン大学准教授)

 上記の調査対象者のうち、震災後の移住者は90%が2016年以前に日本を出た人々であったため、リスク意識が特に高かった可能性もある。「リスク意識」や「リスク回避志向」は時間の経過によって薄れるものなのか。また、人々はどういった種類の「リスク」に対してより敏感に反応するのか。「ライフスタイル」要因はもはや海外移住意識には大きく影響していないのだろうか。
 こういった点を解明するために、筆者とダートマス大学の堀内勇作教授は2019年から2020年にかけて日本在住の2415人の日本人を対象にオンライン調査実験(3)を行った(先進国への移住には大卒資格がほぼ必須であることから対象者は大卒の日本人に限定した)。対象者を4つに分け、1つのグループを除く3つのグループに、それぞれ日本の長期的な「災害リスク」「経済リスク」「ライフスタイル(ワークライフバランスや幸福度の低さ)」に関する記事を読んでもらった後、海外移住志向についての質問を行った。その結果「経済リスク」と「ライフスタイル」は移住志向に影響していたが、「災害リスク」は影響を及ぼしていなかったことが分かった。この理由は調査からは明らかにはなっていないが、震災から時間が経っていることでリスク意識が薄れているということ、また、災害リスク、特に地震・原発・放射能に特に敏感な日本人の多くがすでに海外に移住している可能性があるということなのかもしれない。
 日本の財政破綻や少子高齢化の進展による年金制度の持続が困難になること等を含む「経済リスク」は最も大きく海外移住志向に影響していた。「経済リスク」に関する記事を読んだ人の39.2%に海外移住志向が見られ、何も読まなかった人と比べて10.3ポイント高いという統計的に有意な結果が出た。
 また経済リスクほどではないものの、「ライフスタイル」の影響はまだ依然として根強かった。長時間労働や他の先進国と比べた際のワークライフバランス・幸福度の低さについての記事を読んでもらった人のうち35.5%に海外移住志向があり、何も読んでもらわなかった人たちと比べて6.1ポイント高かった。この結果も統計的に有意であった。
 この実験の当初の目的とは別に、興味深い結果も得られた。政治意識の高い人や政府やメディアに不信感を持つ人がそうでない人より海外移住を考える割合が高かったことである。「政府やメディアへの信頼が低い、あるいは非常に低い」人の32.2%、「必ず、あるいはほとんどの選挙で投票する」という人の30.6%が海外移住を考えていた。これは震災後にオーストラリアに移住した日本人へのインタビュー結果と符合する。人々が海外移住を考える際、個人のライフスタイルや仕事、将来のリスクだけではなく、政府やメディアに対する信頼度も影響している可能性があることが示唆された。
 本調査のデータ収集は2020年2月に終えたため、その後のコロナ対策やオリンピックの際の対応に関する日本政府への不満は反映されていない。政府のコロナ対策は、人々の海外移住意識をどれほど高めたのだろうか。またここ数年、富士山の噴火の切迫性が注目されるようにもなり、大きめの地震が首都圏や東北、能登半島、日向灘などで続くようになったことで震災リスクをこれまで以上に意識する人々も増えたかもしれない。
 一方で、コロナ禍では日本より外国の方が危ないとの意識が強まり、海外移住意識がこれまでより下がった可能性もある。今後、日本人の海外移住意識はどのように変わっていくのか引き続きフォローしていきたい。

 

多様な人材流出のかたち

 ここまでは主に日本人高度人材の先進国への永住について述べてきたが、新興国や途上国に移住する人もおり、同じ大卒者であっても移住パターンは異なる。
 例えば大連や上海など大手日系企業の支社がある中国の大都市では日本人の現地採用が増えている。既存の研究によれば、新卒一括採用の慣行が根強い日本で正社員として就職できなかった若者が中国に向かっているという。近年、日本の労働市場も流動化しつつあるが、まだ非正規雇用の既卒者が正規雇用に就くことは容易ではない。こうした若者の一部が、日本で働くより給与は低くてもホワイトカラー職に就けることや、中国語を学んでキャリア・アップをめざすという理由から中国に移住している。また、中国の潤沢な研究資金を背景に日本人の若手研究者や定年後の大学教授が中国の大学に就職するケースも増えつつある。

 筆者のシンガポールにおける聞き取り調査では、税率の低さや起業のしやすさを移住の理由に挙げた日本人投資家たちもいた。ワークライフバランスやジェンダー要因も、女性たちが海外に出る動機として根強い。日本では女性の昇進は男性と比べて容易ではなく、出産・子育てがキャリアにネガティブな影響を及ぼす度合いも大きいからである。

 

「頭脳流出」から「頭脳循環」へ

 人材流出の背景となっている様々な課題を短期間で解決することが難しい中、今後この現状にどう対処していくべきなのだろうか。日本ではまだ海外移住者に対して「日本を捨てた」というネガティブなイメージを持つ人々もいるが、ほとんどの移住者は日本との密接なつながりを維持し続けている。日本人に限らず、移住者は母国への投資やビジネスなどの経済活動、共同研究など様々なイノベーション・ネットワークの構築に貢献しており、親族への送金といった経済サポートに加え、定期的な帰国や情報発信による「社会的送金(social remittances)」によって出身コミュニティにポジティブな社会変容をもたらしていることが多くの研究で明らかになっている。
 実際、世界銀行などの国際機関は、海外移住者を重要な「人的資源」と位置付け、二重国籍の付与などを通じて、流出した人材のモビリティを高めることが母国の経済的・社会的な発展につながるという「頭脳循環」のメリットを強調してきた。すでに多くの国々が頭脳循環をめざす政策に取り組んでいる。
 中国では海外移住者とその子孫(華僑・華人)からの投資が改革開放政策の初期に高度経済成長をもたらす大きな要因になったこともあり、早い時期から頭脳循環政策を採ってきた。今でも海外で博士号を取得した優秀な若手研究者に対して高額な給与や研究費を約束して帰国を促している。オーストラリアでも先端分野で博士号を取得した若手研究者に報奨金を与えて帰還を促す州政府プログラムがある。インドは二重国籍を認めないものの、海外インド市民権(OCI)という制度を導入して、元インド国民やその家族等に対して国民とほぼ同等の権利(参政権、農地購入、公職への就任等を除く)を付与し、帰国や投資・起業をしやすくしている。
 二重国籍については、安全保障上の議論もあり、海外に移住した国民にのみ認めたり、議員資格に制約を設けたりする国もある。しかし、二重国籍が海外に流出した高度人材の帰還や投資・起業を促進し、長期的な経済発展につながるという側面は広く認知されており、世界143カ国で二重国籍が認められているという事実も、それを端的に示していると言えよう。
 日本においても、高度人材の海外移住そのものを妨げることはできないが、制度的インセンティブや二重国籍などを含めた包括的な頭脳循環政策を採ることで、海外移住者のモビリティを高め、日本社会・経済により貢献しやすくすることは可能である。日本における高度人材の海外移住志向が中国やインドよりも高いこと、また実際に海外永住者が増えていることを鑑みると、日本でも人材流出への対応を真剣に検討する時期に来ているのではないか。すでに文部科学省で研究者の循環を促進するイニシアティブが採られてはいるが、より広範な高度人材の循環について産官学で連携しつつ議論を進めていくことが重要であると考える。

著者情報

メルボルン大学准教授

大石奈々

おおいし なな

ハーバード大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。国際労働機関(ILO)政策分析官、国際基督教大学准教授、上智大学教授などを経て現職。著作に"Skilled or unskilled?: The reconfiguration of migration policies in Japan" Journal of Ethnic and Migration Studies (2021年)、“Country Risks and Brain Drain" Social Science Japan Journal(2022年、共著)など多数。2019年オックスフォード大学出版会・東京大学よりISS-OUP賞を受賞。

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