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社会問題

妻たちと国家 〜入管法に翻弄される人々②

【第2回】まゆみさん/隣にあの人がいない

木村友祐(小説家)

 まゆみさんは2回目の収容の日にちもおぼえていた。2017年11月2日。結婚して2年と10か月ほどがたったころだった。
「出頭日にはいつも一緒に行ってて、その日もいつもと変わりなく行きました。で、夫だけがインタビュー室に入って、私はその外で待ってました。そしたら、突然、携帯が鳴ったんですね。マモからの電話だったので、『もしもし』って言ったら、物々しい音が聞こえたんです。『マモ、マモ、どうしたの?』って言っても、返事がなくて、でも何かこう物々しい状況が伝わってくる感じだったので、そのときに『もしかして』って思ったんですけど、そこからもうインタビュー室から出てくることはありませんでした。入管もそれに対して何の説明もない。妻の私はすぐそこにいるのに、『収容しました』も、理由の説明も何もなかったです。未だにないですよ」
「もう泣き崩れて、過呼吸になって、頭が真っ白になってうずくまってしまって。そしたら、そこへ入管の職員が来て、A4の紙1枚をペラッと目の前に差し出したんですけど、そのとき私、字が読めなかったんですね、冷静じゃなくて。『読めないから、読んで』って言ったんです、入管の人に。だけど、『自分で読みなさい』っていう感じで。それでもその人が言うには、『午後の面会の手続きに間に合うかもしれない。もしかしたら会えるかもしれないから、手続きしてください』って。紙切れ1枚だったんですけど、たぶんそれは面会の時間の詳細とか、手続きの仕方とかが書かれた紙だったと思います」
 混乱しながら手続きをして、すぐに両親や友人、夫の親族や弁護士に連絡した。叔父や夫よりも後に来日した弟など、来られる人は駆けつけてくれて、午後になってみんなで面会した。
「そうしたら、左右どちらかは忘れたんですけど、夫はおでこと肩が赤く擦り剝けていたんです。制圧されたらしいですね。インタビューのときにちょっと声を荒げたら、白い手袋をはめた何十人だかのスタッフが一斉に制圧にやって来て、床に押さえつけられたそうです。その傷が痛々しくて、もう涙が止まらなくなって」
 おでこと肩が擦り剝けていたということは、うつ伏せに押さえつけられたのだろう。まゆみさんは、マモさんが収容されてしまったことをなかなか受け入れられなかった。
「収容された日の翌朝は、11月3日だったので文化の日で、祝日じゃないですか。その日、朝起きたら、隣にいないんですよね、いつもいる人が。もう泣いて泣いて、マモの弟に電話して、『マモがいないよ』って言って、泣きながら電話したの、今でもおぼえています。ちょっと今も思い出すと涙が出て……、ごめんなさい」
「ほんとうに悲しかったのは、日曜日とか、お休みの日の昼間、外に出たときですね。レストランに行けば家族でご飯を食べてたりとか、買い物に行けば家族で買い物してたりとか、公園に行っても家族みんなで楽しそうにくつろいでいたりとか、どこに行っても家族の姿が目に入ってきて。そのたびに、『私にはちゃんと旦那さんがいるのにな……』って。なのに今、一緒にここにいないっていう、つらい寂しい気持ちになりました」

  仮放免の申請をしてもなかなか許可が出ない。まゆみさんはマモさんに仮放免を出すよう入管に働きかけるための署名活動を行った。色々な人に署名用紙を配ったが、中には「なんで?」と言って署名を断る人もいたことを知り、在留資格のない仮放免者についての理解が世間に浸透していないことの難しさを知る。
「世間・一般的に、入管のことがわからない人は、仮放免で在留資格がなくて入管に収容されているのは犯罪者だと思ってる人が結構多いんですね。『なんかやったから捕まってるんでしょ』って、漠然と思う人がいるんですよね。でも、その人たちに1つ1つ説明はできないので……」
 2回目の収容は年をまたいで8か月にもなった。仮放免の申請は3回却下され、4回目にようやく解放された。マモさんが出所した2018年7月6日に関することも、まゆみさんは忘れていなかった。その日は、死刑判決を受けた松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)らオウム真理教の元教祖・信者7人の死刑が執行された日だった。
 まゆみさんの心に刻まれたのは、その前日5日の夜、赤坂の議員宿舎で安倍首相(当時)をはじめとする自民党議員らが集まって宴会を開いていたことだった。そしてそこには、死刑執行の判断を下した上川(かみかわ)陽子法務大臣(当時)もいた(しかも、この日午後には気象庁が、東日本から西日本の広い範囲で記録的な豪雨になる恐れがあるとし、早めの避難を心がけてほしいと警戒を呼びかけてもいた。この豪雨は西日本を中心に河川の氾濫や崖崩れを引き起こし、死者200名以上、家屋の全半壊等約2万棟という甚大な被害をもたらした)。
「今でも忘れない。こういうことを平気でやっちゃうんだなぁと思って。これが政府なんだな、すごいなって思いました。人の命なんか軽いんだなって」
 マモさんの身柄を自由に拘束できる入管を管轄するのは法務省であり、上川法務大臣はそのトップである。在留特別許可を出すか出さないかも上川大臣の判断1つである。つまり、マモさんの命運を握る人が、7人もの死刑執行が行われる前日に宴会で浮かれ騒いでいたのだから、受け流せるはずはなかった。
「私はスピーチを頼まれたときに必ず話すことがあって。夫が収容されてから1か月くらいたったときに、友人と一緒に品川入管に仮放免を許可するよう申し入れに行ったんですね。6階の仮放免の部署の職員に『早く出してください』って言ったら、『いらない外国人はみんな帰ってもらいたいんですよ』って答えたんですよ。いや、そう簡単に『帰れ』と言われても、夫は難民申請しているわけだから、『じゃあ、夫にとって危険な母国に、配偶者である私も夫と一緒に帰って、そこでもし私が危険な目に遭ったらどうするんですか?』って聞いたら、『それは自己責任だから』って。その言い方も、軽ーい、薄笑いした感じで言ってるんです。女性の職員でしたけど」
「『帰れ』って言って、一緒に帰って何かあったら妻も自己責任。もう非国民扱いでしたね。夫はよく言うんですよ。『仮放免のやつと結婚したらね、その日本人も仮放免みたいなもんで、非国民になっちゃうんだよ。そんなもんだよ』って。たしかに裏を返せば、『そんな人と結婚してるのがいけないんでしょ』って言われていそうな感じがします」
「日本人も仮放免」「非国民」……。マモさんの言葉は精確に状況をとらえていると思う。この国の政府は、国の意向に沿わない「国民」は助けてくれないのだろうとぼくも思うから。
「『すべての人は平等』って謳ってても、現実はそうじゃないっていうことを、夫と会ってから感じました」とまゆみさんは続けた。
「それ以前は、ほんとうに何も考えないでふつうに過ごしてたんですよね。政治も興味ないし。なんの苦労もなかったです。ぬくぬくした生活してたので、苦労が何もなくて、人の痛みも正直わからないくらいだったかもしれない。それが、夫と出会ってからは180度ちがう生活になって。それこそ国との関係というか、厳密にいえば法務省との関係。こんなにいろんな裏の話があるのかって。不透明な部分ですとか、社会の矛盾。この歳になってそれを知って、恥ずかしいことなんですけど」

著者情報

小説家

木村友祐

きむら ゆうすけ

1970年、青森県八戸市生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。2009年『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。著書に『海猫ツリーハウス』(2010年、集英社)『聖地Cs』(2014年、新潮社)『イサの氾濫』(2016年、未来社)『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(2016年、新潮社)『幸福な水夫』(2017年、未来社)『幼な子の聖戦』(2020年、集英社/第162回芥川賞候補)温又柔氏との往復書簡『私とあなたのあいだ―いま、この国で生きるということ』(2020年、明石書店)がある。

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