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もうひとつの「逃走」~桐島聡の盟友、7年間の逃亡生活回顧録(前編)テレビに映る自分の顔――指名手配のはじまり

黒川祥子(ノンフィクションライター)

指名手配

 2人は別々の安宿に身を置き、周囲を気にしながら喫茶店で会っては、これからのことを話し合った。

「新宿というのは、雑踏の中に紛れ込める街だった。歩き回っていても、俺や桐島の顔を見て、『あれ?』という人はいなかったんだよ」

 そんな日々に、「最終日」がやってきた。2人に指名手配が出たのだ。

「メンバーの一斉逮捕が月曜日で、俺と桐島の指名手配が公開されたのは、金曜の夜だった。俺は宿にいて、テレビのニュースで知ったんだけど、紛れもなく自分の顔が画面に出ていた。あれは19か20歳の時、大学の闘争でガードマンに取り押さえられ、高輪警察署に連行された時、警察に撮られた写真だったと思う」

1975年5月24日(土)、「朝日新聞」朝刊1面より

 東京には、もういられない。別れて、逃げよう。そう決めた最終日、2人は安宿に一緒に泊まった。5月23日、金曜の夜のことだ。

「3カ月ぐらい期間をおいて、桐島とまた会おうって決めたんだ。別れる前、俺は桐島の髪を切ったんだよ。特徴的な髪型だったからね。ハサミで、ざんぎり頭にした。桐島は、『痛い、痛い』って言ってたよ。だって、髪の毛を切るハサミじゃないから、あんまり切れないの。五分刈りくらいの、坊主頭という感じになった」

 5月24日の朝、2人は別れた。一斉逮捕から1週間も経たないうちのことだった。

「3カ月後って最初は話していたんだけど、そうすると8月、夏休みで待ち合わせ場所に人が多いだろうから、会うのは、『〈9・9・3〉にしよう』って決めた。毎年9月9日、午後3時に、鎌倉の銭洗弁天(ぜにあらいべんてん)で会う。これが桐島との約束だった。
 宿を出て行く時、警察が周りを取り囲んでいるんじゃないかと思い込んでいたけど、朝になっても誰も突っ込んでこないし、捕まるかなと思ったら、そうでもない。安宿を出て、それぞれ、居場所を求めて動いて行くことになった」

 別れる時、桐島さんは宇賀神さんには所持金がないことを見越し、お金を渡してくれたという。

「俺は給料日目前でお金がなくて、桐島は6万円ぐらいの仕送りがちょうど来ていた時で、現金書留で届いた仕送りを持って、アパートを出たんだよ。あいつはいいヤツだからさ、自分がキツくなることを分かったうえで、俺に2万円を渡してくれたんだよ。ほんと、助かったな」

 まだ大学生、社会経験もない2人が丸腰のまま、警察に追われる身として、社会という大海へ飛び込んだ。否応なく、容赦のない現実に突き落とされたのだ。
 桐島さんの2万円のおかげなのか、東京を離れるにあたり、宇賀神さんは安宿ではなく、料亭に泊まった。たまたま目に入ったからだが、そこで宇賀神さんは思いもかけぬ体験をした。

「女将さんがかなりキリッとした感じの人で、多分、俺が爆弾事件の手配犯だと分かっていた感じがするんだよ。朝、魚とか、いろいろなおかずがいっぱい並んでる、ものすごいご馳走を出してくれた。俺が何者なのかを分かっていて、最後の思い出にご馳走してくれたと思うんだよね。もちろん、女将さんは何も言わないよ。でも、そういうさり気ない親切に出会えたってことが、本当によかったって思えた」

 まだ20歳そこそこの、言ってみれば世間知らずの“ボンボン”だ。目の前の若造が、今から逃亡犯として過酷な日々を送ることを知っての、せめてもの餞(はなむけ)だったのだろうか。そういう人間がまだ、市井に生きていた時代だった。

西へ、西へ

 宇賀神さんは決めた。とにかく、西へ向かおう。その日の夜行列車に乗り、東京を離れた。

「誰か助けてくれそうな人がいたとしても実際には助けるなんて難しいだろうし、そもそもその人に迷惑がかかるし、だから逃げるしかなかった。俺は寒いところが嫌いだから、西へ向かった。大垣行きの夜行に乗って、列車を乗り継いで、最初に目指したのが福岡。釜ヶ崎で働いた経験はあったけど、大阪のような大都市はヤバイだろうと思って、それなら、なるべく遠くの方がいいかなって」

 山谷や釜ヶ崎で働いた経験から、「寄せ場」を目指した。「寄せ場」なら、そのまま日雇い労働にありつける。

「福岡は寄せ場が小さくて、仕事が見つからなかった。雇う方も、人を見るんだろうな。俺はガタイが小さいし、ひ弱に見えて、こいつはあまり現場仕事ができないだろうって。だから福岡を諦めて、釜ヶ崎に行ったんだけど、知り合いが結構いたし、私服刑事も普通にいるし、どう考えてもヤバイので仕事はしなかった。それで、名古屋に向かったんだ。名古屋は寄せ場がちゃんと機能していた。1泊2000円ぐらいのドヤ(安宿)に泊まって、新日本製鉄(当時)かなんかの下請け労働者として日雇いで工場に入ると、それでずっとやっていける感じだった」

 名古屋では3カ月ほど働いた。そして、約束の〈9・9・3〉を前に、宇賀神さんは名古屋のドヤを引き払い、関東へと向かった。

後編に続く)

著者情報

ノンフィクションライター

黒川祥子

くろかわ しょうこ

1959年福島県生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。業界紙記者などを経てフリーライターとなり、家族の問題を中心に執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』で第11回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『熟年婚』(河出書房新社)。 また、橘由歩の筆名で『「ひきこもり」たちの夜が明けるとき』(PHP研究所)、『身内の犯行』(新潮新書)、『セレブ・モンスター』(河出書房新社)、『全国ごちそう調味料』(幻冬舎)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『PTA不要論』(新潮新書)、『8050問題』(集英社)、『心の除染』(集英社文庫)、などがある。息子が二人いるシングルマザー。

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