障害のある子と生きるとはどういうことか【対談】最首悟×西村理佐
(構成・文/仲藤里美)
──今の社会は、人を生かすためにケアやサポートをするのでなく、サポートの体制のほうに人を当てはめるような形になってしまっているということでしょうか。
最首 そうですよ。「あんたは背が高くてベッドに入りきらないから、ちょっと足を切ってください」というようなものですよね。それは、誰にとってもしんどい社会です。
私は、理想を追い求めてばかりのキチキチした社会よりも、「だらしなくて漫然と、ごちゃごちゃといろんな人が生きている社会」のほうを目指したい。そうでないと星子は生きられないな、と思ったりしています。
「親なき後」に何を残せるか
──最後に「親なき後」のことについてお聞かせください。障害のある子どもの保護者の多くが、大きな懸念として「自分が死んだ後のこと」を挙げられますが、おふたりはどう考えておられますか。
西村 「親なき後」というのは、私の中にはない言葉です。帆花はまだ中学生だから、もう少し先のこと……という、それだけの意味ではありません。
そもそも、いのちがどうなるかなんて誰にもわかりません。私たち両親と帆花と、どっちが先に死ぬかもわかりませんよね。実は、私と帆花だと、帆花のほうがずっと健康で。帆花の在宅生活を始めてから、救急車に乗った回数は私のほうが多いんですよ(笑)。
そしてもう一つ、私がこの「親なき後」という言葉がちょっと苦手なのは、「親がいる間はこの子は安泰だ」と言っているようなイメージがあるからです。勝手なイメージかもしれないけれど、「この子は障害があるから守ってあげなきゃいけない、親が考えを示して、導いてあげなきゃいけない。だけど、その親がいなくなったら困るからどうしよう」と言っているような感じがするんですね。
まず、子どもは親の所有物ではありません。子どもに障害があっても、意思表示が難しくても、子どもは子どもの人生を自分で歩んでいます。そして、これは、最首さんもご著書などでよく書かれていることですけど、生きるというのは「人と人の間にいる」ということだと思うのです。帆花もたくさんの人と関係を築いて、ケアされて生きられるように、ということを小さいときから目指してきました。帆花を一人の人間として尊重してくれ、帆花と一緒に生きてくれるヘルパーさんをずっと探し続けてきて、いま3人の方がそういうふうに関わってくれています。
もし明日、私が疲れ果てて死んでしまったとしたら、主たる介護者がいなくなるわけですから、「じゃあ、ほのちゃんは施設に入れましょう」という話がきっとどこからか出てくるでしょう。そのときに、今のヘルパーさんたちなら帆花の意思を汲んで「いやいや、そんなことほのちゃんは望んでないよ」と言ってくれると思うし、そうしてくれる人に帆花のそばにいてほしい。それが私の、私たち家族の願いなんです。そういう環境を整える手助けをしておくことが親が生きているうちにすべきことじゃないでしょうか。だから親が死んでからの問題じゃないと思うんです。むしろ私はそれをやり遂げるまでは死ねないし、もっと言えばそれさえやり遂げられれば、私がいついなくなったとしても、帆花はきっと逞しく生きていってくれると信じています(笑)。

帆花さん(左)と西村さん(西村さん提供)
最首 私が言いたかったことを理佐さんが言ってくれました(笑)。
星子の母親はよく「私が死んだら星子は死ぬわよ」と言うんですね。これは、自分と星子の濃密な関係はそこで終わるということ。そして同時に、その後にはちゃんとまた違う人と星子との関係が生まれてくるんだ、ということでもあると思っています。「私が死んでも、私と同じように星子のそばにいてくれる人が必ず出てくる」ということですね。
ここにあるのは、「人」に対する自明の信頼です。何よりも大事なのは人を信頼することだし、それがなければ人は暮らしていけません。先ほど、制度の話をしましたけれど、いくら制度をつくっても、人への信頼がなければ制度自体がマイナスに働いてしまう。理佐さんがおっしゃっているのも、そういうことだと思います。
さらに言えば、「私が死んだら星子は死ぬ」というのは、「自分が死んだ後のことを考えるのはやめよう」という意味でもあります。「私が死んだ後」のことを心配して、「星子のために」とあれこれ準備したとしても、それがどれだけ万全の準備になるかはわかりません。星子にはまったく意に沿わない、役に立たないものになってしまうかもしれませんよね。だから、「私が死んだ後」のことは考えない。星子の母親の「私が死んだら星子は死ぬ」という言葉には、そういう思いも含まれているんだと思っています。
西村 なるほど! 「人に対する信頼」なのですね。私はこのような気持ちが何なのか言葉にできず、ひょっとしたらこれは根拠もない、あてもないただの個人的な「楽観」なのではないかと不安になることもありました。でもこうして最首さんに名前を付けていただき、現在の帆花との生活はまだまだ厳しいですけれど、人と世の中を、信じて頼って、力強く生きていかねば!とあらためて誓うことができました。
(了)
映画『帆花』
東京・ポレポレ東中野にて公開中、ほか全国順次(2022年1月末時点)
公式サイト http://honoka-film.com/
著者情報
最首悟
さいしゅ さとる
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐
にしむら りさ
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。