「福島」をポジティブにしたい!(2)
大友良英(音楽家)
――翌14年には、札幌国際芸術祭でも盆踊りが行われましたが、「プロF」と関連があるのですか?
大友 13年の盆踊りの模様が、「DOMMUNE FUKUSHIMA!」で配信されたんです。それを福島出身で、家族とともに札幌に避難していた友人が見ていて、札幌でもやりたいと思い立って、芸術祭に掛け合ってくれたんです。地元の団体もバックアップしてくれ、評判が良くって、今では「さっぽろ八月祭」という独立した祭りになり、毎年続いてます。この友人が、福島でも有名なあんざい果樹園の息子さんなんです。プロジェクト立ち上げ当初から相談にものってもらいましたし、果樹園がライブ会場になったりもしていて、なので福島ではお父さんの方に世話になり、札幌では息子さんの世話になりっぱなしで、よくよく考えれば、札幌国際芸術祭2017のディレクターに任命されたのも、この盆踊りがあったからだと思うんです。そういう意味でもどんどんつながっている感じがしてます。
2014年は、9月に青森県の十和田市現代美術館で、美術家の奈良美智さんたちと一緒に「フェスティバル十和田 三本木(さんぼんぎ)ナイト」を開催したり、愛知トリエンナーレでも「フェスティバルFUKUSHIMA!」名義で1万人規模の盆踊りをやったり、11年にやったものから芽が出た年でもありました。
実は、ミチロウさんが病気になったり、和合さんも関われなくなっていたこともあって、自分一人でやるのはきつくなっていて14年でプロジェクトを解散しようかと考えていたんです。そしたら、例の実家が旅館の山岸くんが、「もっとこの先を見たいから続けたい」って言い出して。だから15年からは、僕も一メンバーとして手伝ってはいるけど、彼が実行委員会のリーダーとして頑張ってます。
――「プロF」は、国内外でさまざまな広がりを見せていますが、今年の5月には、アメリカのシアトルで映画の上映会やパフォーマンスを大友さん自らされていますね。
大友 第2回、12年には、アメリカ、フランス、イギリス、韓国、ポーランドなどで関連イベントがおのおの開催されたようです。他でもあったんじゃないかな。国の内外合わせて100以上のイベントがありました。それが13年以降は盆踊り化していった感じです。13年にはさっき言った愛知トリエンナーレ以外にも池袋フェスティバル東京や、浅草のすみだアートフェスなんかでも盆踊りをやってます。14年になると、福島、札幌、池袋、浅草以外でも、多治見でフェスをやったり、錦糸町のジャズフェスや、フジロックに出たり、すごい広がりでした。
今年(16年)のシアトルに関しては、海外ということで、国内のオファーからちょっとタイムラグがあって実現まで時間がかかったんですが、この先も、こうした海外での展開もしていけたらいいなって思ってます。福島から何を外に発信していくかは、私の役目のような気もしているので。
大切なのは目の前の現実とどう向き合うか
――今後、大友さんはどんな形で福島と関わっていかれるのでしょう。また音楽家としてはどのような活動をされるのでしょう。
大友 福島との関連でいえば、「プロF」とは別に、福島県と演出家の平田オリザさんの依頼で、今年の3月、4月に上演された「タイムライン」というミュージカル公演の音楽を中高校生と共に作りました。最初、ミュージカルということで、受けるかどうか迷っていたんですが、演出を依頼されていた藤田貴大くんと話す中で、歌と踊り、せりふと身体の動きという構成要素で、従来のミュージカルにとらわれずに、自分たち流の解釈でつくれるなら面白いことができそうということになったんです。だから、藤田くんがいたから受けたとも言えます。
そんな感じで、「プロF」とは違った形で福島との関わり方が今後もあると思いますし、実際に企画も進んでいます。
僕は横浜の生まれで、父親の仕事で小3の秋に福島市内の小学校に転校しました。それから青春期の10年を福島で過ごしました。でも福島が嫌で上京したのもあって、だからどこかで故郷を捨てた人間という負い目があるんだと思います。福島を「地元」と思っているものの、生まれではないし、どこにも属していないという感覚もあって。でも、今の日本の僕以降の世代で、そんな人だらけでしょ。そんな人たちにとっても地元感みたいなものを、作り直してもいいって思ってるんです。生まれがどこであろうとね。
「プロF」に関しては、ずっと住んでる人のようには僕はできないなとも思うし、特に内側に向かうベクトルに関しては住人が担うほうがいいと考えてるんです。一方で、外側に向かうベクトルも必要だと思っていて、そこには外の目も入ったほうがいい。僕の役目があるとしたら、そこかなって思います。これまで、世界中を旅して、いろいろなジャンルの人とコラボしてきた経験を生かせるし、山岸くんが描く、これからの「プロF」像とうまくそこがあっていけばいいなって思います。
今年も8月15日にフェスや盆踊りが開催されますが、フェスに限らず福島から発信する人がどんどん増えれば、きっとポジティブな福島が少しずつ実現していくんだと思います。その部分で、僕はとても楽観的です。みんな頑張ってるもん。ただね、福島に行けばわかりますが、少し車で走れば汚染土が積み上げられた場所をたくさん見かけると思います。原発事故がどれだけ過酷で、どれだけ皆の人生を変えてしまったか、そのことを考えて、未来を作っていってほしいなって思います。福島って名前がポジティブに響くとかそんなのは、結果としてそうなることで、だから、いつかそうなる日を夢見てはいるし、その目標は心の奥底には秘めてますけど。ただね、それを目的に何かするのは違うと思います。大切なのは目の前の現実とどう向き合っていくかです。
自分で言うのもなんだけど、今、演奏の上では、すごく脂が乗ってきてると思ってるんです。先日(16年6月25日)、東京国立近代美術館で詩人の吉増剛造さんと一緒にパフォーマンスしたときには、人生でベストに近い演奏だと思ったくらい。70歳の吉増さんがあそこまでできるなら、「俺もまだまだいける」ような気がしました。吉増さんはご自分のこと、「怪物君」って言ってるけど、僕は怪物にはなれそうもないので、地味に、日陰で音出してる「ノイズ妖怪」ってとこかな(笑)。妖怪になれればいいなあ。
著者情報
音楽家
大友良英
おおとも よしひで
1959年横浜生まれ。即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽 をつくり続け、世界各国で活動。映画などの映像作品の音楽を手がける一方で、さまざまな人たちとのコラボレーションを軸に、音楽作品や特殊形態のコンサートを手がけてもいる。障害のある子どもたちとの音楽ワークショップや一般参加型のプロジェクトといった活動でも注目されている。2012年、プロジェクトFUKUSHIMA ! の活動で芸術選奨文部科学大臣賞芸術振興部門を受賞、13年には「あまちゃん」での音楽活動で東京ドラマアウォード特別賞、レコード大賞作曲賞ほか数多くの賞を受賞。ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、プロデューサーとしても活躍中。著書に『大友良英のJamjam日記』(2008年、河出書房新社)ほか。