VARはサッカーを変えるのか?
家本政明(元国際審判員・プロフェッショナルレフェリー)
いま、世界的に多くの人がスポーツのジャッジだけでなく物事に厳密性や正しさを求めています。加えて、テクノロジー全盛の世の中なので致し方ないかなと。どんな世界もそうですが、テクノロジーが導入されることは避けられないだろうと思っていました。
ただ、フットボールの魅力というのは、曖昧さに加えてスピード感や変化の連続性にあると僕は思っているんです。絶え間なく、何かが起こり続けること。何が起こるかわからないから、席を立ってトイレにも行けない緊張感が魅力だと思うんです。
だけどVARはどうでしょう? 何分間も待たされるでしょう。得点のときなんて、選手もサポーターも一番、感情が爆発する瞬間ですよね。いまは得点のたびごとにVARのチェックが入っている。ボールがゴールに入って喜びを爆発させるあの瞬間こそ、多くの人がフットボールに求めているものだと思うんですよ。でも、いまは「これVAR入っているから、もしかしてノーゴールかも?」って選手もサポーターも、感情にブレーキをかけられている状態です。それって本当に悲しいことですよね。
VARを全否定するつもりはないですが、VARの前に導入された「追加副審」のほうが待ち時間はほとんど出ないので、そっちのほうがよかったのかなと個人的には思います。
追加副審というのは、双方のゴールラインのところに副審が立って、特にペナルティーエリア内での事象をよく見るという役割を担っていました。ピッチにいる副審を4人に増やしたんですね。VARと比較して、どちらがフットボールの良さを殺さないのかというと追加副審かなと思うんです。追加副審は人なので、少し主審と協議はするけど、VARのように5分以上も待ち時間がかかることはありません。
――VARで細かく解析されても、最終判断はレフェリーです。ここに難しさもあるのではないでしょうか?
そうなんです。実は、フットボールの競技規則は、抽象度が高くて曖昧なことが多いので人によって解釈が変わってくるんです。たとえばAという選手の顔にBという選手の肘が当たったという場合、これは事実ですし、その事実はVARの映像で捉えることができる。でも、Bの肘は故意にAの顔に当てたのか、たまたま当たってしまったのか、そこはレフェリーの解釈によってジャッジが変わるんです。これは、VARを採用しようが変わらないんですね。
僕はフットボールを〝ミスのスポーツ〟だと思っているんです。ジャッジでも、曖昧なミスが起こり得る事象はたくさんある。選手のプレーはもちろん、監督の采配のミスもある。あらゆるミスがピッチ上に散在しているんです。そのミスをいかに最小化するか、もしくは利用するかが、試合の勝敗を左右すると思うんです。1か0の世界ではないんです。1から10のあいだでプレーするスポーツなんです。もっと言えば、それを楽しむスポーツなんです。テクノロジーが補えない部分が、フットボールには必ずあるんですよ。
■カタールワールドカップで新たに採用されるシステム

2021 FIFAクラブW杯 でメディアに公開された半自動オフサイドシステム
――カタールワールドカップではVARに加えて、「半自動オフサイドシステム」が採用されます。これはスタジアムに設置された12台の専用カメラで、ボールと各選手の29カ所のポイント〈手や足など〉を1秒間に50回追跡し、ボールと各選手のピッチ上における正確な位置を算出するテクノロジー。ボール内部に設置されたセンサーが1秒間に500回データを送信することによって、正確なキックポイント〈蹴った瞬間と位置〉を検知することが可能になるというものだそうですね。こちらの影響はいかがでしょうか?
まだ採用された試合が少ないので、わからない部分も多いんですけど、世界の情報をもとに個人的な見解を言うとポジティブに考えています。
オフサイドの判定は本当に難しいんです。副審の立ち位置や、見る角度やタイミングが少し違っただけで判定が変わるんです。
いまはVARが採用された試合では「オフサイドディレイ」という方法が使われています。これはあとで映像を見て確認できるので、副審がオフサイドの判定を遅らせるというものです。オフサイドラインより「選手が出ているか、出ていないか」は目視よりは映像でクリアになるけど、映像を見てVARが画面上でラインを引いているので、どうしてもズレはあるし時間がかかる。人が引いているラインですからね。
でも、「半自動オフサイドシステム」だと、これがセミオートになるので、オフサイドラインも自動的に引かれることになります。人の位置が3Dの立体で出てくるので、かなり厳密な正しいオフサイドラインが引かれます。オフサイドラインから「選手が出ているか、出ていないか」も瞬時に把握できます。それは、単純にポジティブな要素だと思うんです。
ただ、選手やチーム関係者、サポーターは違和感があると思います。つまり、肉眼ではわからない点がクリアになるんで、絶対オフサイドじゃないと思っても、オフサイドになることがある。それが、ストレスになるかもしれませんね。
今回のワールドカップで、オフサイド絡みで明らかな誤審が起こることはないと思います。ただ、「テクノロジーが入ったからすべてクリアになる、改善されるでしょう」という、観ている人の側の先入観がネックになるかもしれない。機械だから万能で、ミスが起こらないだろうと思いこんでしまう。でも、最終判断は人なのでミスは起こる。このギャップにイライラするんじゃないかな。パブとかでサポーター同士、激しい議論が交わされる試合はあるかもしれませんね(笑)。
――今回のワールドカップでは、女性審判員が初めて笛を吹きます。日本からは山下良美さんが選出されました。
本当に嬉しいですし、素晴らしいことですよね。僕が審判を始めた30年以上前には、考えられなかったですね。ゼロじゃなかったですけど、女性と若手審判というのは、本当に少なかった。1989年に日本で女性のサッカーリーグができたこと、2011年に女子日本代表のワールドカップの優勝もあり、2021年にはプロの「WEリーグ」ができましたね。それらの積み重ねで、女子サッカーの認知度が上がったことが、昔と大きく違うところですね。選手を目指す人は多いですけど、これからは、審判としてワールドカップで笛を吹きたいという女性は増えるでしょうね。
いまは、若い審判員が増えているんです。「ユース審判」という言葉もあるくらい、中学生や高校生がプロの審判になりたいと言う時代になりました。実際、高校生の公式試合で高校生のレフェリーが笛を吹くこともあります。
30年前に比べると、日本の審判界の常識も変わりました。当時はあるべき審判像として、選手とは「話をするな、笑うな、触れるな」が理想像だったんです。僕はどちらかと言うといろんな人とコミュニケーションをとりながら楽しく審判をしたいタイプだったので、かなり違和感がありました。でも、当時は審判としてきちんと評価されたいので我慢していたんです。転機になったのが、2008年のゼロックススーパーカップ。ここで僕は大きな〝失敗〟をしたんです。失敗は僕の未熟さというのもあるんだけど、当時の写真を見ると顔が引きつっていて……。自分を偽っていたんです。その2008年の失敗を契機に、もっとフットボールを楽しもう、ありのままとはいかなくても、自分なりにいままでとは違うやり方を模索しようと思って、試合の前後に選手や関係者とよく話すようになりました。
■フットボールは〝アート〟である
――家本さんは現役時代、選手とどのようにコミュニケーションをとっていたのですか?
著者情報
元国際審判員・プロフェッショナルレフェリー
家本政明
いえもと まさあき
1973年広島生まれ。2002年からJリーグの主審を務め、2010年にはイギリスにあるサッカーの聖地・ウェンブリースタジアムで行われた国際試合で笛を吹く初の日本人レフェリーになる。2021年、現役を引退。現在はJ リーグの魅力向上のための活動を行う。著書に『主審告白』(東邦出版)『「最悪」の汚名を返上した主審 家本政明の未来を変えるポジティブメッセージ』(天夢人)がある。