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経済万華鏡

社会の宝石、プレシャリアートたちをどう守るか

浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 最近、海外メディア上で「プレカリアート」(precariat)という言葉が目に付くようになっています。日本でも、この言葉は2005~06年辺りから使われ始めてはいました。ですが、一般的に定着するには、まだしばらく時間を要することになりそうです。

 筆者は、数年前から「ギグエコノミー」あるいは「ギグワーカー」という言葉が日本にもいずれ上陸するだろうと言ってきました。「ギグ」は短時間で終わる仕事、単発の仕事などを指す言葉です。ジャズの即興的一回限りセッションについても、ギグという言葉を使います。「ギグエコノミー」は、そのような単発仕事で食いつなぐ労働者が数多く存在する経済社会を表現する言葉です。リーマンショック後に定職を失い、兼業・副業を掛け持ちして日銭を稼ぐ人々が増えてしまったところから、この言葉が誕生しました。本欄でも取り上げたことのあるテーマです。
 そして今日、「ギグエコノミー」や「ギグワーカー」がようやく日本のメディアにもチラチラ顔を出すようになっています。「プレカリアート」も、きっと、同じようなタイムラグをもって、日本の新聞雑誌やデジタル媒体に登場することになるでしょう。

「プレカリアート」はプレケアリアス(precarious)とプロレタリアート(proletariat)を合体させた造語です。ですから英語の発音としては「プレケリアート」に近いのですが、日本ではプレカリアートという表記が定着しています。
 プレケアリアスは不安定、頼りない、先行き危うい、などの意です。プロレタリアートは、言わずと知れた無産階級です。今日的に言えば、低賃金労働者のイメージです。
 プレカリアートに分類される人々は、低賃金に甘んじているだけではありません。それに加えて、彼らは不安定な地位にあります。つまり、彼らはギグワーカーでもあるのです。短期で終わる単発仕事を渡り歩く。それを余儀なくされているケースが多い。それがプレカリアートです。
 そのような状態では、明日の我が身がどうなっているか、分かりません。先行きについて、めどが立ちません。要するに、とてもプレケアリアスな日々を送らざるを得ないわけです。

 さて、ここにきて判明したことが一つあります。それは、コロナの災禍の中で、世のため人のために必要不可欠な社会的機能を果たしている皆さんの中に、限りなくプレカリアート的な生活を強いられている人々が少なくないということです
 清掃員さん。ゴミの収集員さん。宅配便の配送員さん。スーパーやコンビニのスタッフの皆さん。こうした皆さんについては、「エッセンシャル(必須)ワーカー」の名がふさわしいでしょう。ところが、このエッセンシャルワーカーの中に、プレカリアート的生活を余儀なくされている方々が存在する。このところ、特に欧米メディアの中で盛んにこの問題が指摘されています。

 彼らは、オンラインで仕事をするわけにはいきません。世のため人のため、社会的ニーズに応じて出掛けていかなければいけません。命懸けで外に出なくてはいけません。こんな状況の中でも、世の中が支障なく回っていくために、彼らは働いています。我が身の安全を度外視してでも、リアルな勤務に就かなければいけないのです。そのことに、果敢に挑んでいる人々です。
 このような人々、貴重な人々を、プレケアリアスな位置付けに押し込んでおいてはいけません。このような人々を、筆者は「プレシャリア―ト」だと思います。プレシャリアートのプレシャはプレシャス(precious)からです。プレシャスは、貴重な、大切な、かけがえのない、の意です。プレシャスストーン(precious stone)といえば、それは宝石のことです。社会の宝石。それがプレシャリアートです。どうすれば、彼らを「21世紀の無産階級」の立場から救出することが出来るのでしょうか。ご一緒に考えて行きたいと思います。

著者情報

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

はま のりこ

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

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