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連載

第6回 小説と映画の特異な関係

樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)

 そもそも、映画は断片的なフィルムをつなぎ合わせて作るものである。物語の構成要素を一旦バラバラにして、組み換えて再構成すれば、映像化が困難に思える小説であっても映画にできると、多くの映画人は考えたのだ。
 原理的な話をすると、原作のファンが全員満足するような映像化というのはなかなか成立するものではない。日本だと、江戸川乱歩や谷崎潤一郎といった作家は人気があり、何度も映像化されているけれども、実はそんなに映像化に向いているわけではない。
 石井輝男監督の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』は江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』をベースにしてはいるのだが乱歩の他の作品のディテールを寄せ集めてまとめたものだ。だから、江戸川乱歩全集でもあるわけです。脚本家の力技だ。谷崎の大長編『細雪』は何度も映画化されているが、長いからダイジェストにするしかない。とはいえ、その時代を代表するような女優を4人集めて姉妹を演じさせれば、世間の人々が『細雪』に対して抱いているイメージは成立する。女優たちのビジュアルが観客に対して説得力を持つ、それが映画の力だ。
 ちなみに、乱歩や谷崎の作品は著作権が消滅しているのでタダで映画化できるから、これからも何度も映像化されるだろう。ここだけの話だけれども、少なくとも日本の映画業界ではオリジナルの企画よりも原作のある企画、それも有名な作家の作品ほど映像化の企画が通りやすいのだ。だから、何度も映像化されてきたわけですよ。
 著作権がまだ切れていない小説を映画化する際には、もちろん原作者や著作権者に料金が支払われる。いわゆる原作使用料である。この原作使用料の相場というのが、実はあってないようなものなのだ。たとえば、世界的なベストセラーをハリウッドが映画化する場合には、億単位の金額になるかもしれないが、そんな例は稀でしょう。ヤマザキマリの漫画『テルマエ・ロマエ』が映画化された際の原作使用料が100万円だったので、安すぎると物議を醸したのは有名な話である。漫画というのは売れれば億単位の収入になるわけで、それに比べれば安いという意見が出るのももっともだ。
 一方で何しろ映画は撮るだけでもお金がかかるし、ヒットしなかったら出資者は莫大な借金を背負うことになるかもしれないから、原作者にあまりお金を払いたくないというのが本音だろう。まあ、映像化されてそれがヒットすれば必然的に原作も売れるだろうから、原作者の方も承諾するわけだ。
 ともあれ、世間で売れている小説を映画化すれば、ヒットする可能性は高くなるのだが、既にベストセラーになっているような小説だと、高額の原作使用料を要求されるかもしれない。そこで、昔の人は考えた。ヒットしそうな小説を探し出して、その作品が売れる前に映画化権を押さえてしまえばいいのではないかと。
 辣腕で知られた映画プロデューサー、デビッド・O・セルズニックに雇われていたキャサリン・ブラウンという女性は、映画化するにふさわしい原作を探すためにニューヨークの出版業界を常にチェックしていた。それが彼女の仕事だったのである。1936年、とある小説の詳細なあらすじをキャサリンはセルズニックに航空便で送った。何しろ1000ページもあるような大作だったので、彼女はまだ半分までしか読んでいなかった。そこまで読んだだけで、これはイケると判断したのだ。その小説とは、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』である。

『風と共に去りぬ』でのクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リー(写真:ALBUM/アフロ)

 アメリカの映画評論家、研究家であるクリス・ナサウェイによれば、キャサリンがセルズニックに『風と共に去りぬ』の件で連絡したのは1936年の5月で、7月にはセルズニックが映画化権を獲得しているのだが、原作本が出版されたのは6月なのである。つまり、キャサリンは発売前に原作を入手していたわけで、とんでもなく有能な女性だったようである。
 セルズニックは当初、この大作の監督に女性映画の巨匠として知られるジョージ・キューカーを招聘していた。そして脚本家には、劇作家としても実績のあるシドニー・ハワード。ピュリッツァー賞演劇部門の受賞者でもあるハワードは、セルズニックからあれこれ口出しされるのを避けるため、ハリウッドから遠く離れたマサチューセッツにある農場で執筆を始めた。
 何しろ原作が長いのでやたらと時間がかかったが、1937年の3月、遂にハワードのシナリオ初稿が完成する。そのまんま映画化すれば、上映時間が5時間半を超えるであろう、電話帳のような超大作だ。激怒したセルズニックは、修正するようハワードに指示を与えたが、ハワードは仕事を降りてしまう。ハワードが放り出した分厚いシナリオを抱えたまま、セルズニックは何人もの脚本家を呼んではリライトさせようとした。その中には、『偉大なるギャツビー』の作者、フランシス・スコット・フィッツジェラルドもいた。呼ばれたのはそれぞれ立派なキャリアのある作家たちだったが、シナリオ作りは難航した。
 しかも、ヒロインのスカーレット・オハラを演じる女優がなかなか決まらない中、一部の撮影が見切り発車で始まったのだが、主演男優であるクラーク・ゲーブルと監督のキューカーの仲が険悪になっていった。
 主演女優は遂にヴィヴィアン・リーに決まったが、セルズニックとぶつかったキューカーは少し撮影しただけで仕事を降りてしまう。キューカーに代わって呼ばれたのは『オズの魔法使い』の監督ヴィクター・フレミングだった。この時点でまだシナリオは完成していない。そのまま撮影すれば5時間半の、分厚い電話帳のような状態のままである。
 最後に呼ばれたのはベン・ヘクトだ。ジャーナリスト出身の劇作家で、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』やエルンスト・ルビッチの『生活の設計』で脚本家としても歴史に名を残す切れ者である。あまりにも時間がなかったのでセルズニックは、ヘクトには原作を読ませず、フレミングと2人でパントマイムのようにストーリーを説明した。つまり、監督とプロデューサーが脚本家の前で、スカーレット・オハラとレット・バトラーを演じてみせたのだ。笑ってしまうような光景だけれども、それくらい切羽詰まっていたのである。仕事の早いヘクトは2週間でリライトを終わらせた。
 ようやくシナリオは完成したけれども、苦難の道はまだまだ続く。映像が気に入らなかったフレミングは、撮影監督のリー・ガームズを降ろし、アーネスト・ホーラーを呼んだ。そしてそのフレミング自身が、撮影の途中で姿を消す。表向きは神経衰弱だったとされているが、実際にはあれやこれやと撮影に口出しするセルズニックを嫌って、撮影をボイコットしたらしい。セルズニックのアシスタントによれば、主演女優のヴィヴィアン・リーは、先任者のキューカーに心酔していたのでフレミングを嫌っており、フレミングは彼女を嫌っていてゲーブルはセルズニックを嫌っていたし、誰もがやたらと干渉してくるセルズニックを嫌っていたという。地獄のような現場である。
 監督が無断でいなくなったので、マルクス兄弟の『オペラは踊る』などの監督、サム・ウッドが呼ばれた。後に『チップス先生さようなら』や『打撃王』を撮る実力派である。ウッドが一部の場面を撮影していると、フレミングが帰ってきたので、またフレミングが監督で撮影が続けられた。つくづく、地獄のような撮影現場である。よくぞ撮影終了したものだ。しかも、超大作であったがために、撮影中もセルズニックは資金繰りに追われていたという。
 ここでいきなり自分の話をする。元々は脚本家だった僕が監督をやるようになったのは、渡辺護という大ベテランの監督から「お前は監督に向いている」と言われたからなんだけれども、その渡辺監督がこんなことを言ってた。
「あのな、映画の現場ってのは、思い切り楽しいか、死ぬほど苦しいか、どっちかしかないんだよ」。ピンク映画をメインに200本以上の映画を監督し、女優の美保純さんのデビュー作を撮って芸名までつけた人である。僕自身、楽しい現場も苦しい現場も経験したから、今は渡辺監督の言葉の意味がよくわかる。
 映画監督というのは、撮影現場でスタッフ、キャストのほぼ全員から見られる仕事なのだ。もちろん、俳優さんたちは大勢のスタッフから見られる仕事なのだが、見られるというよりは自分の動き、立ち居振る舞いを見せるのが仕事なので、監督やカメラマンからいかに見られるかに集中する。それに対して、監督はスタッフやキャストたちに指示を出すだけなんだけれども、撮影現場にいる人たちは、監督からの指示を待っているから、結果的に皆が監督を見ているのである。そういう状況下で、カメラマンと上手く意思の疎通ができなかったり、主演女優から嫌われてしまった場合にはメンタルが危うくなってしまうし、プロデューサーの意見にも耳を貸さないといけない。だから、キューカーが仕事を降りたのもわかるし、フレミングが行方不明になった気持ちもわからなくはない。とあるVシネマの撮影で、友人の監督がプロデューサーと揉めて、代打で監督を引き受けたこともあるので、サム・ウッドの気持ちもわかる。
 映画『風と共に去りぬ』に話を戻すと、この映画には明確な作者がいないのである。作品にクレジットされているのは監督のヴィクター・フレミング、脚本家のシドニー・ハワード、撮影監督はアーネスト・ホーラーだが、実際には3人の監督と判明しているだけで5人の脚本家、2人の撮影監督が関わっているし、脚本家の中で最も有能な仕事をしたベン・ヘクトは、書いたというよりは削っただけである。
 この映画に作者がいるとすれば、プロデューサーのセルズニックということになるのだろう。彼はこの作品が成立するために尋常ではないこだわりを見せたわけだが、逆にいうと、監督や脚本家とのトラブルが絶えなかったのも、セルズニックが万事にこだわりすぎたからではないのか。
 いろいろと問題を抱えたまま撮影した結果、駄作になった映画は山ほどあるのだが、当初の企画から完成するまでの流れが、ここまでこじれながら、映画史に残る名作になってしまったという点で『風と共に去りぬ』は映画史上、特異な作品なのだ。

参考サイト https://microsites.ew.com/microsite/longform/gwtw/

著者情報

映画監督/脚本家/評論家

樫原辰郎

かしはら たつろう

1964年大阪生まれ。大阪芸大在学中に海洋堂に関わり、完成見本の組立や宣伝などを手がけた後、脚本家から映画監督に。監督作に『美女濡れ酒場』、脚本作に『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』など。著作に『海洋堂創世記』『「痴人の愛」を歩く』(白水社)、『帝都公園物語』(幻戯書房)『ロックの正体』、近刊予定『バグるラスコーリニコフ』(晶文社)。

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