第1回 耽美派が古典に魅せられた理由
大野露井(翻訳家/小説家)
日本文学の起源を求めて
ほんの短い間、アメリカの大学にいた時分に、千鳥足でビリヤードをしていた先輩がこんなことを言った。
「ラテン語ってのは、あれよ、英単語のあとにthをつければいいのよ。ファック・ユーなら、fucketh youth!ってなもんよ」
シェイクスピアの英語とラテン語の区別もつかない、この陽気な愚かさの裏には、アメリカ人を含む白人の、過去に対する絶対的な安堵感がにじんでいる。彼らにとって自分たちの享受する文明は、ギリシャ・ローマ以来、一度も途切れることなく連綿と受け継がれてきたものなのである。
言うまでもなくアメリカの白人と古代ギリシャの人々の間には、ほとんど実際のつながりはない。だが新古典主義はヨーロッパはおろか新大陸にも確実に伝播し、もとよりアメリカ人はギリシャ語やラテン語の響きを残す単語で半ば以上が構成された英語を話し、この先輩のように、ギリシャ文字の屋号のついた校友会のメンバーになっていたりもする。
とはいえ、私たちに彼が笑えるだろうか。千年前、世界に先駆けて『源氏物語』という偉大な小説が書かれたことは知っていても、それが自分たちに確かに直結していると、にわかには思い描けないことがある。とくに言葉においてはそうであろう。古典の日本語は、読もうと思えばどうにか読めるが、妙な距離感があることも事実である。
近代文学のよき伴走者であった評論家の奥野健男は、次のように語る。
「ラテン語ってのは、あれよ、英単語のあとにthをつければいいのよ。ファック・ユーなら、fucketh youth!ってなもんよ」
シェイクスピアの英語とラテン語の区別もつかない、この陽気な愚かさの裏には、アメリカ人を含む白人の、過去に対する絶対的な安堵感がにじんでいる。彼らにとって自分たちの享受する文明は、ギリシャ・ローマ以来、一度も途切れることなく連綿と受け継がれてきたものなのである。
言うまでもなくアメリカの白人と古代ギリシャの人々の間には、ほとんど実際のつながりはない。だが新古典主義はヨーロッパはおろか新大陸にも確実に伝播し、もとよりアメリカ人はギリシャ語やラテン語の響きを残す単語で半ば以上が構成された英語を話し、この先輩のように、ギリシャ文字の屋号のついた校友会のメンバーになっていたりもする。
とはいえ、私たちに彼が笑えるだろうか。千年前、世界に先駆けて『源氏物語』という偉大な小説が書かれたことは知っていても、それが自分たちに確かに直結していると、にわかには思い描けないことがある。とくに言葉においてはそうであろう。古典の日本語は、読もうと思えばどうにか読めるが、妙な距離感があることも事実である。
近代文学のよき伴走者であった評論家の奥野健男は、次のように語る。
文学史家が陥りがちな罠は、明治という年号的な時代区分、明治維新という政治、社会制度の改革の区分をそのまま文学史の中に安易に取り入れるあやまちです。明治元年からの叙述で近代日本文学史をはじめることの学問的根拠のなさは、この種の近代文学史の先駆的なものといえる 『明治大正文学史』の冒頭で著者の吉田精一氏が指摘しています。それにもかかわらず、多くの文学史家が便宜的にという口実のもとに、文学史も文学年表も、明治元年をその出発点にしています。知っていながら、結果において明治維新という政治制度的区分に従属し、日本の文学の流れを明治改元以前と以後に切ってしまうあやまちを犯しているのです。
(奥野健男『日本文学史』)【註7】
(奥野健男『日本文学史』)【註7】
そのような「罠」が強力なものであったのは、それだけ近代とそれ以前の時代の文学とが、内容はもちろん言葉のうえでも大きく異なっているという印象を、多くの人が抱くからであろう。
それは明治の人々にとって直前の時代の文学が、あまり魅力的に映らなかったからでもあるようだ。英訳小説集『現代日本短編集』の編者を務めたアイヴァン・モリスがその序文で述べる意見は、万事エピグラム風の物言いを好む西洋の研究者だけに率直である。
それは明治の人々にとって直前の時代の文学が、あまり魅力的に映らなかったからでもあるようだ。英訳小説集『現代日本短編集』の編者を務めたアイヴァン・モリスがその序文で述べる意見は、万事エピグラム風の物言いを好む西洋の研究者だけに率直である。
幕末の文学がより活気に満ちた、創造的なものであったならば、西洋文化の文学への影響はかほど圧倒的なものとはならなかったかもしれない。だが実際には、ヨーロッパ文化との出会いが、西洋の主たる文学には決して見られないような、過去との深刻な断絶をもたらしたのである。(アイヴァン・モリス「序文」、拙訳)【註8】
要するに日本人は、近代化によってそれ以前の日本を忘れてしまったらしいのである。この場合の「日本」には「日本語」も含まれるのだろうが、それでも近代文学に古典の言葉の痕跡があるのならば、少なくとも日本語のほうでは日本人を忘れはしなかった、ということになるはずだ。何しろ文学は言葉の極北である。
すると、古典と近代とを往還しながら、あるいは日本と外国とを往復しながら、いまいちど古典の世界を逍遥してみれば、ひょっとすると、古典から現在までを繋ぐ筋道が見えてこないとも限らないだろう。かつて私を夢中にさせたフランスの耽美的な小説にしても、決して無関係ではない。それが美しいまま日本語に置き換わったのは、その筋道の上で翻訳者たちが格闘したからである。おそらく当時の私は、そのことを理解できていなかった。
それから二十年余り、小説を書くときはもとより、フランス語や英語やドイツ語で書かれた小説を日本語に訳すときにも、あるいはこの文章を書いている瞬間にも、私は古典から学んだことを大いに活かしているつもりだ。だが、何をどのように活かしているのかと問われると、言語化は容易ではない。そこで改めて、日本文学の起源を探索に出かけようというわけである。
すると、古典と近代とを往還しながら、あるいは日本と外国とを往復しながら、いまいちど古典の世界を逍遥してみれば、ひょっとすると、古典から現在までを繋ぐ筋道が見えてこないとも限らないだろう。かつて私を夢中にさせたフランスの耽美的な小説にしても、決して無関係ではない。それが美しいまま日本語に置き換わったのは、その筋道の上で翻訳者たちが格闘したからである。おそらく当時の私は、そのことを理解できていなかった。
それから二十年余り、小説を書くときはもとより、フランス語や英語やドイツ語で書かれた小説を日本語に訳すときにも、あるいはこの文章を書いている瞬間にも、私は古典から学んだことを大いに活かしているつもりだ。だが、何をどのように活かしているのかと問われると、言語化は容易ではない。そこで改めて、日本文学の起源を探索に出かけようというわけである。