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常識を疑え!

大学はなぜ学生の教育を“外注”するのか?

香山リカ(医師)

 全国で、大学生の基礎学力の低下が問題となっている。大学の教員たちが集まる場に行くと、「一冊も本を読んだことがない、という学生が入ってきた」「ウチなんか、九九もあやしげな学生がいるんだ」と“低学力自慢大会”のような様相を呈することもある。

 そんな中、「埼玉県の県立高校が、提携先の大学生を聴講生として受け入れることになった」というニュースが報じられた。

 大学で学ぶには学力不足だと判断された学生は、高校生と一緒に授業を受けることになるという。学力不足の学生に補習授業を実施する大学は年々、増えているが、大学生が直接、高校にまで出向くのははじめてのこと。記事によると、提携先の大学のある教員は、「講師や教授が高校教員のように基礎を教えられるわけではない。全科目の補習を行うのもむずかしい」と高校での補習に期待をかけていた、とのこと。

 せっかく高校を卒業して大学に入学したと思ったら、「はい、あなたはもう一度、高校で勉強してきてください」と言われる。当の大学生たちはどう思うのだろう。ちょっと考えるとプライドが傷つきそうだが、案外、いまどきの学生は「高校? それもおもしろいかも」と抵抗なく出かけるのかもしれない。

 ただ、ここでひとつ問題になるのは、「大学生に必要な基礎学力=高校の学力」なのか、ということだ。高校で学ぶ国語、数学、英語などの知識を身につけて大学に戻り、その先を少しばかり学ぶことで、社会の中で生きていける人間が育つのだろうか。

 多くの企業人は、「それは違う」と言うだろう。「専門的な知識なんて関係ない。それよりも最低限の対人マナー、社会常識、タフな精神などを身につけさせて、社会に送り込んでほしい」。企業の人事課の担当者から、こんな声を聞いたこともある。大学によっては、専門学校から講師を招いて、徹底的にビジネスマナーをたたき込んでいるところもあるようだ。

 一方では、「せめて高校程度の学力を」。他方では、「そんなものより社会人としての人間力を」。いずれにしても、大学の中では教えられず、外部の学校や講師に頼らざるをえない、という状況だ。大学生に本当に求められる“力”とは、いったい何なのだろう。

 答えをひとつに絞るのはむずかしいが、診察室や大学の研究室で大学生に会うたびに、「学びでもビジネスマナーでもいいから、自分でなんとかしようという自発性、できるはずだという“自分を信じる力”が必要だ」とつくづく思う。

 知識がなければ、今はネットなどいくらでも手段があるのだから、後になってから調べなおせばいい。ビジネスマナーでも、自信がなければ先輩に積極的に尋ねれば、たいていはなんとかなる。ただ、それにしても「調べよう、尋ねよう」というくらいの自発性がなければ、始まらない。また、「私はなんとかなるはず」と自分を信じることができなければ、次の行動も起こせない。いま、それが圧倒的に欠けていて、「どうしよう…」と途方に暮れて動けなくなっている学生が、どこにもたくさんいるのだ。

 その自発性、自分を信じる力は、高校や専門学校にアウトソーシングしなくても、大学の教員たちで十分、育てることができるはず。「私は数学の専門家なので、人間教育はちょっと」と言う人もいるかもしれないが、そんなことを言っている場合ではない。それに数学の教育を通じても、学生が自分を信じ、自ら調べようとする力をつけさせる方法は、いくらもあるはずだ。

 それをなんでもかんでも“外注”しようとするのは、大学の教員じたいが不安、自信のなさを抱えているからかもしれない。となると、その教員たちを再教育しなおす必要があるのだが、それは誰が…と悩みはつきない。大学は、全入時代に入って、むずかしい課題をつきつけられているようだ。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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