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常識を疑え!

「復興」という言葉はなぜむずかしいのか?

香山リカ(医師)

 4月中旬に仙台を訪れた。震災発生後、10日目に仙台近辺の津波被害地に出かけて以来、2度目の仙台入りとなった。

 仙台の街は、驚くほどのスピードで復興を遂げつつあった。ライフラインの中で最後まで残っていたガスも復旧しつつあり、深刻だったガソリンの供給も平常に戻った。市内の多くの店は営業を再開し、「ともにがんばろう」という市民たちが大勢押しかけ、かなりのにぎわいを見せている。コンビニの看板にも明かりがともり、東京よりもむしろ明るいくらいだ。仙台空港も再開し、東京や大阪との行き来も便利になった。

 しかし、市内を海側に進み、津波の被害を受けた場所に行くと、以前とあまり変わらぬ風景が広がっている。重機が片づけど片づけど撤去しきれないがれきや廃材の山が続く荒野は、とてもこの地球上のものとは思えないほどだ。車体のねじ曲がった自動車、港から数キロも流されてきた小舟などもいまだに残っている。田畑だったと思われる土地には引かない海水がたまり、沼のようになったままのところもある。これでは、仮設住宅を建てようにもその場所さえ確保できないだろう。震災発生後、ひと月以上たっても近くの遺体安置所に安置されている身元不明の遺体、小学校の体育館に並べられている泥の中から見つかった膨大なアルバム、位牌(いはい)などの品々はいったいこれからどうなるのだろう、と考えるだけで、めまいがしてくる。

 東北全体、日本全体としては、たしかに復興ムードが高まり、実際に歩み出そうという動きも目立つ。被災地以外でも、全国で企業や人々が支援に名乗りをあげている。

 とはいえ、それはあくまで「全体」の話であって、ひとりひとりの被災者に目を向けると、立ち上がろうにも立ち上がれない現実を前に途方に暮れている人、絶望に打ちひしがれている人も少なくないのだ。

「復興」に関する話をするときには、必ず「全体」と「個別」というふたつの視点を忘れてはならないだろう。世の中の状況を見て、「さあ、空港と新幹線も再開したし、いよいよ元通りの生活が近づいてきた、これでもう大丈夫ですね」などと、個々の被災者の心までが復興した、と考えるようなことがあってはならない。まわりが復興しても、いや、復興が進めば進むほど、ひとりひとりの悲しみ、怒り、落ち込みの感情はむしろ強まり、自分だけが取り残された感覚に陥り、先々になかなか希望を見いだせなくなることがある。そのことを私たちは心にとめておかなければならないのだ。

 今後、いつになるかわからないが、原発に「安全宣言」が出される日が来るのだろう。そうなると被災地以外の人たちは、「もうこれで完全に元通り」と感じて、世の中が自粛ムードから一気にお祭りムードに転じることも考えられる。経済ということを考えればそのほうがいいのかもしれないが、その中で被災者たちが疎外され、孤独を感じるようなことがあってはならない。

 もちろん、「一日も早い復興を」という言葉が間違っているはずはない。しかし、復興の足並みは必ずしも同じではなく、いち早く気持ちを切り替えられる人もいれば、喪失感や悲哀をいつまでも引きずる人もいる。そこで、歩みが遅い人に対して「みんな元気になりつつあるのに、どうしてあなたはいつまでも暗い顔をしてるの?」などと責めたりすることがないよう、きちんと個別対応をすることができるかどうか。「心の時代」というからには、それくらいのこまやかさが必要だということを、いま一度、認識すべきだろう。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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