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常識を疑え!

新しいうつ病治療はなぜ問題か?

香山リカ(医師)

 うつ病治療が劇的に変わろうとしている。

 アメリカで広まりつつある「経頭蓋磁気刺激(TMS)」と呼ばれる薬をまったく使わない治療が、日本にも上陸し始めているのだ。しかも、うつ病の心理的療法のスタンダードになりつつある認知行動療法のように、長い時間も本人の努力も必要ない。椅子に横たわり、ヘッドホンのような装置を頭につけて、あとはそこから発せられる磁気刺激に身を、いや脳をまかせるだけ。標準的には週に3回か4回、1回30分ほどの治療を数週間受けることになっているが、早い人では数回で効果が表れるとも言われている。

「磁気刺激? あやしげな肩こり治療器のようなものじゃないの?」と思う人もいるかもしれないが、このTMSはそれとはまったく違い、頭の外から与えられる刺激が頭蓋骨を経て脳に伝わり、うつ病で機能が落ちている脳の深部を活性化させたり血流を回復させたりすることが科学的に立証されている。それにより、これまで薬物療法をもってしても間接的にしか行えなかったうつ病治療が、かなり本質的に行える可能性が出てきたのだ。

 ただひとつの問題は、この磁気刺激発生装置がかなり高額なので、TMSも患者さんが負担する費用が極端に高くなることだ。たとえば日本でもすでにこの装置を導入しているメンタルクリニックがあるが、1回の料金は自費診療で約6万円。もし週に3回、5週間にわたって受けた場合は、90万円もの費用がかかることになる。「90万円で安全にしかも根本的にうつ病が治るなら高くない」と思う人もいるかもしれないが、標準的な保険診療なら薬を使ったとしても2週間に1度程度の通院、1回の費用は3000~4000円ということを考えれば、決して安いとは言えない。

 実は最近、日本の大手商社の子会社がTMSの市場に参入することを表明した。世界的にこの装置を販売している会社と契約を結び、国内での普及を目指すという。そうなると価格競争が激化して値段が下がり、多くのクリニックがこの装置を導入して結果的に患者さんが負担する料金もぐっと下がることが考えられる。

 簡単。副作用がない。科学的にも効果は確実。そうなると将来はうつ病治療の中核になることも考えられるTMSだが、料金以外にも実は大きな問題がある。それは、「医者と患者さんの対話」が極端に減る可能性があることだ。ややSFめいた話をすると、患者さんがクリニックを受診して簡単な問診を受け、「うつ病ですね」と診断が確定すると、「では、どうぞ」とTMS装置が並ぶ部屋に通される。あとは、技師が患者さんの頭にヘッドホンのような装置をつけ、スイッチを入れると自動的に磁気刺激が始まる。そして30分ほどで再び自動的に終了すると、技師が「おつかれさまでした。ではまた明後日」と装置をはずす…。

 SF的というより、捻挫したときに整形外科などで受ける温熱治療か何かのようでもある。いずれにしても、ここには「心の内面を掘り下げる」とか「医者との対話を通してコミュニケーションのクセを修正する」といった要素は一切ない。

 もちろん、そういった“心の治療”はうつ病には実は不要、ということがはっきりすれば、「治療は機械におまかせ」でもよいのかもしれない。しかし、うつ病は原因は脳の機能異常だとしても、その人の人生や人間関係にいろいろな意味で影響を与える病である。逆に考えればうつ病は、それをきっかけとして成長したりこれまでの生き方を見直したりできるチャンスでもあるのだ。あくまでうつ病になる前への“現状復帰”を目指すのがTMSだが、治療は本当にそれでよいのか。この夢のマシンを導入する前に、精神医療の現場にいる人たちも、いまうつ病を患っている人、これからそうなるかもしれないすべての人も、もう一度、考えてみる必要があるのではないだろうか。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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