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連載

籠池おかんとLiLiCoの「愛されテク」

雨宮処凛(作家、活動家)

 先日、国連が制定した「国際ガールズ・デー(10月11日) 」のイベントで長野に講演に行った。「#MeToo」関連のテーマだったので好き放題話してきたのだが、質疑のコーナーで参加者の男性から質問を受けた。

 その男性はフェミニズムなどに関心が高いそうで、男尊女卑な「昭和のおっさん」タイプには同性として非常に怒りを感じると前置きしつつ、「しかし」と続けた。

「女性の側にも、『自分は女だから』という意識がある気がします。例えば僕は署名を集めているのですが(何の署名かは不明)、そういう時、『ちょっとそういうのは主人に聞いてみないと』と言って断られる女性も多いんです」

 ごめんなさい。ちょっとそういうのは主人に聞いてみないと。

 確かに、しょっちゅうではないが耳にする言葉だ。しかも、自分の口から出ているのを耳にする。なぜ? 私の主人って誰? なんで私が言ってんの? そもそも一人暮らしなのに。

 自問して、思い出した。私は一人暮らしを始めてから、もうずーっと「エア主人」と暮らしているのである。どういう時にエア主人が登場するのか。それは主に新聞の勧誘、訪問販売、宗教の勧誘という「自宅にいながらの三大危機」である。家にピンポーンとやってくる突撃系の人々を追い返す技として使っているのだ。

 うっかりドアを開けるなどしてしまい、なかなか帰ってくれない。そんな時「ごめんなさい、主人に聞いてみないと……」というと、「そうですか」と引き下がってくれることに気付いたのは、一人暮らしを始めてかなり経ってから。以来、エア主人は私を守り続けてくれた。面倒な人を追い返せる魔法の言葉。これを私は「必殺! エア主人」と呼んでいる。

 というような話をしたのだが、話しながらしみじみ思った。「主人」って、本物よりもエアのほうが役に立つし、使い道があるのではないかと。

 私が「主人」という響きから連想するのは、亭主関白で家事なんか一切しなくて、DV野郎という最低最悪のイメージだ。そんな人、家にいたら絶対嫌だけど、エアだったら場所も取らないしお金もかからないし少なくとも時々は役に立つ。

 いい。いいよエア主人。素敵な発明だよ。

 などと一人で思っていたのだが、気がつけばもう11月。そして11月22日と言えば「いい夫婦の日」である。

 いい夫婦。その言葉であなたの頭に浮かぶのはどんなカップルだろう? 芸能人夫婦が浮かぶ人もいれば、周りの素敵な夫婦を思い浮かべる人もいるはずだ。で、私には最近「いい夫婦」という言葉を聞くと、自動的に浮かんでしまう顔がある。それは森友学園の問題で時の人となり、その後、逮捕された籠池夫妻だ。

 ここで森友学園問題の諸々について論じるつもりはない。今回私が書きたいのは、あの夫婦、泰典と諄子(じゅんこ)のことである。そんなあの二人を思い出すと、頭に浮かぶのは「保釈された際の記者会見」だ。

 あなたは見ただろうか? 憑き物が落ちたように晴ればれとした顔で、その上ずいぶん痩せてスッキリした感じの妻・諄子と、晴れがましい顔で記者会見の席に座る夫・泰典。政権をひっくり返しかねない事件の当事者だというのに、諄子は集まった報道陣を前に、満面の笑みを浮かべて言ったのだ。

「お父さんと結婚してよかったですー! 私、幸せですー!」

 国などの補助金を詐取したとして、詐欺などの罪で起訴された当事者の「保釈」記者会見だというのに、諄子の一言で場の空気は完全に結婚記者会見、もしくは銀婚式、金婚式のようなノリとなった。そんな妻に、まんざらでもない顔で照れ笑いする夫。「幸せですー」と、身体をちょっと傾けて笑う妻。

 え、この人、こんなに可愛かったっけ? 諄子を見ながら、私はちょっとドキドキしていた。そしてそんな諄子の全身全霊の愛情表現に照れながら笑う泰典にも、胸がきゅんとした。この夫婦、なんか、可愛いかも……。

 だって、夫婦揃って逮捕までされて厳しい取り調べを受けて世間からはバッシングされて、そんな目に遭ったら大抵「あいつが暴走した」とか相手のせいにしたり、相手を恨んだりってことになってもおかしくないのに、この夫婦の絆は確実に逮捕前より深まっちゃっているではないか。

 そうして、逮捕前の光景を思い出した。それは大阪地検特捜部の事情聴取のために二人で家を出る朝。泰典が、自宅玄関前で自作の詩のようなものを詠んだ時のことだ。

「日本の夏 蝉の声 いま静かにして 木の下に宿れるなり 我が心 その宿れるなりと同じき 安き心にある」

 そうして歩き出す泰典の後ろを、諄子は小走りで追いながら言ったのだ。

「お父さん、カッコいい☆」

 諄子、本気で泰典に惚れている……。

 それはかなり、新鮮な驚きだった。なぜなら長年連れ添ったあの世代の夫婦で、いまだに本気で夫に惚れてるっぽい妻を、私は生まれて初めて目撃したからだ。

 諄子は1956年生まれ。泰典はその4歳上。ともに60代の夫婦である。これまで、結婚30年以上のこの国の夫婦仲と言えば、「冷え切っている」のが当たり前だと思っていた。しかし諄子からは、「恋する乙女」からしか分泌されない成分が出ているのがはっきりとわかる。「お父さん、カッコいい☆」という声の調子や足取りからダダ漏れなのだ。漫画だったら目がハートになるような、その手の汁だ。そしてその汁の濃度は、逮捕を経てさらに高まっていたのである。

 そんな諄子がこのたび本を出版したというので、発売日に入手した。『許せないを許してみる 籠池のおかん「300日」本音獄中記』(双葉社、2018年)は、諄子が拘留されている間、弁護士に出した400通以上の手紙から構成されているものである。もちろん、本には事件に関する様々な情報や安倍晋三・昭恵夫妻、自民党関係者の裏話なども多く書かれているのだが、全編にわたって「お父さん大好き!」という諄子の心の叫びが詰め込まれている。

「尊敬している」「神様」「私を育ててくれた人」「世界一素晴らしい主人」。本にはこれでもかというほどに、夫を絶賛する言葉が並ぶ。

 また二人の馴れ初めについても書かれているのだが、出会いは百貨店の「そごう」。泰典が大学生、諄子が短大生の時にバイトしていて出会ったというから庶民的である。その後、奈良県庁に勤め始めた泰典と諄子は結ばれ、諄子の父が幼稚園をやっていたことから幼稚園の経営に乗り出したという。

 本を読み進めていくほどに、泰典には私利私欲がなく(諄子から見て)、お酒を飲んで遊ぶなどもせず (学校設立のため4年間、断酒をしたりしている)、「国のため」が口癖で勉強熱心だということがわかる。そんな泰典と結婚して数年後、諄子は夫が入信していた宗教団体「生長の家」に入る。今も「生長の家」の教えを熱心に守り、感謝の気持ちを忘れずに祈っている、などの言葉が手紙にはちりばめられている。

 読みながら、しみじみ思った。そんなに「主人」が好きで好きで、「宝物」で「神様」で「尊敬している」なんて言われたら、そりゃあ泰典も諄子を大切にするだろうな、と。それっていわゆる「愛され力」がかなり高い状態である。

 しかも、どうやら諄子はそれを数十年間キープしているのである。「愛されメイク」も「愛されファッション」も何もせず、いつもロゴのデカい原色のトレーナーとか着てるのに、夫にほぼ「帰依」という形をとることによってその心をがっちり掴まえて離さない諄子は、なかなかに高度でレアな技の持ち主なのだ。

 しかし諄子がいかに「幸せですー!」と叫ぼうとも、心のどこかで冷静に思っている自分がいる。それはそれで結構なことだけど、私、全然そういう方向目指してないんだよな、と。

 なぜなら籠池夫妻の関係は、「生長の家」という教えがあり、その上で「耐える昭和妻」がいてこそ成立するものだと思うからだ。で、諄子は「『国のため』という使命に向かって突き進む夫を支える妻」という役割が好きなのだろうということが本からよくわかる。

 そんな価値観の形成には、彼女の生育歴も大いに関係がありそうだ。本を読んでいると、苦しくなるほどに「昭和の呪い」が刻印されている。特に実家の環境は「いつの時代?」と言いたくなるほどだ。

 特筆すべきは諄子の祖母による「嫁いびり」で、それに諄子も巻き込まれている。例えば祖母は諄子と母には決してその日炊いたご飯を食べさせず、夏の暑い日でも前日の腐りかけたようなご飯を食べさせたという。大正15年生まれの祖父もかなり厳しかったようだが、「台風のような人だった」という諄子の父のエピソードもかなり凄まじく「DV」という言葉がちらつく。が、諄子はすべてを「愛」でまとめている。

 そんな厳しい家庭で育った諄子は、家事を一切しないという泰典に特に不満も述べず5人の子どもを育て、「尊敬している」と繰り返す。性別役割分業があまりにも当たり前で、それを疑問に思うということがないようだ。そんな価値観は60代以上の世代には結構共有されているもので(もちろんそれに疑問を持つ人も多くいるが)、本人がいいならそれも一つの幸せの形だと思うのだが、私には絶対に無理な話だし、多くの同世代や下の世代もそうだと思う。もっと対等で、家事も子育ても分担、というのが現代の女性の多くが望むものではないだろうか。

 しかし、同世代や下の世代でそんな現代的な感覚を持っていると思われる女からも、時々裏切り者が出現するのが世の常だ。

 最近、「裏切られた!」と憤慨したのはタレント・映画コメンテーターのLiLiCo。

 歌謡グループ「純烈」のメンバーと結婚し、それはそれでめでたいものの、テレビで見かける彼女は嬉々として「家事を夫にやらせない」昭和妻をやっているではないか。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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