母の信仰、娘の現実
雨宮処凛(作家、活動家)
先に書いたように、団塊ジュニアで40代の私は独り身、子なしだが、団塊女性たちの多くには、「結婚しない」「子どもを持たない」という選択肢などほとんどなかった。クリスマスケーキになぞらえて、25を過ぎたら「いき遅れ」などと言われた団塊女性の30代前半の未婚率は9.1%。が、団塊ジュニア女性の30代前半の頃の未婚率は32%。3倍以上だ。
団塊世代が若かりし頃、「女は結婚したら仕事を辞める」のは当たり前で、「結婚せずに働き続ける女」や「結婚しても働く女」の椅子など、一部職種を別にして、そもそも用意されていなかった。「女の人生」は今よりもずーっと幅が狭く、「どんな男と結婚するか」で恐ろしいほど左右され、「ハズレ」を引いてしまっても、離婚に踏み切ることすら難しかった。「経済力」という壁が何をするにしても立ちはだかり、生殺与奪の権限は、常に夫や夫の家が握っていた。
母に限らず、団塊世代の女性たちの人生を、私はずっと理不尽で、とてつもなく窮屈だと思っていた。だからこそ、男に人生丸ごと預けたくなんかない、と強く強く、思った。
こんなことを書きながら思い出すのは、フリルやレースやパッチワークなんかがたくさんある実家のリビングだ。母は『クロワッサン』(マガジンハウス)や、インテリアの雑誌とかが好きで、家には昔から料理や家事の本がたくさんあった。だけど、母が料理も家事もそんなに好きじゃないかもしれないことを、私は30歳を過ぎたくらいに初めて知った。同時に、この世代の女性には、料理や家事の雑誌くらいしか「逃げ場」がなかったのかもしれない、とも思った。
女性の選択肢が、今よりもずーっと少なかった時代を生きてきた団塊女性たち。彼女たちは今の娘世代、その下の世代を、そして「#MeToo」の動きなんかをどんなふうに見ているのだろう?
はからずも、太田理財局長が思い出させてくれた友人のキラーワードから、今、親世代の女性たちの軌跡に思いを馳せている。そうして、友人の母が冒頭の言葉を娘に吐かれたのって、今の私と同じ年くらいなんだよな、とふと思って、戦慄している。
次回は3月6日(水)の予定です。