『童貞。をプロデュース』問題に見るドキュメンタリーの危うさ
雨宮処凛(作家、活動家)
2019年12月18日、伊藤詩織さんが「勝訴」という紙を掲げた写真を見た瞬間、胸が熱くなった。
山口敬之(のりゆき)元TBS記者による性行為の強要をめぐる裁判で、東京地方裁判所は山口氏の「不法行為」を認定し、損害賠償金330万円の支払いを命じたのだ。彼女が顔を出して記者会見をしてから実に2年半。その間、筆舌に尽くしがたいセカンドレイプや誹謗中傷に晒された。
判決が告げられた後、19年4月には裁判での尋問を前に自殺未遂をしていたことも告白した。が、勝訴という結果を手に入れたのだ。
復讐したいわけではない、司法がちゃんと機能しているか、それを確認したい――そんな詩織さんの思いは果たされた。しかし、山口氏は判決を受けてすぐに控訴した。
そんな判決が出る少し前、性被害についてある声明が出された。それはドキュメンタリー映画『童貞。をプロデュース』(チップトップ製作、SPOTTED PRODUCTIONS配給)をめぐるものだ。
松江哲明氏が監督したこの作品を、私は観ていない。10年くらい前、関係者からDVDを頂いたことは記憶している。しかし、私はそれを観なかった。
1990年代の私だったら喜んで観ただろう。ある時期まで、私はサブカルクソ女だったから。だけどDVDをもらった時、私はそういったものに心底うんざりしていた。
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「もう、こういうの観たくないんだよな……」
受け取りはしたものの、申し訳ないが開封もしないまま、幾度かの引っ越しをするうちに所在も分からなくなってしまった。開封しなかったのは、DVDに書かれたあらすじなどを見たからだ。Yahoo!映画の『童貞。をプロデュース』のページには、以下のようにある。
《異性とのコミュニケーションすらまともにできない、童貞道をひたすら進む青年2人のすべてをつまびらかにしたドキュメンタリー。「俺は、君のためにこそ捨てに行く。」「ビューティフル・ドリーマー」の2部構成。「あんにょんキムチ」の松江哲明監督が童貞2人の生活を追うだけではなく、さらに踏み込んで童貞脱出への道をプロデュースする。不器用に生きる2人の赤裸々な姿に、童貞への先入観を振り払われ、思わず笑いがこみ上げてくる。》(「解説」より)
《「純愛を経ないとセックスはできない」とこだわる1人の自転車メッセンジャーを、アダルトビデオの撮影現場へ連れていき女性恐怖症を克服させようとする(第一部)。ゴミ処理場でアルバイトをしている24才の男は、元アイドルへの思いを募らせ自主映画まで作ってしまう。その映画を、何とか本人に観てもらおうと画策するが……(第二部)。》(「あらすじ」より)
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映画が作られたのは2007年。池袋シネマ・ロサ(東京都豊島区)で公開され、予告編によると「驚異の大ヒット」となり、DVD化もされた。多くの人がそれを目にし、作品が作られてから10年が経って問題が浮上した。
事件が明るみに出たのは、17年8月の「10周年記念上映会」(池袋シネマ・ロサ)の舞台挨拶でのことだった。この作品で「童貞一号」として出演した加賀賢三氏が、監督と共に登壇したステージ上で昨今のAV出演強要問題に触れ、作品内で自身がAV女優に無理やり口淫されたことを訴え、監督にも同じ思いをさせようと自身の性器を咥えるよう迫ったのだ。その際の動画は、全編YouTubeで公開されている。
加賀氏が男性器を咥えるようパンツを脱ぐと、観客は「演出」と思ったのか笑いに包まれ、盛り上がる。が、加賀氏の訴えを聞くうちに笑い声はなくなっていく。そして加賀氏は、出演にあたって一銭ももらっていないこと、劇場公開もDVD化もやめてくれと言っていたこと、この日の上映についても知らされていなかったことなどを主張して松江監督に詰め寄るのだ。
「面白ければ何やってもいいのかよ!」
加賀氏は舞台上、何度かそう口にした。その言葉に、何か本質が隠れている気がした。
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「面白ければ何をやってもいい」
「どんなにひどいことをしたって面白いことをしたもん勝ち」
そんな時代が、それが許される空間が、この国には少し前まで当たり前に存在した。
この事件を受けて10周年上映は中止となり、その際、松江監督は声明を出している。そこには謝罪の言葉はなく、「性的なシーンの強要やパワーハラスメント等の違法または不当な行為は『童貞。をプロデュース』においては存在しません」とあった。が、2年後の19年12月に出された声明では、謝罪の言葉を述べている。その数日前、加賀氏のインタビュー記事がガジェット通信で配信された(「『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー」2019年12月5日)ので、それを受けてのものだろう。
この件を受けて、本当にいろいろなことを考えた。それは私もドキュメンタリー映画に出たことがあるからで、私の物書きデビューのきっかけは『新しい神様』という映画の主人公になったことである。それがベルリン国際映画祭など様々な海外映画祭に行き、国内でも劇場公開されることになった段階で「本を出さないか」という話が来た。
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私の場合、この映画に出たことは、そのようなチャンスにつながったのでよかったし、監督にも感謝している。当時、右翼団体に入っていた私が団体をやめるまでの葛藤を追ったものなので、もちろん性被害などとも無縁だ。しかし、その経験から分かったのは、ドキュメンタリー映画の出演者は、自身の人生を作品内で晒しているにも関わらず、映画祭招待や劇場公開など様々な決定からは完全に蚊帳の外に置かれているという事実だ。
こちらは監督に「映画を撮りたい」と言われ、「ぜひ!」と前のめりに快諾した。映画が完成した時には喜んだ。様々な映画祭に映画が招待されると聞いては嬉しかった。だけど、だんだん混乱してきたのも事実だ。
上映されるたびに、観客に随分と無神経なことを言われたりと嫌な思いもする。一方で映画を撮った監督は「無傷」で、評価を受けるばかりに見える。しかも私の「愚か」な部分を晒したことによって。
また、劇場公開や映画祭出品に対して「公開していいか」「この映画祭に出品していいか」などと確認されたことはない。
そもそも、その映画がそれほど評価されることを監督も私も想定していなかったということもある。が、私は様々な映画祭関係者や劇場の人、配給会社の人に会っているが、「出演者が公開に同意しているか」という話題になったことは見事なまでに一度もない。それほどに、ドキュメンタリー出演者は無視されている。そのような業界の作法がある。ちなみに当然、私も一切の「契約」などをしていない。
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もちろんこれについては個人的な私の話だ。また、加賀氏が告発したことについて、当然、松江監督にも言い分があるだろう。が、これは松江監督だけでなく、業界の体質の問題でもあると思うのだ。
ある国際映画祭では、上映されたドキュメンタリー映画をめぐって大論争になっているのを見たこともある。出演者の許可を取らずに公開されていることが分かったのだ。確か家族間の性被害をめぐるもので、それを許可を取らずに公開、など自殺者が出てもおかしくない。
映画祭スタッフが観客に詰め寄られていた光景を、今でも記憶している。ドキュメンタリーは、場合によっては出演者の人生を狂わせたり、死に追いやるほどの暴力性を持っている。
もう一つ思ったのは、加賀氏が舞台上で口にした「面白ければ何やってもいいのか?」という問題だ。
「面白ければ何やってもいい」
そんな価値観は近い過去、この国の一部に当たり前に存在していた。先に私が昔、サブカルクソ女だったことは書いた。なぜハマったのかというと、当時流行っていたこと。もう一つ、メインの世界で流行っていたのは「小室ファミリー」とかで、そっちにとても乗れない私はサブカルに振り切ってしまったこと。
また、18歳で北海道から上京した自分は田舎者だ、という強いコンプレックスがあり、田舎者を脱却したいがためにそういうものを無批判に受け入れていたという事情もあると思う。そうしてその世界に浸れば、なんでも相対化して嘲笑うことで自分がちょっとだけ偉くなったような気分に浸れた。
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いま思うと最低だが、そんな当時の自分の感覚については「90年代サブカルと『#MeToo』の間の深い溝。の巻」(マガジン9「雨宮処凛がゆく!」第447回)に書いたのでぜひ読んで欲しい。とにかく「鬼畜系」がブームとなり、「ひどいことやったもん勝ち」「面白ければなんでもいい」というような1990年代の空気は、2000年代の映像の世界に色濃く存在していたと思う。
サブカルを無批判に消費していた私だが、ある日突然、そういうものすべてが嫌になってしまった。理由はいろいろある。2000年に自分自身が物書きデビューしたこともあるし、06年から反貧困運動を始めたこともある。
私が運動で出会った、生活困窮者を支援する人々には「サブカル臭」がする人が1人もいなかった。人を斜めに見たり嘲笑したりするのではなく、生活に困った人たちを淡々と助ける人たちと多く出会い、そんな中に身を置いて、びっくりするほどほっとしていた。
私の周りにはそれまでサブカル好きしかいなくて、そういう人の前ではいつも「バカにされないように」気を張っていたのだ。だけど、上京して初めてくらいに、自分をわざと意地悪に見せずにいられる場所を見つけた。そのくらいから急速に「もう見たくないもの」になっていって、「なぜ私はあれほど人が傷ついたりするものを笑ってられたんだろう」と自己嫌悪に陥ったりした。そんな頃、手渡されたDVDが『童貞。をプロデュース』だったのだ。
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