「競争、疲れた……」中国・寝そべり族出現について、日本の「だめ連」に聞く
雨宮処凛(作家、活動家)
〈中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義〉
2021年6月7日に配信された「クーリエ・ジャポン」の記事を見て、「とうとう来た! 中国版・だめ連!」と声を上げた。
記事によると、競争の激しい中国で若者の間に、結婚をせず子どもも持たずマンションも車も買わずなるべく仕事をせず、最低限の暮らしをするというムーブメントが流行っているのだという。そんな若者たちが「寝そべり族」と呼ばれて人気になり、中国当局を不安にさせているというのだ。
少し前、中国の若者を表す言葉と言えば「996」だった。朝9時から夜9時まで週6日働くという長時間労働を指す言葉だ。そんな過酷な働き方の中、「もう疲れた……」とばかりに寝そべり始めた中国の若者たち。
「寝そべり族」という言葉を聞いて頭に浮かんだのが、90年代、大きな注目を浴びた日本の「だめ連」だ。
だめ連。現在40代以上であれば覚えている人も多いはずだ。就職もせず、結婚もせず、上昇志向とは無縁の人々。もともとモテない、職がない、なんの取り柄もないなど「だめ」な人たちが、「だめ」をこじらせないように世の中の支配的な価値観を捉え返す場としてできたという。そんなだめ連では、「うだつ問題」(どうやってうだつを上げるかにこだわることなど)や「ハク問題」(箔をつけることにこだわること)などが大いに議論され、とにかく「交流」がよしとされてきた。
そんなふうにだめ連を思い出したちょうどその頃、だめ連首謀者の一人である神長恒一さん(54歳)のTwitterを見ると、同じ記事を〈キター! 中国版だめ連!?〉と評しているではないか。
ということで、神長さんに話を聞いた。
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神長さんとはこの十数年、よく路上で共に酒を飲み交わす関係だ。
だめ連がメディアで多く取り上げられていた90年代後半は、テレビなどを通して彼のことを一方的に知っているだけだった。が、十数年前から「だめ連界隈」の人が集う路上飲み会やデモなどでよく顔を合わせるようになったのだ。
しかし、最近はコロナ禍でそんな飲み会もなくなった。会うのは実に約2年ぶりだ。久々なのでちょっと緊張して待ち合わせ場所で待っていると、全身からいい感じの脱力感漂う神長さんが、絞り染めの中央線っぽいTシャツでふらりと現れた。まるで昨日会ったような気軽さで、私たちは吸い込まれるように駅前の激安居酒屋「赤札屋」に(ちょうど都内では午後7時までお酒を出すことが「解禁」された日だった)。乾杯もそこそこに「最近、どうしてるんですか?」と聞くと、神長さんからは予想の斜め上をいく答えが返ってきた。
「最近は、仕事なくても生きられるように野草摘んでるんですよ」
驚くと、去年行ったキャンプでは、荒川でブルーギルを釣り、その場で捌いてフライにして食べたという。どんな大恐慌や災害が起きようが生きていける人というのがたまにいるが、神長さんはまさにその一人だ。
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そんな神長さんが周りの人々とだめ連を結成したのは1992年。バブル崩壊と重なる時期だが、景気はまだまだ良いとされ、あちこちにバブル感が濃厚に漂っていた頃だ。
当時の神長さんは早稲田大学を卒業し、某大手デパートに就職したもののわずか10カ月で退職、ぶらぶらしていた頃。
「一回就職したら、あっという間に3年くらい経っちゃうんだろうなと思ったけど、ダメでしたね。時間と労力のほとんどを仕事に捧げるのは」
といっても当時、そのデパートは隔週休3日制。「月に10日休みあるんだけど、それでもダメだった」と笑う。「好きに生きていこう」と退職を決めるのに時間はかからなかった。
退職後、することもないのでよく遊びに行っていたのが早稲田大学の部室。のちに一緒にだめ連を結成するぺぺ長谷川さんと遊ぶようになり、その流れでよくデモなどに行くようになった。当時注目されていたPKO法案反対デモに行ったり、新宿西口にできた「ダンボール村」(ホームレス状態の人々が多く住んでいた)の支援活動に参加するようになったのだ。
「大学出て就職して、会社やめたあとに学生運動デビューしたんですよ(笑)」と神長さん。
そんな中、時に社会運動の現場で仲間から「まるで役立たず」と親しみまじりに笑われていた彼らは「だめ系」と呼ばれるようになり、そこから「だめ連」となっていった。
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そんなだめ連の活動はといえば、とにかく交流。それぞれの人生のキビしい話、「コク」のあるトークをして「だめをこじらせない」ため、さまざまなプレッシャーから解放されてみんなが生き生きと生きられる社会になるようにと日々活動に励んだ。トークテーマは仕事や人生、性や恋愛、家族などさまざまだ。そんなだめ連初期の頃、東京・中野でフリーターをしていた私の自転車のカゴには、たまに「だめ連の交流」を呼びかけるチラシが入っていた(駅近くなどに止めているとなぜか入っている)。彼らは当時、中野駅近くの公園で交流をしていたのだ。そのチラシに書いてあった、「だめをこじらせる」についての説明文を今も覚えている。一例として書かれていたのは「小説を書いて新人賞に応募すること」。小説も書いていないし新人賞に応募もしていないが、当時、何者かになろうともがいていた私は、なんだか自分の痛いところを突かれたようで、そのチラシを見なかったことにした。
それからしばらくして、だめ連をテレビでよく見かけるようになった。バブル崩壊が騒がれる日本で、資本主義の競争社会から「一抜けた」とばかりにゆるく生きる当時の若者たちは大きな注目を集め、一躍メディアの寵児となっていた。90年代後半のことだ。
あれから、20年以上。
気がつけば、「就職しない、結婚しない」というだめ連の生き方は、長引く経済的停滞によって「就職できない、結婚できない」という問題に変わっていた。一方で企業社会からの搾取はより巧妙に激烈になり、正社員になればいわゆる「ブラック企業」で死ぬまでこき使われ、非正規であれば低賃金で使い捨てられ、「好きな時間に働ける」という言葉に惹かれて働けば「個人事業主」とされてあらゆることが自己責任、労災が適用されないなどの働き方が当たり前になっている。よほど運がよくなければ「普通の働き口」さえない状況になって久しい。
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そんなふうに、若者が「弱者」とされていく過程で、だめ連の活動がメディアに取り上げられることもなくなっていった。だめ連は、今も活動を続けているのだろうか?
「なにげにやってますよ。だから今年、だめ連始めて29年ですね。俺なんか、日本がまだ貧乏じゃない時に自分から降りたパターンだけど、その後の人は、否応無くそうならざるを得ないみたいなところがありますよね。今こそ、意識が重要っていうか、金持ってる奴が偉いみたいな価値観あるけど、そういうのから自由になるだけでも随分楽になる。貧乏なことは恥ずかしいことではない。あと、構造的な問題もある。今、コロナで仕事や家がなくなった人もたくさんいるけど、国は救済してくれないことが明らかになりましたよね。そもそも資本主義は人を裏切り、見捨てるんです。それで儲けてるのは確信犯の悪い奴らだから、誰も幸せにならないシステムに見切りをつけることは重要だと思います」
そんな神長さんは20代の頃からだめ連的生き方を貫いてきて、今、54歳。99年に出た『だめ連宣言!』(作品社)のプロフィールには「生活費は月5万円」とある。今はどのような生活なのだろうか。
「今、月6万か7万で生活してます。1年前まで週に2日働いてたんだけど、今は週に3日働いてます。家賃は5万円で、一緒に住んでるパートナーと半々で。スマホは一番安いのにしてるし、ものは基本的に買わない。旅行行ってもテント張って自炊したり。電車賃もかかるから歩いたり自転車乗ったりですね」
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今回、私が神長さんに話を聞きたいと思ったのは、彼がいつもニコニコ楽しそうで大勢の友人たちに囲まれて常に幸せそうだからということがある。30年近く一度も就職せず、月5万〜7万円でこれほど幸せそうに生きている人を私は見たことがない。その上、彼のパートナーがまた魅力的で神長さんと価値観も共通していて私の大好きな女性なのだ。ちなみに神長さんが週に3日しか働かないのは、「賃労働」以外の有意義な活動に忙しいからだと私は思っている。彼の周りには、賃労働なんてしてる暇がないほど面白い遊びや活動がたくさんあるのだ。
「最近は、オリンピック反対デモが忙しいですね」