imidas - 情報・知識&オピニオン

連載

虐待、親の精神疾患、援助交際、そしてコロナ禍〜「普通になりたかった」という彼女

雨宮処凛(作家、活動家)

「何よりも、普通になりたかったんです。普通の女子高生とか女子大生になりたかった」

 取材中、彼女は何度かそう口にした。

 普通の人生。それに憧れる理由が、彼女には多くあった。

 最近注目された言葉に「ヤングケアラー」がある。

 小さな頃から家族のケアを担ってきた子どもたち。親が病気で家事や兄弟姉妹の世話をしてきたという人もいれば、祖父母の介護を担ってきたという人、また親が精神疾患だったという人もいる。

 精神疾患のある親のもとで育った子どもの生きづらさもこのところ注目されている。中には虐待された経験を持つ人もいれば、小さな頃から親が偏見に晒されていることに気づき、何かとケアしてきたという人もいる。一方、このところ「毒親」問題も注目されているが、毒親と一言で語られる問題の背景には、やはり精神疾患などの病が隠れていることもある。

 今回登場して頂くリカさん(20代前半・仮名)は、今紹介してきたようなことを一身に背負うような子ども時代を過ごしてきた。

 繰り返される母親からの暴力。そんな母親へのさまざまな対応。それだけでなく、「教育虐待」と言えるような環境に身を置いてきた。一方、教育熱心な母親はなぜか子どもにマトモな食事を与えなかった。空腹に耐えきれなかったリカさんは、中1から援助交際を始めている。

 さまざまな経験を経て、今は信頼できる支援者と出会い、「将来は自分もなんらかの形で女性支援に関わりたい」と語るリカさんに話を聞いた。


 リカさんが生まれたのは、経済的には何不自由ない家庭だった。父親が働き、母親は専業主婦。その母親は統合失調症だった。

 幼い頃から、リカさんには母親から多大な期待がかけられていた。それに応えられないと待っていたのは殴る蹴るの暴行だ。高いところから突き落とされて歯が欠けたこともあるという。

「生後8カ月から塾に行ってて、2歳からバレエ習ってました。幼稚園の時は、朝6時半から塾のテキストをやらされて、それが終わらないと幼稚園に行けない。ずーっと母親が隣にいて、1問間違えるごとに殴られて、鉛筆の芯で刺されたりしました」

 その話を聞いて頭に浮かんだのは、5歳で命を落とした目黒女児虐待死事件の船戸結愛(ふなとゆあ)ちゃんだ。

「もうおねがいゆるして ゆるしてください」「ほんとうにもうおなじことしません ゆるして」

 毎朝4時頃に起床して、一人でひらがなの練習をさせられていた結愛ちゃんがノートに残したものだ。結愛ちゃんが思い通りにならないと、義父は殴る蹴るの容赦ない暴行を加えた。わずか5歳の女の子にである。そうして結愛ちゃんは、虐待によって命を奪われた。


 幼い頃のリカさんの境遇も、これに近いものだったのではないだろうか。

 子どもに暴力を振るう妻に対して夫はどうしていたのかと言えば、「腫れ物扱い」だったという。また、ある時期から父親は単身赴任のような状態となり、家庭は母親と子どもだけの密室になった。そんな母親はリカさんが小学生の頃に精神科に2度ほど入院しているそうだが、退院すると通院も服薬もやめてしまったという。当然病状は悪化するものの、家庭内を知る大人はいないという状況。暴力と隣り合わせの日常の中、彼女は常に萎縮し、10年も経つ頃には痛みも感じなくなったという。

「感覚もなくなっていって、殴られても痛くなくなるんです」

 痛みの感覚には鈍くなったものの、耐えられないのは空腹だ。

 母親の作る食事は、リカさんが小学校高学年頃から「とても食べられたものではない」状態になっていった。カビた食パンに生の鶏肉をまぶしたようなもの。真面目に食べたきょうだいが吐いてしまうほどで、「いかにうまく捨てるか」に神経をすり減らしていたという。育ち盛り、食べ盛りの時期、家で食事がとれないのはあまりにもキツい。中学生になり、部活に励むようになってから空腹は耐え難いものになった。

「給食とかも『おかわり』って言えるタイプじゃなかったし、部活から帰ってきて食べれないって、すごいしんどかったです」


 そう振り返るリカさんはある時、「おっさんと会って言われた通りにしたらお金をもらえる」ということを知った。実際にアプリを使って書き込むと、すぐに会う相手が見つかった。待ち合わせ、本屋さんのトイレで言われた通りにすると5000円が手に入った。初めて自分のお金でお菓子が買えた。

「こんなに簡単にお金が手に入るんだって思いました」

 まだ中1だった。それからリカさんは援助交際を重ねたという。そこで稼いだお金は食費と、「周りの子みたいなちょっとした娯楽」に使った。友達と遊ぶにも何をするにもお金がかかるようになる時期だ。

 お金が手に入るようになっても、家に帰らなければならない現実は変わらなかった。母親は変わらず暴言暴力でリカさんを追い詰め、きょうだいは母親に刃物で刺されることもあったという。警察沙汰もあったそうだが、あまりにひどいことが起きた時の記憶はない。家にいない父親からは、「何かあったらベランダから車の上に飛び降りろ」とだけ言われていた。そんな環境に耐えられず、中3の時、学校で市販薬を大量に飲む。そのことによって、やっと児童相談所に保護された。

 保護されて病院で初めて食べた夕食を、今も鮮明に覚えているという。ご飯、味噌汁、卵焼きに魚、納豆。

「一般的なものだけど本当に嬉しくて。人間として扱われてるって思いました」

 それほどに、家には「人間らしい生活」がなかったのだ。


 一時保護が解除された後は、親戚宅に身を寄せた。そこから通信制高校で学ぶ。勉強自体は好きだったので、1年分のレポートを1週間くらいで終わらせたという。精神科に入院することもあったが、勉強の甲斐あり、無事に大学に合格。

「独学ですごい!」と思わず口にすると、「とりあえず、普通の18歳になりたかったんです」と彼女は言った。その願いは叶(かな)い、大学では友人にも恵まれ「普通の女子大生」のような時間も持てたようだ。

「学生寮に入って、それまでずっと友達いなかったのが初めてできて、『みんなでご飯行こう』とか、ものすごく楽しくて嬉しかったです」

 しかし、生活は苦しかった。父親に「生活費は出さないが学費は出す」と言われていたものの、2年生から学費の支払いは止まってしまう。奨学金とバイトでやりくりするようになるが、それは過酷な日々だった。月〜金は大学に行き、休みの日は警備のバイト。朝の4時から夜中12時まで拘束されることもあった。警備だけでは足りない時は工場で働いた。月のバイト代は7万円くらい。「1日でも休めばピンチ」という状態が続いたという。


 そんな自転車操業の日々を襲ったのがコロナ禍だった。警備の仕事はぱったりなくなり、大学の授業もすべてオンラインに。4年生では2回しか登校せずに卒業となってしまった。

 が、何よりも大変だったのは、住まいの確保だ。

 家賃が高い学生寮にい続けることはできず、出ることになった。しかし、ギリギリの生活だったので部屋を借りるお金などない。学費も出してくれない父親に経済的に頼ることもできないし、当然、実家に戻る選択肢などない。

「だったら生活保護を受ければいい」という人もいるかもしれない。が、大学生が生活保護を使うには、休学か退学しなければならないという厳しいルールがあるのだ(夜間大学はOK)。

 結局、給付型の奨学金を受けられることになり、また、たまたま見つけた民間のシェルターに住むことができたものの、ずっといられるわけではなく期限が来てしまう。再び住まいを失ったのは、2020年4月、初めて緊急事態宣言が出る直前。コロナでバイト先を見つけるのも至難のわざという時期だった。

 行き場がない彼女が見つけたのが、自立援助ホームだった。自立援助ホームとは、何らかの理由で家庭にいられなくなった15〜20歳(場合によっては22歳)の子どもたちがいられる施設。が、その施設はいっぱいで入ることはできなかった。しかし、支援者の好意で住む場所が与えられることに。そこで大学卒業を迎えたという。

 ただ、そこもずっといられるわけではない。大学を出る3月には出なくてはいけないことになり、卒業と同時にまたしても住む場所を失ってしまう。近年、児童養護施設出身の若者を支援する取り組みなどもあるが、彼女は養護施設には行っていないので対象外。制度の穴に落ち込むようにして、支援の網からこぼれ落ちてしまう。


 話を聞きながら、「虐待」と一言で語られるものの現実を、まざまざと突きつけられる気がした。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

関連記事

新着記事

imidasの更新情報をお届けします。