私が「冷笑系」だった頃〜「リトルひろゆき」たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々
雨宮処凛(作家、活動家)
「論破王」でおなじみのひろゆき氏が人気だ。
言わずと知れた掲示板サイト「2ちゃんねる」(現在の「5ちゃんねる」)創設者。ユーチューバーとして活躍するだけでなく多くのメディアにも登場し、書店には彼の本が並ぶ。そんなひろゆき氏が新基地建設に反対する沖縄県・辺野古で座り込む人々をTwitterで揶揄すれば28万の「いいね」がつき、いくつもの裁判の賠償金を踏み倒しているというのに社会的な地位は揺るがない。しかもベネッセホールディングスが発表した昨年(2022年)の「小学生の流行語ランキング」1位は「それってあなたの感想ですよね」。ひろゆき氏の言動を真似る子どもは「ひろゆキッズ」と呼ばれるなど、幼い世代にまで支持されている。
そんなひろゆき氏は1976年生まれの46歳。同世代のロスジェネで、私の方がひとつ年上だ。
「ひろゆき氏について、どう思いますか?」
辺野古ツイート以降、そんなことをよく聞かれる。そのたびに、ちょっと言葉に詰まる。彼を真っ正面から批判してもあまり意味がないと思うと同時に、同世代としてあのような冷笑的な振る舞いは非常に理解できるものでもあるからだ。
なぜなら、自分は何もせず、高みの見物をして何か/誰かを嘲笑するということが最もリスクを取らない上、自分を賢く見せられるということを、私たちの世代は熟知しているからである。
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特に私たちロスジェネは就職氷河期で辛酸を嘗め尽くしてきたにも関わらず、一部が声をあげても無視され続けてきた。何かを必死に訴えても無視され続ける人は、飲食店でいくら店員を呼んでも誰も来ない人のように間抜けに見えるし、すでに「諦めた」人からするとものすごく目障りだ。こっちはとっくに諦めてなんとか折り合いつけて生きてるのに、まだ何か変えられると期待しているのか、と。そういう人たちにとって、ひろゆき氏は代わりにいろんなものをバカにしてくれる象徴的な存在なのだと思う。相対化して、無意味なものにしてくれる。ある意味、多くの人の共感を得て当然だと思うのだ。
私自身、そんなスタンスで生きていた時期がある。
すべてをバカにして斜めに見て冷笑しては、何もしてないのに自分が偉くなった気でいた。
なぜそんな振る舞いをしていたかと言えば、当時の私はフリーターで、社会の最底辺で日々踏みつけられていた。だからこそ、誰かをバカにしないと生きていけなかった。
今、ひろゆき氏がこれほど「必要とされる」のは、踏みつけられている人が多いからなのだろうか。
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私がもっとも冷笑系で生きていたのは20代前半。高校卒業後、北海道から上京して数年の頃だった。上京した表向き(親を納得させるための)の理由は美大の予備校に行くため。しかし、高校時代から重篤なバンギャ(ヴィジュアル系ファンの総称)だった私は、とにかくたくさんライブがある東京に行きたくてたまらなかった。
そうして上京したものの、1、2年もするとそんな生活にうんざりし始めた。
確かにライブはしょっちゅうあるし、打ち上げに行けばメンバーと仲良くなれるチャンスも北海道よりはずっと多い。最初の頃はそんな日々が楽しくて仕方なかったけれど、ある時期から虚しさを感じるようになっていた。バンドのメンバーはバンドを頑張れば頑張るほどどこかに辿り着けるけれど、それを追っかけているバンギャは何にもなれないしどこにも行けない。それどころか、消耗していくばかりな気がしたのだ。
それは当時のシーンとは関係なく、自分の周りが特殊だったのだと思う。友人たちはほとんどが「生活・人生の何よりもバンドを優先する」という濃厚バンギャで、ある時期からほとんどが、ツアーに全通するため、或いは仲良くなったメンバーに貢ぐためなどの理由で風俗で働くようになったからだ。
風俗で働くことを否定するわけではない。が、そっちの世界に行った子たちとは金銭感覚をはじめとしていろんなことが合わなくなり、だんだん疎遠になっていった。会うたびに「一緒に働こう」と言われるのを断るのが面倒で会わなくなっていった子もいた。そうして私の周りからバンギャ友達は消え、気がつけば私は恐ろしいほどの孤独の中にいた。考えてみれば、東京にはバンギャしか友達がいなかったのにその関係を遠ざけたのだから当然だ。
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そんな頃にハマったのが、鬼畜系サブカルの世界だった。
90年代当時、死体写真やタトゥーや身体改造やゴミ漁りや薬物や洗脳などが扱われる雑誌が多く発行され、「鬼畜系」などと呼ばれていたのである。そこでは右翼も左翼も何もかもが相対化され嘲笑の対象になっていた。何かよくわからないけれど、「見てはいけないもの」がパンパンに詰まったその手の雑誌は当時全盛期を迎えつつあった「小室ブーム」とかには絶対乗れない恵まれない若者たちに絶大な支持を誇っていたのだ。
そんなものにハマったことがきっかけで、私はサブカル系のイベントに足を運ぶようになる。そこで出会ったのが、サブカル好きで冷笑系の「リトルひろゆき」(男女問わず)と名付けたくなるような人たちだった。
見た目は今で言う「ザ・陰キャ」。それまでバンギャという「黒服・派手髪・厚化粧」が基本の世界にいた私にとって、まったく視界に入っていなかった人たちで、いわゆるスクールカースト下位にいたと思われる人たちばかりだった。
しかし、リトルひろゆきは話すとサブカル知識が豊富で面白かった。ラジオ番組の「ハガキ職人」みたいな人もいた。びっくりしたのは、そんな人たちが様々な有名人を辛辣にこき下ろすことだった。
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最初の頃はそんな彼ら彼女らに反発を覚えた。だってリトルひろゆきたちは、当時の私にとっての神だった大槻ケンヂまでこき下ろすのだ。もちろん彼らも大槻ケンヂが大好きなのだが、「神」と崇めるようなスタンスは痛く、好きだからこそ批評してナンボということらしかった。またそうすることによって、自分の知識の深さを自慢したいという動機もあるようだった。とにかく彼ら彼女らはすべてを上から目線で語っていた。
「ものすごく辛辣に社会批評をする童貞と処女の集まり」
本当に童貞・処女かは別にして、私は心の中で彼ら彼女らをそう呼んでいた。初めて関わったタイプだったけれど、リトルひろゆきたちとつるむのは楽しかった。どんなに口汚く何かを嘲笑しても、基本的にはみんな気が弱く、いい人なのだ。だから人としてはものすごく付き合いやすい。「金貸して」とか「奢って」なんて絶対言ってこないし、遅刻はしないし割り勘は1円単位まできっちりしてるし。
そんな環境に馴染んでくると、私もいっぱしに有名人を批判するようになっていた。初めてそうした時の快感は今も覚えている。何もしてないのに、自分がものすごく偉くなった気がした。
それからは、上から目線で何かを批評するのが当たり前のことになった。時々「え、なんなのこいつ偉そうに」という目で見られたけど、そんなことは気にならなかった。評論家気取りの気持ちよさの方が勝るからだ。
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自分がそんな時期を過ごしたからこそ、思う。嘲笑・冷笑は、踏みつけられている人たちが、唯一くらいに、何もせずとも「階級上昇」の気分を味わえる魔法なのだと。あの時期、私は完全に、この行為の依存症になっていたと思う。だけど、そうしないと生きられなかった。
一方で、今と違うのは、みんな「こき下ろす」ためにめちゃくちゃ勉強していたということだ。対象の本を読むのはもちろん、雑誌のインタビューやテレビ、ラジオでの発言などを必死にチェックしていた。批評するために、膨大な時間と労力を使っていたのだ。だからこそ一定数、説得力はあったし、話の内容は決して不毛ではなかった。私のいろんな知識はここで培われた部分も大きい。
もうひとつ今と違うのは、ネットがないということ。私たちはリアルで出会い、リアルで話していた。
それではなぜ、そんな場所から離れたのか。
一言で言うと「飽きた」からである。一時期は確実に救われていたものの、上から目線で有名人を批判したところでどこにも辿り着けないし何にもなれない。唇の端を歪めて意地悪に笑うことにも嫌気がさしていた。他人へのダメ出しと嘲笑で人生を終わらせたくない。完全燃焼したい。そう思った。
その結果、私は22歳で右翼団体に入会する。極端すぎるっちゃ極端すぎるが、とにかく冷笑の反対側に突き抜けたかった。
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