内ゲバで若者が殺し合った時代と、SNSで集団リンチが繰り返される時代
雨宮処凛(作家、活動家)
一方、評論家の與那覇潤さんは、京都アニメーション放火殺人事件に関する朝日新聞デジタルのインタビュー「『除菌思考』進む日本 『無敵の人』を『無敵』でなくすのは相互接触」(24年1月24日、朝日新聞)で、「社会の脱臭化」という言葉を使い、以下のように語っている。
〈平成の後半から、日本では「社会のデオドラント化」が進んだと感じています。ネガティブなものは、そもそもこの世に存在しないでほしい。少しでもにおったらスプレーをかけるように「除菌」しようとする傾向が強まりました。同じ時期に普及したSNSは典型です。気に入らない言動や表現を見たとき、「みんなでたたいて、世の中から消してしまおう」とあおる人が増えました〉
この言葉に、さまざまな事象を言い当てられた思いがする人もいるのではないだろうか。
1月、テレビドラマ『セクシー田中さん』原作者で漫画家の芦原妃名子さんが亡くなった。
この件について、私は全然詳しくない。しかし、訃報が報じられる数日前、SNS上での「騒ぎ」はちらっとだが目にしていた。あくまでも私が目にした限りだが、自らの「正義感」からなのだろう、強い言葉で特定の人や組織を非難する言葉が多くあったことを記憶している。そのことは、芦原さんにとって、想定していた数万倍の反応だったのではないだろうか。その大きさに、驚愕したのではないだろうか。
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そう思うのは、私自身、何度か炎上や炎上的なものを経験したことがあるからだ。自分の意思とは関係なく拡散され、飛び火していき、手がつけられなくなる恐怖。みんなが自分に怒っていて、今すぐに死んでお詫びしなくてはと思わされたことは一度や二度ではない。
今でも、「あの時、騒動がネットニュースになってたら自殺してただろうな」と本気で思う。自分に突きつけられている銃口が、秒単位で数千、数万と増えていく恐怖。死にたいよりも、一刻も早く死んで詫びなくてはという焦りにも似た思い。
特にX(旧Twitter)の危険度はダントツに高い。私の友人は以前、Twitterを「核兵器や原発と同じで人類には扱えないもの」と評していたが、まったくもってその通りだ。私たちは、自分では到底手に負えない殺人兵器を手にしているのである。
そんなSNSが普及する現在、私は連合赤軍事件を彷彿とさせるような恐ろしい光景を何度も見ている。
例えば連合赤軍も中核派も革マル派も、一般人からはよくわからない微妙な差異があることで対立し、殺し合いをしてきたように見え、それは異様な光景として私たちの目に映る。しかし、令和を生きる人々はそれを笑えるだろうか?
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前述した與那覇氏は、以下のようにも述べている。
〈かつてリベラル派と呼ばれる人たちは、異分子と共存していくことを説いたはずなのに、今は、敵視する相手の排除に率先して走る動きばかりが目立ちます〉
確かに、SNSを見れば昨日まで同じ方向を向いていると思っていた人たちが、ワンイシューの違いでいがみあっている。誰かが誰かをジャッジして踏み絵を踏ませようとし、相手が思い通りに動かないと「味方だと思ってたけどあいつは敵だ!」と犬笛を吹く。そうしてわずかな違いで「敵認定」されるとたちまち攻撃の対象になる。
一方、見知らぬ人も通りすがりにナイフを突きつけてくる。この問題についてどんな態度を取るかでお前を生かしておくべきか社会的に抹殺すべきかジャッジしてやるから答えてみろ、という脅しだ。そうしてあらゆる方向から「思想点検」されるという地獄。
連合赤軍は、希望した者が山に入り、そこで仲間殺しという悲劇が起きた。しかし、今はSNSで、いつ誰が生贄になるかわからない。昔だったら「連合赤軍に入らない」「活動に関わらない」という選択があったものの、今はいつ誰が断罪されるかわかったもんじゃない。今、どれほど気をつけていようとも、過去の言動の発掘に熱心な人もいるのだから一瞬だって心安まる暇がない。「心理的安全性」という言葉が注目される昨今だが、世界で一番くらいにそんなものがない場所で、取り返しのつかないことが日々繰り返されている。
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映画の中、「革命のため」と叫ぶ若者たちは気持ちよさそうだと先に書いた。が、SNSで誰かを断罪している人も万能感に震えているように見える。人をジャッジするのは気持ちいい。ダメ出しするのは快楽だろう。村中直人著『〈叱る依存〉がとまらない』(22年、紀伊国屋書店)という本には、〈誰かを罰することで、脳の報酬系回路は活性化する〉という研究報告が紹介されている。
私の中にも、自分が正義の側に立ち、誰かを心ゆくまで罵倒したいという後ろ暗い欲望がある。特に人生がうまくいっていないと感じる時ほど、そんな欲望は強くなる。
だけど、私は知っている。SNSの普及による正義の過剰な行使や分断の広まりは、世界中で起きていることだと。私たちは今、人体実験されているようなものなのだ。
「どうして半世紀前の連合赤軍事件なんかに興味があるの?」
時々、聞かれる。その理由は、正義のもとに何もかも正当化されると思う人間の愚かさが、少しも変わっていないと思うからだ。いや、それどころか、過去よりも人間はずっと愚かに、そして傲慢になっていると思うからだ。
そういう意味では、『ゲバルトの杜』は、半世紀前を描きながら極めて今日的なテーマを扱ってもいる。日々、SNSの内ゲバにうんざりという人も、ぜひ見てほしい。5月25日から、全国順次公開である。