〈スペシャル対談 伊藤昌亮×雨宮処凛〉生きづらさを抱えた現代人が「リベラル」を嫌う理由 〜ひろゆき人気に見る冷笑系ブームと弱者争いがもたらしたもの(前編)
(構成・文/仲藤里美)
かつて「生きづらさ」をこじらせ、サブカル趣味を通じて「冷笑系」にハマった経験のある雨宮処凛が最近気になっていること。それは2010年ごろからSNS等で冷笑系的な発言を繰り返すインフルエンサーが続々と登場し、若年層を中心に支持を集めている風潮だ。今回は現代人の思考パターンの変容について、「ひろゆき論」で知られる伊藤昌亮氏に聞いてみた。
「投資家目線」と「冷笑系」
雨宮 伊藤さんが2023年、雑誌『世界』(岩波書店)3月号に発表された「ひろゆき論 なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」を読んで、とても感銘を受けました。私も、ひろゆき氏や「ホリエモン」こと堀江貴文氏、あるいは成田悠輔氏といった、「上から目線」で相手をからかうような態度を取る、いわゆる「冷笑系」の人物がオピニオンリーダーとして支持を集めるのはどうしてなのかということを以前からずっと考えていて、自分の経験を交えてコラム(本連載「私が『冷笑系』だった頃〜『リトルひろゆき』たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々」)にも書いています。
私は20年近く前から生活困窮者支援の活動に関わっているんですが、貧困当事者の中にも「冷笑系」を支持する人たちはかなりいるように感じています。彼らは困窮者支援に関わる、世間で「リベラル」(本来、寛容的な優しさや個々人の自由を優先する主義を言う。日本における定義は後述〈後編〉)といわれるような人たちを「偽善者」といって毛嫌いしていたりする。非常に大変な状況にあるはずの人たちが「自己責任」を唱える「冷笑系」に惹かれ、一応は自分たちを助けてくれるはずの「リベラル」を嫌うのはどうしてなんだろうとちょっと不思議に思うのですが、どうお考えですか。
伊藤 雨宮さんがコラムの中で、ひろゆき氏などを支持する自分の周りの人たちが、世代にかかわらず「経営者マインドをナチュラルに搭載している」と指摘されていたのを読みました。自分は最低賃金で働いている「末端の労働者」なのに、「時給を1500円にしろ」なんてデモを見ると「バイトの時給なんか上げたら企業が潰れる」などと、労働者ではなく経営者のような視点で語り出す、と。
たしかにそのとおりだと思ったのですが、私自身はこれは「投資家目線」なんじゃないかと考えています。
雨宮 「投資家目線」ですか。
伊藤 はい。今の日本は「投資」という行為が非常に重視されていて、「誰でも投資家」というべき状況になっていますよね。
これは、国の政策と関連しています。日本では、1990年代の終わりから新自由主義の流れが強まり、「自由化」の呼び声の下でさまざまな規制緩和が進められました。これはもともと、今後の経済成長に向けて規制でガチガチの日本社会を変えよう、「政財官」の癒着、つまり政治家と企業と官僚が癒着して利益誘導型政治を進めている状態を変えようというところから始まったもの。それ自体は、別に悪いことではなかったと思います。
ただ問題だったのは、実際に進められたのが本当の「自由化」ではなく、財界や経団連に都合のいい、恣意的な「自由化」だったこと。つまり、「産業の自由化」はあまり進まなかった一方で、雇用と金融の自由化だけが徹底的に進められることになったのです。
雨宮 雇用の自由化で非正規労働者が増え、99年には改正労働者派遣法が成立。「日雇い派遣」などが横行して、ワーキングプアが一気に増えましたね。
伊藤 はい。そして、実はその背後で、いわゆる金融ビッグバンにより金融における規制緩和が急速に進められて、個人の投資家が急増したんです。政府も「貯蓄から投資へ」といって、この流れを強く後押ししました。「自由化」といいながら、働き方とお金に関わることだけが自由化されてしまったわけです。
結果として、正業は非正規労働でワーキングプアのような状態、でも副業で投資をやっている、という人たちがどっと増えました。インターネット掲示板「2ちゃんねる」の「投資板」に集まっていた中から、何十億円も稼いだという人が出たのもこのころです。そうした「一発逆転」した人たちの存在が、「冷笑系」が支持を集めるようになる一つのきっかけだったんじゃないかと思います。
雨宮 「投資家目線」でものを考えるようになると「冷笑系」になる?
伊藤 そもそも投資家というのは、自分で事業をやるわけではなく「金だけ出す」立場なので、「上から目線」になりがちだと思うのですが、それだけではありません。
これは、最初に雨宮さんがおっしゃった「リベラルを嫌う」話とも関連しますが、労働環境が劣悪だったり、クビを切られたりしたときに、頼りになるのは本来なら労働組合(労組)のはずですよね。しかし、非正規労働で不安定な状況に置かれている人たちにとっては、そうではなかった。日本の労組は正社員優先だし、企業別労組が中心なので、非正規労働の人たちの声を代弁してくれる存在ではなかったからです。
しかも2000年ごろからは、給与がなかなか上がらない一方で、リーマンショックや大震災の時期を除けば、株価は上昇するという状況が続いていました。であれば、労組に訴えたりして社会を変えていくよりは、株や金融の知識をライフハックにして一発逆転したほうがいいという考えになりますよね。
雨宮 それはそうなるかも……。
伊藤 今、投資だけではなく副業も国レベルで奨励されていますが、大きな企業の正社員として守られている人はほんの一部で、それ以外の人は副業や投資でなんとかやっていくしかない。この30年で、日本はそういう国になってしまったわけです。結果として、ちゃんと労働をしてその対価として給与をもらって、何かあれば社会保障に頼るという従来のモデルとは違う「投資モデル」が、ものすごく大きくなっている。その成功の象徴であり、生き抜くためのノウハウを授けてくれる存在として、堀江氏やひろゆき氏が支持を集めてきたということなんだと思います。彼らもまた、リベラル的な立ち位置の人に対しては非常に辛辣ですよね。

伊藤昌亮氏
正攻法か「裏道」か
雨宮 私が今、問題だと思っているのは、どんなに倫理観のない人でも、物言いに問題のある人でも、稼いでさえいれば何も文句を言われないという風潮があることです。そうなってきたのって、やっぱり2000年くらいからじゃないでしょうか。それ以前はオピニオンリーダー的な存在の人はもう少しまともだった……というか、少なくともある程度の倫理観は求められていた気がするんですね。それが「俺はこのやり方で稼いでるんだ、なんか文句あるか」と経済的成功に居直る人が増えた。「稼いでいるかどうか」がすべての評価の基準になってしまっている気がします。
伊藤 われわれ自身も、「投資家目線」に毒されてしまっているところはある気がしますね。
私は投資の怖いところは、結局は「他者に対する」ものでしかないことだと思っています。本来、自分が成長するためには、一生懸命勉強するとか仕事をするとか、自分自身に投資する必要がある。でも、金融投資というのは金銭的な見返りはあっても、自分自身の社会的な成長にはつながりません。
「投資家目線」で考える人たちは、たしかに経済にはある程度詳しい。でも、実際には経済といっても短期的な市場動向を見ているだけに過ぎません。だけど、それでちょっと儲かると、「どの企業が成長するか俺には分かるんだ、世の中のことは全部知ってるんだ」と、自分がすごく偉くなったように錯覚してしまうんじゃないでしょうか。
雨宮 時々耳にする「経済を回す」なんていう言葉は、まさにそういう感覚なんでしょうね。
それとつながるんじゃないかと思うのですが、最近、炊き出しや生活相談会に来る人たちを見ていると、「情弱(情報弱者)だと生きていけない」という感覚が広がっていると強く感じます。炊き出しや各種支援団体、スポットワークなどの情報をすごく細かく集めてネットで共有しているだけでなく、「ポイ活」や電子マネーをもらえるようなゲーム情報にも詳しくて、そういうものをライフハックとして活用している感覚というか。そういう人に生活保護利用を勧めても「自分はこうして情報を集めて福祉の世話なんかに頼らず生きてる」という感じの反応で。スマホがそれほど普及していなかった15年前の「派遣村」の時代にはなかった光景です。