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私の「毒親」体験記 友人母に捕獲・支配され、そこから解放されるまで

雨宮処凛(作家、活動家)

 この数年で定着した言葉の一つに「毒親」というものがある。

 いわゆる「毒親持ち」に話を聞くと、この言葉の定着による恩恵は大きいようだ。

 例えば少し前まで親のことを悪く言おうものなら「親を悪く言うなんて」と批判に晒されるのが定番だった。が、今は「世の中には“毒親”というものがいるらしい」ということは以前よりは理解されている。

「毒親持ち」に話を聞くと、「小さな頃から突然激昂し出して、家にいるときは一瞬も心が休まらなかった」「ロスジェネだったことにより就職難とかお金で苦労したけど、どんなに生活が苦しくても親に頼るという道はなかった」など大変なエピソードばかり。

 ちなみに私はこの20年近く困窮者支援の現場にいるが、コロナ禍くらいから毒親の相談がどっと増えた印象がある。

 と、突然「毒親」について書いたのは、15年以上前、私もその被害に遭ったからだ。

 実の親ではない。友人の親がそうだったのだ。最初は過干渉な親を持つ女友達の助けになれば、という思いもあった。しかし、気がつけば、友人の親はターゲットを私に変え、支配しようとしてきたのである。

 この経験を通して、私は「世の中には絶対にわかりあえない人間がいる」ということに気付かされた。それまでいくら「毒親」といえども、ちゃんと話せばわかるのでは、と思っていた自分を心から恥じた。そんな悠長なことを言っていられる人は、まだ「ホンモノ」に遭遇していないだけの幸運な人なのだ、と。

「こちらがいくら心を尽くしても言葉が通じない人間がいる」という認識は、その後SNSの時代になり、自分を守ることにもつながった。関わるだけでこっちが満身創痍になる人というのがこの世には存在するのだ。

 ということで、そんな経験を書きたい。

 詳しいことはぼかすが、被害のきっかけは、ある友人――同世代、名前はA子としておく――との出会いだった。もう15年以上前のことだ。

 A子の最初の印象は「清楚で素敵な人」。

 が、付き合っていくうちに「母親の話ばかりするな」と違和感を抱くこともあった。親のことを尊敬しているのだろうなという思いとともに、「30代なのにお母さんの話題多すぎね?」とも思うようになった。きっと過保護で過干渉な母親なんだろうな。付き合いを続けるうちに、いつからか確信していた。

 そんなA子から、「うちのお母さんに雨宮さんのこと話したら会いたいって言うから、今度連れてきていい?」と言われたのは出会って数カ月の頃。

 え? 少しギョッとしたが、「仲良し親子」なのかもしれないと思い直し、違和感はありつつも、OKした。

 今思う。この時点で断っておけばよかったと。だって考えてみれば、中学生くらいの頃から友人関係における「お母さん介入」はもっともタブーとされてきたことではないか。

 ギリギリ小学生なら遠方に行く際「親がついてくる」があったけど、高学年の時点で、そんなのウザくて仕方ないことだった。そうして中学時代に入ると、両親という存在は「同級生などに絶対見られてはいけないもの」となったし、一緒に歩いてるところを知り合いに見られたら、もう穴を掘って埋まりたいくらいに恥ずかしいことだった。

 そんな思春期はとっくに過ぎたけれど、以降、私の人生に「お母さん」連れの人が現れることはなかった。それが、成人女性の友人関係に「お母さん」が入ってくるというのである。ちょっとした異常事態ではないか。

 それでも断りきれずに会ったわけだが、初めて会った友人の母は、一言でいうと魅力的な人だった。

 ちなみに友人の家はそこそこ裕福らしく、「友人母」というよりは「セレブなマダム」に会ったような感覚。新しい世界の扉が開いた感覚に、ちょっと興奮したと思う。

 しかし、ここからが地獄の始まりだった。

 まず友人母――毒子と名付けよう――はA子を差し置いて、私と2人で会いたいと言ってきた。この時点でもうおかしい。普通、人は友人の母親に何の用も興味もないし2人で会うなんて聞いたこともない。が、毒子はものすごい勢いで距離をドン詰めしてくる。

 結局、断りきれずに2人でランチをしたが最後、そこからA子と私、毒子の3人というセットでの付き合いが始まった。A子はとにかく母親の言うことを絶対に断れないのだ。よって3人でご飯、3人でのお出かけ(コンサートとか)という奇妙な関係が始まった。世代も違う毒子とは興味も関心も当然違うので行動を共にするのは面倒だった。が、私が毒子の同席を拒否すると、A子がひどい目に遭わされるのではという気持ちもあった。

 それでも毒子が「普通にいい人」だったら、「まあいいか」と友人の親孝行に付き合っただろう。

 しかし、毒子はいつからか私を「支配のターゲット」とし、常にジャッジしてダメ出ししては「自分の言うとおりにしろ」という態度を剥き出しにするようになったのだ。

 当時を振り返ると、まず、会った瞬間から「採点」が始まる。

 服装、靴、バッグ、メイクから髪型に至るまで細かくチェックされ、「これはいいけどこれはダメ」「今日はまぁ、合格かな?」などと点数をつけるのだ。

 今思えば、「お前、何様?」の一言だ。そんな失礼なことをされたら即「うるせーババア」と吐き捨てて帰るのが最適解だと思う。が、当時の私はA子の手前、ヘラヘラ笑うことしかできなかった。

 チェックは服装だけでなく、いつからか仕事や私生活にまで及び、毒子はさまざまに口を出してくるようになった。

 例えば私をベストセラー作家などと比較し、「あなたが○○さんのようになれない原因を考えろ」「あの人はこんなに売れているのに」「そんなんじゃすぐに飽きられて見捨てられ路頭に迷う」など、呪いの言葉ばかりを投げかけてくるのだ。

 そもそもこっちは同じ「作家」と言っても零細な隙間産業で、それでも好きでやってる身。別に100万部とか目指してるわけじゃない。だけど顔を合わせるたびに否定されると、どんどん心がしぼんでいく。

 ちなみに毒子は専業主婦で、出版業界への知識は皆無。しかし、なぜか自信満々でダメ出しをする。

「ダメ出し」はそれだけではない。「昨日こんな映画を観て」と言えばその映画を否定され、「この前洗濯してて」と話していたら使っている洗剤などを聞き出されて否定される。どうでもいいけど、いちいち疲れる。また、毒子の家で食事などしようものなら片付けや皿洗いの様子を至近距離で監視され(おそらくそのテストとしての自宅での食事)、やはりダメ出しされるのだった。姑かよ……と思いつつ、いつも不満を飲み込んでいた。

 毒子に会うと、それまでどんなに楽しい気持ちでいても、全部台無しになった。帰り道は足取り重く、「自分はなんてダメなんだ」とどんよりした気分になった。それまで仕事や対人関係を通してコツコツと積み上げてきた自信が、少しずつ、だけど確実に削られていくのを感じていた。

 そうして、気づいた。世間的には憧れられるような肩書きや美貌を手にしているA子が、どこかものすごく自信なさげな理由に。あんなにダメ出しされてりゃ、そりゃあ最低限の自信もなくなるよな……。そう思った。

 そんなふうに自分の娘と私を支配下において、毒子はどんどん増長していった。

 ある時など、突然「あんたは意識低いから、絶対子ども産んだらダメよ」と面と向かって言ってきた。なんの脈絡もなく、顔を合わせるなりいきなりだ。あまりにも不意打ちの暴言に、精神的な通り魔に遭った気分だった。しかもアラフィフの今と違って当時の私は30代。いろいろと悩みや葛藤も多い時期の女性に絶対に言ってはいけない言葉の、ぶっちぎりナンバーワンではないだろうか。

「そんなババア、切ればいいじゃん」と思うだろう。が、ここまでで規格外の行動・言動ばかり見せられているため、下手な関係の切り方をするとトンデモないことをしそうで怖くて行動を起こせないのだ。「何やらかすかわからない恐怖」が植え付けられていたのである。

 実際、「逃げたらこうなるぞ」という見せしめのようなことはよくしていた。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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