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連載

「加害」と「被害」をめぐるあれこれ 〜「受動的攻撃」を描いたある漫画

雨宮処凛(作家、活動家)

 帯には、以下のような言葉がある。

〈「自分の意見を主張せず、争いごとが嫌いでニコニコしている」そんな“いい人”のアヤ。しかし彼女は無言で相手の罪悪感を刺激する。攻撃的な言葉を発さずに、相手を追い詰めていく。ーーそんな人、あなたのまわりにもいませんか?〉

 主人公は夫と小学生の娘と暮らす会社員のアヤ。

 いつもニコニコしていて人によって態度を変えず、上司には決して口答えしない。それだけでなく、意見も言わず、選択もしない。

 しかし、彼女の周りにいる人は、モヤモヤした気分を植え付けられる。

 例えば一緒にランチに行く際も彼女は〈なんでも大丈夫です!〉と言う。しかし、店に入ると明らかに浮かない顔。相手は〈もしかしてイタリアンいやだったのかな…〉と不安になる。〈大丈夫だった?〉と聞くと笑顔で〈え? おいしかったです〜〉。

 そんなシーンのあとはこう続く。

〈怒りを直接的に表現せず 無言・無視 ため息・わざと返事を遅らせるなどして 遠回しに相手の罪悪感を刺激する〉

〈これを「受動的攻撃」という〉

〈そもそも“攻撃”には「能動的攻撃」と「受動的攻撃」がある 「能動的攻撃」は暴力・暴言などのわかりやすい攻撃 「受動的攻撃」は一見“攻撃”とわかりにくい 本人もおそらく“攻撃”だとは思っていない〉

 少し前、「フキハラ」という言葉が注目された。「不機嫌ハラスメント」の略で、わざと不機嫌を隠さず、大きなため息をついたり大きな音を立ててドアを閉めたり舌打ちしたりという態度だ。周りにいる人を、「何か私が悪いことしたかな?」と不安にさせるコミュニケーション。

 しかし、「受動的攻撃」は、それよりさらに巧妙でわかりづらい。アヤも不機嫌な態度などは決して見せず、口癖は〈私が悪いんです〉。

 読み始めてすぐ、心当たりがありすぎることにざわざわしてきた。

 ため息や不自然な沈黙、そしてこちらからの連絡に対する返信の遅さや無視など、自分がこれまでされたことに名前をつけると「これ」だったのでは? ということが次々と浮かんだからだ。

 いや、自分が「された」側だから覚えているわけで、私も無意識にこのような攻撃をしていないなんて言えない。というか、してない自信がそもそもない。

 漫画ではアヤの日常が描かれていくのだが、〈彼女は体調不良で怒りを表現する〉という言葉には「うわ」と声が出た。それだけではない。

〈彼女は被害者ポジションに自分を置き 相手を加害者に仕立て上げる〉〈そのためならどんな我慢も厭わない〉

 実際、アヤは職場で攻撃対象とした上司の仕事を肩代わりすることでキャパオーバーとなり、過労で倒れるほどに我慢を厭わない。

 倒れれば、周囲は「アヤさんにそこまで仕事を押し付ける○○が悪い」「アヤさんは本当にいい子」「断れなくてかわいそう」という評価になる。上司はと言えば「ひどい人間」「悪者」になる。

 そんな受動的攻撃をする人について、漫画に登場する医師は、〈子どもの頃 親に合わせてきた人が多い〉こと、〈「怒り」を持てない環境にいた〉ことにより〈大人になってもストレートに主張でき〉ず〈遠回しなやり方で攻撃してコントロールしようとする〉のだと解説する。

 思えば多くの人は、人をコントロールする手段など持っていない。それは力のある者の特権でもあるからだ。

 が、唯一、「被害者ポジション」になればそれは手に入る。

 医師はそんな受動的攻撃について、「一概に悪いものではない」とも付け加える。「親に勉強を強いられた子どもが成績を落としたり不登校になったりは子どもが唯一できる攻撃で、程度の差はあれ誰もがしたことはあるのでは」、と指摘する。

 また、「被害者ポジション」は必要な時期もある。なんらかの被害を受けた人が自分の身に起きたことを「被害」と認識し、自らを被害者と捉えることが回復には不可欠というのは広く知られていることだろう。よって、被害者になることは必要な過程であるということも忘れたくない。

 一方、アヤはターゲットとした上司を「加害者」に仕立て上げ、相手を追い詰めていく。

〈あの人は「加害者」 加害者は罰せられ 被害者の私は守られる それが正解 いい気味〉

 そう思い、満足げに笑うアヤ。

 そんな彼女がどうなっていくかはぜひ漫画を読んでほしいのだが、「受動的攻撃」という概念はアメリカで生まれたものだという。「Passive aggressive」といわれ、嫌われるコミュニケーションだそうだ。

 漫画では会社や家庭での問題として書かれているが、今やネットでも猛威を振るっている「受動的攻撃」。

 SNSを開けば、今日も誰かが誰かに「傷つきました」と書き込み、名指された方は「加害者」と認定されて時に集団リンチの対象となる。そうして「加害者なのだから罰せられて当然」とばかりにエスカレートしていく攻撃。

 これは何も日本に限った話ではない。ジェンダーや人種、肌の色などの属性を巡り、世界中で今日も多くの人が「傷つきました」とSNSに書き込んで議論が終了したり、加害と名指された側が集団リンチの対象になったりしている。これを読んでいるあなたが「加害者認定」されない保証なんてどこにもない。

 ちなみにこのような状況について分析された『「傷つきました」戦争 超過敏世代のデスロード』(カロリーヌ・フレスト著/堀茂樹訳、中央公論新社、2023年)は一読の価値がある。フランス人ジャーナリストによって書かれたものだが、確実に身に覚えがある今日的なモヤモヤの正体が鮮やかに示されているからだ。

 ということで、暴力が封じられた世界で新たに出てきた、見えづらい攻撃。

 今一度、加害と被害、そして自分や周りの人々を見直すために「受動的攻撃」という言葉を覚えておいて損はないだろう。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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