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連載

20代前半で「BBA扱い」されていた女子高生ブームの90年代 〜援交、パパ活、売防法〜

雨宮処凛(作家、活動家)

 2026年の1月、51歳の誕生日を迎えた。

 昨年は50歳という大台に乗ったので、半世紀を記念して自ら生誕祭を企画、イベントを開催した。

 こんなふうに私は日頃から自分の年齢をオープンにしているのだが、時々「勇気がありますね」「普通はその年だと隠す人が多いのに、なんでですか」と言われることがある。

 勝手に人の年齢を「恥じて伏せるべき」ものとするような発言に思うところがないわけではないが、10代の頃から「年を重ねること」に否定的な思いはまったくなかった。

 というか、若かりし日々があまりにも苦しかったので、早く年をとりたかったということもある。10代の頃から漠然と「早く30代になりたい」と思っていたし、そうすれば、今の悩みも少しはマシになると考えていた。また、ここに至るまでに多くの友人知人を自死や事故や病気などの形で亡くしたということもある。年をとれるということは、奇跡の積み重ねなのだ。

 が、もっとも大きな理由は20代前半の頃、女子高生ブームだったことが大きいのかもしれない――。最近、1990年代について振り返る機会があり、そう思い至った。

 女子高生ブームとは、突如として90年代後半に起きたもの。女子高生が「社会現象」のように注目され消費され、渋谷の街にはブルセラショップなるものがオープンし、そこでは女子高生のルーズソックスや下着だけでなく「唾」までもが販売されていた。おじさん雑誌はこぞって女子高生への劣情を駆り立てるような特集ばかりし、売買春をマイルドに言い換えた「援交」という言葉を耳にしない日はないくらいだった。

 有名な社会学者はそんな女子高生を「身体を売っても傷つかない」存在として語り、彼女らの生き方を「まったり革命」と呼ぶなど新たな人種のように描写した。著名な小説家も女子高生を主人公にした小説を書き、そういうことがあるたびにおじさん雑誌はまた女子高生で盛り上がった。

 振り返れば鼻息を荒くしていたのはおじさんだけで、おじさんのおじさんによるおじさんのための女子高生ブームだったのだが、権力を持っているのはおじさんなので、「援交する女子高生」は数年間、時代のアイコンであり欲望の象徴であり続けた。ちなみにそういうおじさんは今頃、エプスタイン事件などを糾弾している気がしないでもないがどうだろう。

 そんな女子高生ブームの頃、私は20代前半。ブームをどう見ていたかというと、女子高生たちが気の毒で仕方なかった。なぜなら、通学で乗らなければいけない電車の中吊り広告には、「女子高生」とセットで吐き気を催すような言葉ばかりが並んでいたからだ。しかも、制服姿の写真入りで。そんなものが堂々と掲示されている満員電車に男性とともに乗らなければいけないなんて、どれほどの拷問だろう。なぜ、そのようなことを考えて「やめよう」と言う大人がいなかったのか。

 ちなみに私が女子高生だった80年代終わりから90年代はじめにかけては「女子大生ブーム」。ワンレンボディコンソバージュの女子大生がアッシーやメッシーを携える、という令和の若者には解読不能な暗号にしか見えない現象が大流行していたのだが、どちらのブームにもかすりもしなかったことは今思うと幸運だったと思う(高卒なので、そもそも女子大生にすらなれなかったのだが)。

 そんな女子高生ブーム真っ盛りの90年代後半、物書きデビュー前の私はキャバクラで働いていたのだが、客から「女子高生と援交した」という話を聞いたことは一度や二度ではない。

 いくら世の中で「援交」という言葉が流行ろうと、そういうのはテレビや雑誌の中だけの話で、まさか自分がリアルな場所で顔を合わせる男性(しかも妻も子もいる)が「援交」という名でカジュアル化された未成年買春をしているなんて、想像もしていなかった。

 しかし、当人は「だって雑誌とか深夜番組とかで『女子高生は一度は買っとけ』って言ってるじゃん」と悪びれる様子もなく、それどころか「援交という最先端を体験してやった」ことを自慢したくてたまらない、という様子だった。今でこそメディアに対し、「売る女性側だけでなく買う男性側にこそ取材しろ」という声はあるが、90年代後半、世の関心は女子高生だけに向いていて、「買う側」は恐ろしいほどに「透明な存在」だった。それが急に目の前に、毛穴とか脂とかを伴って現れた時の衝撃はいまだに忘れられない。

 そんなキャバクラ時代、私はそのような客たちに「おばさん扱い」されていた。

 女子高生ブームの中、もっとも価値があるのは「若さ」であり、20歳を超えた女は全員BBA(ババア)という価値観を客たちはナチュラルに搭載していたからである。

 それでも20歳ならまだいじられ方は優しかったが、当時の私は22、3歳。席について年齢を言うと、客たちは「おばさん!」「ババア!」と叫び、時に私に「ドモホルンリンクル」「SK-II」などのあだなをつけた。

 今思い出すと、本当に異常だと思う。なぜならそんなあだなをつけた客たちは、30〜60代だったのだ。そんなジジイ(ババアと言われたので言い返します)が20代前半の女をつかまえておばさん扱いする。人類はどこまで自分を棚に上げることができるのだろう? 例えば私がホストクラブに行ったとして、20代前半のホストに「おじさん」と言うことなんてあり得ない。そんなこと言ったら、自分は生きる屍の領域であればまだいい方、墓石とかと同類じゃないか。

 さて、このような不遇な経験をしたことにより、私は20代前半にしてすでに自分は「若くない」のだと思い込んでいた。若さを誇れる時期などとうに過ぎ、「若い女」という枠では戦力外の存在なのだと刷り込まれてきた。

 よって口には出さずとも、その頃からずっと「ババアですみません」という気持ちで生きてきた。51歳にして、すでに「おばさん歴約30年」なのである。そんなおばさんが年を気にするのも変だろ、ということで年齢へのこだわりがなかったのでは――。最近、いろいろと思い出して、改めてそう思い至ったのだった。

 そうしたら、なんだか急に、悔しくなった。20代前半で、あれほど「若くない」と言われ、それを真に受けていろんな場面で遠慮してきたことのすべてが。そしてそれが、女子高生ブームなんていう、おじさんの欲情のために作られ煽られたもののせいだったことが。

 そんな女子高生ブームは数年で去った。街からブルセラショップは消え、「チョベリバ」「チョベリグ」という言葉は光の速さで死語となり、いまだ「あの時代」の検証などは行われず、なんとなくうやむやになったまま時代は令和になった。

 そうして「援交」はいつからか「パパ活」に名前を変えたが、最近、売春防止法改正の議論を巡り、これまで透明だった「買う側」への処罰を求める声が大きくなっていることをご存知だろうか。

 そのような情勢を受け、さまざまなメディアが売買春などについての記事を多く発表しているのだが、最近読んだある記事に、ちょっとした衝撃を受けた。

 それは2026年3月31日に朝日新聞デジタルで公開された「やめられぬ性風俗『向こうも仕事』 売春防止法改正は『関係ない』」。

 この記事で扱われるのは、売春防止法ではなく風営法のもと性的サービスが提供される性風俗産業だ。が、「性を『買う』とは何なのか」という問題意識のもと、「東日本に住む30代後半の男性」を取材している。

 この男性が初めて風俗店を利用したのは大学の卒業旅行。が、大学時代から誕生日の友人に風俗店の料金をおごる習慣があり、それは「ピンクを贈る」と呼ばれていたという。社会人になってからは数カ月に一度の頻度でデリヘルを利用するようになり、妻子がいる今もそれは変わらない。部屋に来た女性が「デリヘルなんて嫌だ」と泣いたこともあるそうだが、取材に対し、「大変な仕事だと思うが、向こうも仕事だから」うしろめたさを抱いたことはないと答えている。

 彼はデリヘルを「フードデリバリー」にも喩(たと)えており、淡々とした語り口に結構な衝撃を受けたのだが、おそらくこのような感覚は「日本の性産業に疑問を持たないタイプの男性」の最大公約数なのだろうとも思う。

「向こうも仕事」、確かにそうだ。また、私がこれまで耳にした肯定論の中では「金を払っているのだからその人を助けていることになる、金も払ってない部外者が口を出すな」という意見もあった。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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