溺れる、沼る、やめられない〜生きるための依存と、それを手懐けるヒント
雨宮処凛(作家、活動家)
例えば人とのコミュニケーションが苦手で、お酒を飲むと緊張が少し和らぐという横道誠さんはアルコール依存症の治療中。ASDとADHDの診断を受けている横道さん は、「節酒をするようになってから、飲酒の他に満足できる行動を取るようになりました」と語る。
〈たとえば、自助グループで話を聞いてもらうこと、文章を書くこと、日中から好きな映画やアニメをたくさん見たり、ゼロカロリーのコーヒーやコーラを日中にたくさん飲んだりすること。それから、温水浴と冷水浴を反復したり、好みの漫画や小説を収集したりすること。日中から満足してるとムシャクシャした気分とか、なんとなくつまらない気分というのが減っていくわけなので、夜にドカ食いとかドカ飲みとかすることは少なくなりました〉
また、コーピングとして「オタクになる」ことも勧められている 。確かに一人で夢中になれるものがあれば、人生の苦痛を一時、忘れられる。
面白いのは、松本俊彦さんが「人と仲良く付き合いながらも、すべての魂を売り渡さない。ある程度、距離を保つ」マイルド・サイコパスになることを勧めていること。
そして重要なのは、「秘密の安全基地」を持つことだ。
そうすると、〈集団に価値を置きすぎなくなるんです。友達と仲良くしながらも、「ここまで」という一線を引ける。それが、自分を守る方法だったんじゃないかな、と今は思います。(中略)誰にも言わない趣味。誰にも見せない世界。それを持っていることが、自分の「コア」を作るんです。親友にすら秘密にしておく世界を持つこと。それが、自分を守る力になると、僕は思っています〉
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この文章を読んで、子ども時代いじめに遭い、以来、ずーっと対人恐怖気味で20代までリストカット、オーバードーズを繰り返してきた自分がなんとかその時期を生き延びられた理由がわかった気がした。
あの時の私を生かしたのは、唐突だが、読書だった。相談できる人がいないどころか人間全般に不信感しかなく、極力人と接しないよう生きる中、友人であり続けてくれたのは本だけだった。小説やノンフィクション、20代の頃に流行っていた様々なサブカル系のものなど手当たり次第に読んだ。読んでいるその間、いろいろなことを忘れられた。
振り返ればもっと昔、幼少期からそうだった。友人が少ないゆえ、家で本ばかり読んでいたのだが、その習慣が私を救ったのだ。もしあの時、読書習慣がなかったら。「若い女」だったあの時期、自傷的な恋愛やセックスといったものでいろいろなつらさを誤魔化していたかもしれない。それは非常にリスキーなやり方だ。そんな状況の「若い女」は「悪い男」にひっかかると相場が決まってる。
さて、あれ以来、リリちゃんのウンコはどうかと言えば、最近はちゃんと猫トイレでしてくれる。が、私がまた一人深酒しそうになってくると(なんとなくそんな日もある)、そんな日に限ってきっちりソファでウンコしてくれる。今朝も起きたら、ソファの真ん中に立派なものが産み落とされていた。
リリちゃんに支えられている今だが、お酒があったからこそ生き延びた夜というのも確実に、幾度もあった。
そのことに、2冊を読んで、改めて気付かされたのだった。