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連載

変革への闘い

「ラテンギャング・ストーリー」12 異なる選択肢

工藤律子(ジャーナリスト)

 サン・ペドロ・スーラでの取材2日目、私たちは車でマラスの影響力が強いことで知られるもう一つのスラム、町の南に位置するチャメレコンへ向かった。そこにはジェニファーたち、NGO「ホンジュラスの若者よ、共に前進しよう(JHA-JA)」の活動拠点がある。
「JHA-JAは現在、私とあと3人のスタッフが動かしていますが、1人は壁画などのアートプロジェクトを担当する若者で、あと2人は今から行くチャメレコンでスポーツプロジェクトを担当しているアルマンドとエクトルです」
 ジェニファーが、今日会うスタッフについて説明する。2大マラスの一つ、「マラ・サルバトゥルーチャ(MS)」のメンバーだったエクトルの話を聞くのが、チャメレコン訪問の最大の目的だ。彼は、地域のMS主要メンバーに食料といった必要物資を運ぶなど、現在でもMSに協力しているが、もう麻薬売買や殺人などの犯罪には関わっていない。ジェニファーたちは、そうした立ち場の元ギャングを、“穏やかになったギャング”と呼んでいる。
 ジェニファーによると、彼は2004年ごろからJHA-JAの活動に参加した後に、スポーツトレーナーになるための研修を受け、06年にチャメレコン地区スポーツ学校のサッカーコーチに雇われた。おかげでまじめに生活しているという。
 途中、JHA-JAのアートプロジェクトで描かれた壁画を幾つか見学しながら、目的地を目指す。チャメレコンに入ってまもなくの所にある壁には、「アートこそが命。武器と暴力をなくそう」というメッセージが入った作品が描かれていた。
「この壁の前の道で10年ほど前、バスが襲撃され、20人以上が亡くなりました。犯人は防弾チョッキを着て目出し帽をかぶった男たちで、車2台でバスの前にまわり込み、停車させて、乗客を皆殺しにしたのです。“死の部隊”と呼ばれる警察の組織に違いありません。彼らは事件をマラスのせいにし、マラスへの弾圧を正当化しました」
 真剣なまなざしで、ジェニファーが言う。 
「私は正直、マラスやギャングよりも、警察のほうが怖いのです」

 チャメレコンの中心に来ると、子どもたちが集まるフットサル場の前で、JHA-JAスタッフ、アルマンドが待ち受けていた。彼はギャング歴のない若者で、地域の子どもと若者たちのサッカーリーグを、エクトルと共に運営している。「エクトルは今、こちらへ向かっています」と教えてくれる。
 数分後、バイクに乗ったエクトルが現れた。今まで会った「元ギャング」や「穏やかになったギャング」の中で、最年長の42歳。サッカー・スペインリーグの人気チーム、バルセロナのユニフォームを着た彼は、ややずんぐりしていて愛敬のある顔だが、どこか用心深そうな目をしている。
 JHA-JAのスタッフ3人はインタビューのために、私たちをふだん彼らが主催するサッカーリーグで使っているグラウンドへと、案内した。そこは、スラムの一角にある広い空き地といった感じの場所で、奥には体育館のような建物が立っている。
「以前はJHA-JAが政府からあの建物を借りて、様々な活動をしていたんです。ところが09年に軍事クーデターが起きて以降、軍が私たちを追い出して、駐屯地にしています」
 ジェニファーがため息まじりに言う。
「でも、サッカーグラウンドを使うことには、特に文句は言ってこないよ」
と、エクトル。
 そのサッカー場の端に座って、エクトルにMSに入った経緯を聞いた。

「子どもの頃はフツウのギャング団で、仲間とたむろってはビールを飲んだり、敵のギャング団とケンカしたりしていた。盗みも殺人も無しだ。19歳の頃にアメリカへ不法移民として働きに行き、レストランの皿洗いなどで稼いだ。でも01年に母さんの糖尿病が悪化したので、帰国したんだ。それからMSに入ったわけさ」
 彼の兄弟は皆、結婚と同時にここを離れたため、独り家に残された母親のために帰国したエクトルは、アメリカでファッションとして入れたタトゥーが原因で、マラスに入ることになった。ホンジュラスでは、この頃すでにタトゥーをしている者=マラスメンバーというのが、当たり前だったからだ。地域で抗争を繰り返していたMSとそのライバル「ディエシオチョ(スペイン語で18の意味。略して18)」のどちらかに付かなければ、うっかり殺されかねない。
「JHA-JAのおかげでスポーツトレーナーの道が開けて、仕事ももらえたから、06年以降はMSの活動を離れて、まじめに働いているよ」
 と、そこまで話したところで、エクトルは突然、低い声で私にこう告げた。
「(テープレコーダーでの)録音はやっぱりやめてくれないかい?」
 急にどうしたのかと聞くと、ふとある事件を思い出したと言う。
「実はMSの仲間で、今年初めに殺されたヤツがいるんだ。そいつはずいぶん前にスペインのテレビ取材を受けたんだが、それが今になってYouTubeに流れていたのを18の奴らがみて、殺しにきた。番組の中で18のメンバーを殺した話をしたからさ。顔は出なかったんだが、履いてたズボンでバレたらしい。だから録音や映像は残したくないんだ」
 結局、日本で記事が出る分には問題はないだろうということで、写真はOKとなった。
 それにしても、マラスというのは随分と執念深いようだ。
「そうだね。でも、この地域のMSは今、意外と柔軟だよ。俺のように子どもたちのための活動をしている場合なんか、応援してくれるんだ」
 エクトルによると、チャメレコンのMSは、年齢の低いメンバーがサッカーリーグに参加することを奨励しており、彼が組織しているサッカートーナメントに出場している10~12歳のカテゴリーの5チームのうち、2つはMSメンバーのチームだそうだ。
「ホーミーたちとは毎日、携帯電話で話しているから、いろいろ聞くんだ」
「ホーミー」とは、英語のHome から派生したマラス言葉で、地区の本格的ギャング仲間を指す。
「彼らは、あそこにみえる丘の上に住んでいるよ」
 エクトルが、スラムの西側に連なる小高い緑の丘を指す。
「届けて欲しいものがある時なんかは、いつも電話してくるのさ」
 地域のホーミーがすぐそこの丘に住んでいるとすれば、この町あるいは国全体のMSを指揮する大ボスは、どこにいるのだろう?
「刑務所だよ」
 彼曰く、トップはサン・ペドロ・スーラとテグシガルパの刑務所の中にいて、そこから指示を出している。つまり大ボスは1人ではなく、複数ということだ。
「北部司令部(サン・ペドロ・スーラ)と南部司令部(テグシガルパ)があるのさ」
 その大ボスたちに会ったことはあるかと尋ねると、「もちろん」と答える。
「俺が会ったのは50歳近い男で、体格がよく、腕力もあり、後頭部にタトゥーをしていた」

 エクトルの話を聞いた翌日、私たちは再びリベラ・エルナンデスへ行くことにした。というのも、ジェニファーが、初日にインタビューをした「穏やかになったギャング」のホタが話していた「もう死んでしまったマラス仲間」の一人の妻に、コンタクトしてくれたからだ。ホタは、メキシコで出会ったアンドレス少年も関わっていたマラス「パトス・ロコス(略称、V.L.)のメンバーだったが、JHA-JAの助けで犯罪を離れて、地元で雑貨店を開いている。その彼が、昔の仲間は30人以上が死んだと語っていたので、その関係者に話を聞くことにしたのだ。いわゆる「アクティブなマラスメンバー」にもまだ話を聞いていなかったので、その機会を得るためにも、戻ることにした。 
 車を降りて、ホタが経営する雑貨店の前でしばらく待っていると、死んだ仲間の妻だという女性が現れた。何とそれは、ホタの1つ歳下の妹、シンディ(31歳)だった。彼女は、ホタの店のすぐ隣に、再婚した夫と幼い子ども2人と暮らしている。
「前の夫、ポジョ(スペイン語で鶏の意味のニックネーム)とは17歳の頃に知り合ったんだけど、彼はその頃すでにバトス・ロコスのメンバーだった。私は親とうまく行ってなかったから、ギャングだろうと何だろうと、カッコいい彼と一緒に実家を出られるだけでうれしかったの」
 シンディは、ポジョとのなれそめを懐かしげにそう話した。
「それに彼はJHA-JAの支援を受けていて、そのうちスパイス売りを始めたの。自転車にスパイスを積んで、この地域で売り歩いていた。そんなある日、仕事中に道ばたで敵に撃たれて、死んでしまった。私が20歳の時のことよ」
 顔の両側に、V.L.のメンバーであることを示すVと Lのタトゥーを入れていたせいで、敵に気づかれ、殺されたのだという。彼女には当時、生後2カ月の息子がいた。
 その長男は11歳になり、今は彼女の実家で育てられている。
「息子には、父親とは違う道を歩みなさいと、いつも話しているの」と、シンディ。敵のギャングに殺されるのだけは、みたくないということだろう。
 彼女の話を聞いた後、ジェニファーに、さきほどからホタの店の前の通りを行き来しているマラスメンバーらしき少年たちに話を聞けないか、と相談すると、横にいたシンディが、「私が呼んであげるわ」と、1ブロック先を歩いていた少年2人に向かって、口笛を吹いた。と、少年たちは振り返って、こっちへ来いと手を振る彼女のほう、つまり私たちのほうへとやって来る。
「写真は撮らないから、話だけ聞かせてくれない?」
 そう言う私に、薬物をやっていたらしくやたらに陽気な2人が、あっさり「いいよ」と応じた。
 1人は少し浅黒い肌をし、もう1人は色白。ランニングシャツに7分丈のジーンズを履いたイケメン2人組は、19歳の双子の兄弟だった。
「16歳の時からバトス・ロコスにいるんだ」
 2人とも中学は出ているが、それ以降は学校に行っていないという。
「高校は敵の縄張りにあるから、行けなかったのさ」
 そう話す少年たちに、この通りで何をしているのかと尋ねると、
「朝5時から夕方5時ごろまで、通りを監視しているんだ」
という答え。随分と早起きの働き者ギャングだ。

 この辺りに何人くらいのメンバーがいるのか、という問いには、
「25人くらいかな」
 V.L.の下部組織といったところか。そのリーダーはどこにいるのか?
「この近くだよ」
 彼らに直接指示を出すリーダーは、すぐ近所にいるらしい。
「正式メンバーになるのに、何か儀式はあるの? 例えば、何秒間か殴られるのに耐えればいいとか」
 そんなふうに聞く私に、2人は顔を見合わせて、「そんなの古い習慣だよ。今はもっと簡単、1人殺せばいいんだ」と、ニヤニヤ笑う。もうその「儀式」を終えたのかという質問には、イエスともノーともつかぬ反応。
そこで質問を、「なぜギャングになったの?」に変えてみた。
「この地域にいたら、ほかに選択肢がないからさ」
と、兄弟。では例えば5年後に、自分は何をしていると思うか?
「きっと今と同じことをしているさ……」
 その言葉とともに、2人の顔から笑みが消え、瞳の奥に影が宿った。やはり本当は人生を変えたいと思っているのだろうか。私の疑問に、少年たちは少し悲しげな表情でこう答えた。
「気持ちはあっても選択肢がね……。あなたは僕たちに何か仕事をくれますか?」
 残念ながら、私には仕事を提供することなどできない。だがジェニファーの知る教会の若者支援センターなど、別の人生の選択肢を提供してくれる場は幾つかある。そうした場所で、職業訓練などに参加してみたいとは思わないかと話を続けると、兄弟はそろって、「ああ、もちろんだよ」と、静かに言った。
 双子の兄弟が立ち去った後、一連のやり取りを後ろで眺めていたホタが私に、「選択肢はあるのさ」と話しかけてきた。
「それに気づかずに、ギャングになってしまい、抜けられなくなる。自分もそれを後悔しているよ」
 結局は、どんな子どもや若者でも当たり前のように学校へ行き、複数の選択肢の中から自分の将来を選んで行けるような環境がないことが、彼らの目を曇らせ、人生を翻弄(ほんろう)し台無しにしているということだろう。
 ギャングの先輩であるホタの言葉をかみ締めながら、私は少年たちが口にした「リーダーはこの近くにいる」というフレーズが気になって、何気なく「彼らのリーダーって、誰か知ってる?」と、ホタに聞いてみた。
 すると彼は、ややためらいがちに、だがはっきりとこう言った。
「妹の夫だよ」
 え? つまり、シンディの再婚相手もギャングということか!? 息子に「父親と同じ道を行くな」と諭す彼女の意外な現実に、私たちは唖然とした。と同時に、さきほど現役マラスメンバーの双子が、彼女に呼ばれるとすぐに来てくれた真の理由が、わかった。リーダーの妻の呼び出しに、すっ飛んできたのだ。
 ジェニファーの話では、シンディの死んだ夫ポジョと現在の夫ソーラ(スペイン語でキツネという意味のニックネーム)は、同じギャング仲間で、ソーラもJHA-JAの支援で「穏やかになったギャング」だという。今はコヨーテ(アメリカへ不法入国したい人々の旅を、有料でサポートする人間)として働いているということだった。だが、どうやらそうではない「別の顔」も持っているらしい。
 ランチタイム。午後のバスでテグシガルパへ戻る前に立ち寄ったジェニファーの家で、私たちは1枚の写真をみせてもらった。それは、もう10年以上前、まだポジョやソーラが共にJHA-JAのプログラムに参加していた頃に撮影されたもので、そこにはふたりを含む計15人の若者が写っている。
「向かって一番左端にしゃがんでいるソーラ以外は、皆死んでしまったんです」
と、ジェニファー。唯一の生き残りが、現在のV.L.の地区リーダーというわけか。
「JHA-JAはこの8年余りの間に、30人ほどの若者の葬儀に立ち会いました」
 ギャングを離れない限り、若者たちの人生は限りなく短いという事実を、改めて突きつけられる。しかし、そうとわかってはいても簡単には離れられない空気が、このサン・ペドロ・スーラのスラムに生きる若者たちを包み込んでいる。
「ギャングたちは、例えば自分の家族を持つと大抵、暴力を振るう度合いが下がります。でも変わらぬ貧困がフラストレーションを生み出し、犯罪へと引き戻すんです。子どものいる“穏やかになったギャング”によく言われます。“いまの生活じゃ、子どもに飲ませるミルクを買うお金もない。ギャングだったら簡単に手に入るのに”と」
 つまり貧困を乗り越えるために、ギャング以外の人生の選択ができる社会になってこそ、若者たちはギャングにも死体にもならずに、本来の人生をまっとうできるということだ。
「だから私はどんなに先が見えなくても、JHA-JAの活動をあきらめる訳にはいかないのです」
 軍を使って活動拠点を奪うなどの政府の嫌がらせや予算不足のせいで、活動が縮小しているJHA-JA。その若きリーダーは、これからも闘い続ける執念をそう語った。

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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