第30回 金子文子「声を上げる」
朴順梨(ライター)
私は朴を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点とを越えて、私は朴を愛する。[中略]そしてお役人に対してはいおう。どうか二人を一緒にギロチンに放り上げてくれ。朴とともに死ねるなら、私は満足しよう。(そ)して朴にはいおう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせてはおかないつもりです。――と。(『金子文子 わたしはわたし自身を生きる 手記・調書・歌・年譜』[梨の木舎、2013年]より 1926年2月26日公判調書に添付された書簡)
法廷での文子は堂々と朝鮮人である烈への思いを語り、非国民とののしられても顔を上げて毅然(きぜん)としていた。逆境の中でも揺るがなかったのは、子どもの頃から逆境に慣れていたからかもしれない。しかしそれ以上に同じ「犬ころ」への愛が、彼女を揺るぎないものにしたのではないか。
一旦は死刑判決が出たものの、恩赦により無期懲役となった文子は、1926年に獄中で縊死(いし)している。自殺と言われているが、真相は定かではない。一方の烈は22年間刑務所に収監され、45年に出所。在日本朝鮮居留民団の初代団長を経て韓国に帰国。その後、北朝鮮で71年の生涯を終えている。
「文子の死は、いまだに明らかになっていないところがありますよね。でも文子はやっぱり自分の意志で生きていけなくなったと思ったら、多分死を選択する女性だと思うんです。すごく哀れな生い立ちの中でも生きることを選択したのは、彼女が持っている本来の力ですが、権力を拒否して抵抗しようとする精神もある。それが文子だと思うんです」(チェ・ヒソさん)
文子の墓は朴烈の生まれ故郷である慶尚北道聞慶市の、朴烈義士記念館の敷地にある。烈の遺骨はここにはない。つまり二人は一緒にはいない。けれど烈の故郷に眠る文子は、かつて残した言葉通り、引き離されても烈を独り死なせてはいないのだ。
生きるとはただ動く、ということじゃない。自分の意志で動く、ということである。[中略]したがって自分の意志で動いたとき、それがよし肉体を破滅に導こうとも。それは生の否定ではない。肯定である(前掲書より 1925年11月文子提出の書面)
文子が亡くなって2019年で93年になるが、100年近く前に存在したこの「飲み込まれなかった人」はどんな状況に置かれても自分を信じ、愛を信じ、思想を信じた。
こうしてみると、彼女の人生はとてもシンプルだ。彼女の「信じて肯定する」生き方は、今を生きる私たちが時に見失いそうになる足元を、照らしてくれるものになるのではないか。
映画『金子文子と朴烈』は、19年2月16日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。(映画公式サイトはこちら)