第32回 永田喜嗣「戦争と想像力」
永田喜嗣(戦争映画研究家)
「日本人は美しい花を造る手を持ちながら、いったんその手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」
これは1971年の特撮テレビ番組『帰ってきたウルトラマン』のエピソードの一つ、「怪獣使いと少年」(東條昭平監督、上原正三脚本)に出てくるセリフです。
私たちは日本の戦争映画で「美しい花を造る手を持った日本人」を常に観てきました。その一方で、ほとんどの作品が「刃を手に取る残忍な日本人」を描いてこなかったのです。抗日映画を観るということは、この「刃を手に取る残忍な日本人」を直視する行動になるでしょう。
『この世界の片隅に』は素晴らしい映画ですが、私たちはこの映画に登場する、すずさんをはじめとする日本人たちがイノセントで善良な存在であることに、どこかで安堵しているのではないでしょうか。
私たちは「美しい花を造る手を持った日本人」の姿を観る一方で「刃を手に取る残虐な日本人」を観ることなく、戦争の中の無垢な子どもたちや善良な人びとの姿に悲劇と平和の祈願を感じているに過ぎないのではないでしょうか。また、そういった戦争映画への向き合い方が普遍化してしまっているのも事実です。
私たちは映画を通じて、常に不完全な形で、一方側からだけで戦争を観察してきたのです。
抗日映画を観ることは、戦争という過去に目を向けることです。そして日本人自身が行った戦争加害について、他国の人びとがどのように感じているのか、その視点を私たちが知り得る機会となります。
抗日映画も時代を追って変遷を重ねてきました。劇場用映画に限ってですが、かつてしばしば登場した、スクリーンに現れるや片っ端から人びとを殺戮するような、悪魔的にカリカチュア化された日本将兵の姿を見かけることは、ほとんどなくなりました。欧米の抗日映画は、日本軍の残虐行為を描きながらも和解を模索しており、赦しや和解を主題にしたドラマ作りが増える傾向にあります。東アジアや中国の抗日映画では、近年、日本人の映画スタッフや俳優を積極的に招き、歴史認識を通じての相互理解と和解を模索し始めています。残された問題はただ一つ、私たち日本人が積極的にそれを観ようとしないこと、観る機会や環境が整っていないことです。
映画は観ることがまず大切です。観ないで評価することも批判することもできません。まずは向き合わなくてはなりません。
その上で初めて、世界の人びとと日本の戦争の過去を巡る対話が出来るようになるのです。
そのためには、まずは心の国境を捨て去って、ある種の勇気を持って、抗日映画に向き合うことが肝要です。
その勇気は必ず、世界の人びととの対話を生み、やがて握手を呼ぶことでしょう。
その友愛と理解は必ず、あの過去の戦争の悲劇を再び引き起こさない力となるでしょう。